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第8話:

「あれ?」 「……いらっしゃい」  約束の時間通りに、望月の家に着いた大橋を出迎えてくれたのは、妙にさっぱりとした望月だった。部屋着は以前と変わらないのに、なぜだろう。 「あ、髪、切った?」 「う、うん。初めて、美容院に行ってみたんだ」  確かに以前よりも軽くなっている前髪に触る望月は照れくさそうだ。あれから平日に会社で見かけた望月は以前と変わらず、重めの前髪だったので、週末になってから美容院に行ったのだろう。そうなると、これは撮影のため、ということになる。 「似合ってるよ。外見を気にするのはいいことだ。人気投稿者になるかもしれないんだし」 「おおげさだよ。そもそもあの一位だって、もう次の日には圏外だったし」 「たとえ瞬間最大風速だったとしても、ソウの認知度は上がったんだから手応えとしては十分だよ」 「そうだといいけど」  望月と話しながら部屋にあがらせてもらう。室内は前回と同様、綺麗に片付けられていて、ベッドの脇には大きめの丸型のクッションが置いてあった。あの上で、望月は今日も自慰行為をするのだと思うと、落ち着かない。  以前は、「ちょうどこれから撮影するところだったから、見てて」と言って服を脱ぎ始めたと思ったらいきなり自慰行為が始まったので、身構える余裕すら与えられなかったのだ。 「大橋くん、コーヒーはブラックだったよね」 「ああ、うん」  どうして自分の好みを知っているのだろう。もしかして、総務という職業柄、社員の好みは把握していたりするのか。いや、そんなはずはないな、と否定する。自分も営業という職業柄、客の好みを気にするけれど、どこかで知った自分の好みを望月が覚えていてくれたことが単純に嬉しい。 「あのさ、俺なりにこないだ投稿された望月の動画を分析してみたんだよね」 「えっ! あの動画見たの?」  望月の部屋はワンルームで部屋の一角に台所がある。そこでお湯を沸かそうとしていた望月は大橋の言葉に慌てて振り返った。 「そりゃ見るだろ。そんな驚くことか?」 「内容知ってるのに、見ないでよ」 「知ってても見るだろ、分析したいんだから」  それを望月が恥ずかしがる意味がわからない。さすがに一巡目は、いろいろ思い出してしまい、素数を数えたり、仕事のことを思い出したり、となるべく下半身が反応しないようにしたけれど、慣れてしまえば、その後は客観的に何度も見ることができた。 「……それで?」  望月は、大橋が動画を見たことについては不服のようだが、一応分析した結果は知りたいようだった。 「うん。今までの動画よりも今回の動画の閲覧数が増えた理由はわかった気がする」  大橋の言葉に望月は目を見開く。続く言葉を期待している顔だ。 「今まで固定していたカメラを俺が動かしたことで、第三者がおまえにオナニーをさせて、それを見ている動画になったことだ」 「なるほど……」 「おまえ、黒丸って投稿者知ってるか?」 「名前は見たことあるかも……お気に入りの数が確か、四桁くらいの人だよね」 「そう。彼が投稿する動画は必ずランキング入りするほど評判がいい」 「その人がどうかしたの?」 「黒丸は典型的なタチで、相手を言葉巧みに行為へ持ち込む。最終的にセックスするときもあれば、自慰行為をさせることもある。どちらにしろ、その動画を見る人間は、黒丸になった気分になれる。そして、黒丸にされてる相手の気持ちにもなれる。抱いているのは男なのに、視聴者に女がいて、黒丸サンに抱かれたくて動画見てます、みたいなコメントもあるくらいだ。だから男性女性も含め、視聴者の母数が多くなる」  望月は聞きながら、目をぱちぱちと瞬かせている。 「聞いてる?」 「聞いてるよ! いや、大橋くんの分析、なんかすごいなって」 「肝心なのはここからだ」  ぴしゃりと言い放つと、望月は背筋をぴんと伸ばした。 「ソウは典型的なネコだから、黒丸のようにはいかない。今回、女性の視聴者も得られたが、それは寄せられたコメントから察するに綺麗な男の子がいやらしい姿で悶えている姿が見たい女性だ。となれば、見ている側がソウを気持ちよくさせているような動画を意識して作れば閲覧数はもっと伸びる」 「気持ちよく……」 「だから今回から俺は撮影しながらしゃべろうと思う」 「えっ、大橋くんが?」 「実際、俺の音声はあとから編集で消して、字幕にするけど、俺が途中で質問や指示をするから、おまえはそれに応えながらオナニーをする」 「そんなこと……できるかな」 「別にまったく関係ない話をするわけじゃない。行為の途中で、どこ触られるのが好き? とか、どんな風に触られたい? みたいなこと聞くだけでも見ている側は興奮すると思う。あれだよ、AVで最初に流れるインタビューみたいなやつ」 「あ、あの、聞いてもいいかな」  望月は、小さく手を上げた。質問したいから手を上げてるのだろうか。 「はい、どうぞ。っと、その前に湯沸いてる」 「わわわっ」  ケトルの注ぎ口から、もうもうと白い湯気が吹き出していて、望月は慌ててガスの火を止めた。 「で、質問は?」 「その、黒丸さんがタチとか、僕がネコってなんのこと?」 「ああ、男同士は、挿れるほうがタチ、挿れられるほうがネコって言うんだって」 「なるほど、それで僕がネコ……」  納得したような望月の顔に、大橋はようやく忘れかけていた、望月の後ろの穴のことを思い出すが、なんとかして胸の奥に追いやろうと試みる。  望月がマグカップにインスタントコーヒーを入れて、お湯を注ぐと部屋中にコーヒーの香ばしい匂いが広がった。望月は、ベッドの脇に置いてあるサイドテーブルに大橋と自分の分のマグカップを二つ置いて、大橋の隣に座る。 「と、俺は分析したんだが、これはあくまで提案だから、どうするかは、おまえが決め……」 「やる」  大橋が言い終わらないうちに、望月は返事をしていて、そのまなざしは真剣だった。 「あ、やるって言っていいのか、わかんないんだけど、大橋くんには声で出演してもらうわけだから、お願いしますってことでいいのかな」  あまりにも気持ちが先行して即答してしまったらしく、しどろもどろになっている。けれど、自分の提案を快く受け入れてくれたのはありがたい。 「よし。快諾してくれたってことなら、俺は視聴者の代表って感じで、ソウのいいところを引き出せるように頑張るわ」 「お願いします!」  そう言いながら大橋に深々と頭を下げるところは、まだ会社で見かける望月だな、と実感する。このあとは恥ずかしがり屋で、いやらしいソウを動画に収めなければ。

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