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おまけSS 生意気な後輩
玄関のドアが開く音に、雅は読書をしていた手を止めた。「おかえりなさい」と出迎えると、仕事を終えた玲央がため息交じりに返事する。
「ただいま」
「あ、いつもより疲れてる顔。玲央さん、何かあった?」
「別に……」
などと言うも、何やら複雑そうな顔で見上げてくる。
雅が「うん?」と首を傾げれば、玲央は数度目を瞬かせて、
「それとは関係ねーんだけどさ。お前、ずいぶんとタメ口きくようになったな」
「え? そう?」
「ほら、今だって」
あっ、となる――無意識だった。付き合いだしたばかりの頃と比べれば、確かに馴れ馴れしい話し方になっている気がする。
「すみません。敬意は払っているつもりなんですが、なんだか“馴れ”が出てきちゃって」
「あ、いや、ふと思っただけ。お前が話しやすい方で話してくれていいし。それに……」
そこで、玲央は一呼吸置いて、
「なんつーか、そっちのが歳とか気にしなくて気楽っつか……恋人として対等ってゆーか」
「ええと」
「っ、シャワー浴びてくる!」
返す言葉が即座に見当たらないこちらに対して、玲央は気まずくなったのか、荷物を投げ捨てて浴室へと足を向ける。
「あ、待って」
思わず腕を掴んだ。ここで逃がすなんて、とてもじゃないが考えられなかった。
「ンだよ」
「その、そんなふうに言ってくれるだなんて……って」
「なんか文句あっか」
「ううん、すごく嬉しい。玲央さんのことだから許してくれないと思ってたし」
「お前なあ」
玲央が手を振り払って向き直る。ひどく不服そうな表情を浮かべて、
「散々、テメェ勝手なワガママ許してきただろうが! 今さらなに言ってやがる!」
「ああ、確かに」
「今までのことに比べたら、これくらいどうってことねーだろ……ったく!」
「あはは、それじゃあ……」
ワガママついでに、と調子に乗ってしまうのは悪い癖だろう。それでも、湧き上がった衝動を抑えきれずに口を開いた。
「玲央」
「え……」
「……なんて」
「ッ! クソ生意気だっ!」
一瞬目を見開いて静止したあと、玲央が体ごと大きく顔を背ける。
「タメ口きいてもいいって」
「呼び捨てがいいとは言ってねーだろ! バカ野郎!」
「あー、さすがに駄目かあ……あれ?」
言いながらも、ちゃっかり気づいてしまった。髪の合間から見える玲央の耳が、赤く染まっていることに。
どうやらこれは――と思った瞬間、雅の体が自然と動いて、玲央のことを背後から抱きしめていた。
「ちょっ!?」
「玲央」
耳元で同じように名を呼ぶと、ビクッとその体が反応を見せる。
「だから、呼び捨てはやめろって!」
「どうして?」
「うっせ! どうしてもだ!」
腕の中で――どうにもならないと知っているだろうに――ジタバタと暴れる姿が、あまりに愛おしくて笑みが零れる。
クスクスという笑い声が耳に入ったのか、玲央はますます頬を染めるのだった。
「……マジでやめろって」
「じゃあ、そういった雰囲気のときだけ」
「そういった雰囲気って」
「今とか」
くるりと玲央の体を反転させて、強引に唇を奪う。気分はすっかりその気になっていた。
「ま、待てっての……俺、汗かいてるし」
「何度も言ってるでしょ? 俺は気にしないって」
「人が疲れてるってのに」
「キスだけだから」
「……ぜってー嘘」
見つめると、やがて観念したらしく玲央の瞼が下ろされる。誘われるように、甘ったるく口づけを交わした。
「ん、ん……っ」
「……玲央」
キスの合間に名を呼べば、「ムカつく」と小さく返ってくる。
けれど、嫌ではないことは明らかだった。むず痒そうに顔をしかめるも、玲央はもう咎めようとはしない。
それどころか、いつにも増して瞳を潤ませ、
「雅……」
今度は玲央の方から名を呼んで、唇を重ねてくる。
下唇に噛みつかれ、間近で視線を交わせば、もう情欲に溺れるしかなかった。
(愛おしい気持ちでいっぱいで……どうにかなっちゃいそうだ)
人のことを好きだと思う感情に、きっと際限などないのだろう――まるで恋愛映画にでも出てくるような言葉だが、今なら確信できる。
自分はこれから先もずっと、どれほど時が経ったって、どこまでも彼のことを好きになるに違いないと。
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