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第2話
翌朝、女性の金切り声で僕は目覚めた。
それから豪華な寝室を見回して、自分がどこにいるのかはっきりと自覚した。
ああ、そうか、ジョシュアさんの屋敷に泊まったんだった。
明らかに太陽が高い位置にある。
僕は激しい情交の余韻が残る身体を寝台からなんとか引きはがして、服を身に付け、声のする方へと歩いて行った。
なぜなら、金切り声の女性と話していたのがジョシュアさんだったから。
「ちょっと。
いくらお兄様でもそれは無理よ!
お母さまが欲しがっていたから、私が見つけて買ってきたのよ?」
「だから金はいくらでも払うと言ってるだろう!」
苛立ったジョシュアさんが珍しく声を荒げた。
いつも穏やかでニコニコしている人なのに、珍しい。
「まあ、何を騒いでいるの?
ジョシュア、ジュリア」
僕は母親の登場にほっと胸をなでおろした。
家族がケンカするなんて、良くない。
家族は助け合うもので、罵りあったりするものじゃないから。
「お母さま、先日おっしゃられてたでしょう?
オルギンの1点物のブレスレット、買う前に売り切れてしまったって。
買われた方が手放してみたいで……わたくし偶然手に入れたのよ?」
僕はその言葉を聞いて、血の気が引くのを感じた。
「え?
私の欲しかったブレスレットは、偶然ジョシュアが購入してバスティアンさんに贈ったのよ?
ジュリアったら、偽物を売られたんじゃないの?
あら? でもこれは……」
どうして、と言いたいけど言えるはずがない。
なんという皮肉な巡りあわせだろう。
だから、1点物は嫌いなんだ。
間違えて売られたブレスレットが偶然ジョシュアさんの妹が購入していたなんて。
ほんとに神様なんて、この世にいないんだな……。
「そちらが本物ですよ?」
僕はすべてを諦めて、物陰から姿を現した。
「細工が見事ですもの。
本当に騙されてしまったわ。
しかし、貴方、なんて人なの。
息子の信頼を裏切るなんて……!!」
昨夜の歓待が嘘のように冷たいまなざしを、彼の母親は向けている。
だけど僕はひるまなかった。
「僕がいただいて、気にいらなかったから売った。
それだけのことです。
僕が貰ったものをどう扱おうが、僕の自由でしょう。
最初から僕は、そんなもの欲しいなんて一言も言っていませんよ?」
僕はもはやいい人の仮面を拭い捨て、開きなおることにした。
僕は何も間違ったことなど言ってはいないのだ。
僕を裁ける法律などないのだ。
「なんて……なんて、厚かましい人なの!
とっととこの屋敷から出ておいきなさい!
ジョシュアも、もっと人を見る目を持たないと。
あんな人に騙されるなんて!!」
あ~あ。
終わっちゃった。
もちろん、そうなることは分かっていたから、僕はずっとそうなってもいいように行動していたけど。
僕はジョシュアさんの屋敷を出ると、目のくらむような眩しい光を浴びながら歩いた。
その翌日、ジョシュアさんは仕事中の僕に会いにやってきた。
てっきり恨み言を言われると思ったのに。
ジョシュアさんは僕にこう言ったのだ。
屋敷を出るから、一緒に暮らさないか、と。
もちろん僕は了承した。
この関係が続けられるなら、なんだってする。
そして僕たちは、その2週間後、ジョシュアさんの職場である王宮に近い豪奢な住宅地に、二人で住むには大きすぎる部屋を借りて同棲をスタートした。
ジョシュアさんは、あの日の後も、何も変わらない態度で僕に貢いだ。
彼の何がそうさせるか、僕にはわからなかった。
でも、ジョシュアさんの興味が薄れるまで、ジョシュアさんの番が現れるまでは、何としてもこの関係を続けなければ、と、僕は必死にジョシュアさんの求めるものを与え続けた。
いや、そんな上品な言い方は似合わないだろう………僕が与えていたのは僕自身、要するに、ベットの上での奉仕だ。
オメガと違って発情期などないが、ジョシュアさんの様子に、今のところ不満は見られなかった。
僕とジョシュアさんが同棲を開始してから、もうすぐ1か月だ。
今日は何の食事を用意しようかな?
ジョシュアさんの家で家事を担当するのは僕だ。
ジョシュアさんは二人の生活を邪魔されたり、探られたりするのを嫌って、使用人を置かなかった。
もちろん、貴族であるジョシュアさんが出来る家事など一つもないから、必然的に僕がするようになったんだけどね?
1ヶ月記念に、今日はちょっと豪華にしようかな?
僕が従業員用の控室で帰り支度をしていたときに、メルシー先生が血相を変えてやってきた。
「バスティアン、ビアンカが今……!!」
僕はそれだけを聞いて、控室を飛び出した。
ビアンカはその日急変し、翌朝には息を引き取った。
美しいビアンカ。
僕の妹。
死んだなんて嘘みたいだ。
眠ってるだけに見える。
僕はビアンカの遺骸に寄り添い、そのまま丸一日をすごした。
そしたら、メルシー先生が僕たち二人を引き離した。
必死に反対したけど、ビアンカは両親の眠る墓の横に埋葬された。
僕はビアンカと引き離された痛みで、葬儀の最中に倒れた。
そしてそれが、1週間前のことだった。
僕はずっと病院に入院していた。
だけどジョシュアさんは一度も病院にはやってこなかかった。
一応、ビアンカが死んだときと、入院した時に連絡したんだけどね?
僕はたった一ヶ月で、ジョシュアさんに捨てられたってわけだ。
ジョシュアさんと同棲をするときに部屋は引き払ってしまったから、何処かに住む場所を探さなくちゃいけないから、僕は退院を前に、メルシー先生にお願いした。
ずっと前から、話が来ていたのを、メルシー先生はかばっていてくれたのを知ってたから。
ちょうど1年前、王都から西に300キロほど離れた場所にある、ドリーズトの商人ヴァンニさんは、商売でやってきていた王都で病気になって、この病院にやってきた。
ヴァンニさんは、僕に一目ぼれしたんだって。
だからずっと、愛人にしたいと申し出があったんだ。
彼には妻子がいたからね?
でも、僕はもう、ビアンカのいない王都も、この病院にも未練がなかった。
むしろどこか遠くへ行ってしまいたかった。
だから、その話を受けてもらうように、メルシー先生に頼んだんだ、という訳だった。
メルシー先生は心配していたけど。
心配しないで? メルシー先生。
僕はすべてを失ってしまった。
だからこれ以上不幸にはならない。
それって、いいことでしょう??
私はジョシュア・エルガー。
侯爵家の一人息子として生まれてきた私は、当然ながらアルファだ。
そんな私が平民、しかもベータの男性と交際するなどということは、実際ありえない話だった。
バスティアン・モルデンは確かに美形だったが、ディーンに頼まれなければ、そんな茶番にのることはなかっただろう。
そもそも私が初めてバスティアンを見かけたのは、仕事中の事故で重傷を負ってしまったことによる。
緊急を要する状態だった私は、事故現場の近くのオメガ医療院に運ばれた。
軽傷であれば、遠方のアルファ医療院に運ばれただろうに、よりによってオメガ医療院とはと、私は怪我のひどさよりも羞恥の念の方が大きかった。
入院も余儀なくされた。
当然ながら個室とはいえ、周りはオメガだらけなのだ。
見舞いに来た同僚からも大いにからかわれた。
その中には、親友のディーンもいた。
ディーンは伯爵家の三男だったが、母親がオメガじゃなかったためにベータとして生まれてきた。
それを恥じてアルファの様に振る舞うディーンは、学生時代からの友人であった。
起き上がれるくらいには回復していた私は、ディーンを見送って車いすで入り口まで見送った。
看護師には怒られたが、私はもう何日もベットから出ていなかった。
少しは体を動かしたかったのだ。
そして受付の近くに来たときに、ディーンはグリーンの制服を着たバスティアンを見て、大きく舌打ちをした。
「……だれだ?」
「……魔性の|男(ベータ)さ。
前に騙されたんだ。
貢がされて、抱かせても貰えない。
忌々しい奴だよ……!!」
「遊び人のお前が騙されたのか。
そりゃすごいな」
「……まあ、大した被害じゃない。
他の被害者に話を聞いて、深入りする前に別れたからな。
しかし、平然と生活されるのも腹が立つもんだな。
……そうだ! ジョシュア、お前バスティアンのこと誘惑してくれよ」
「見た目は良くても男だろ!
冗談でもやめてくれ!」
「ジョシュアはアルファなんだから、奴はほいほいついてくるぜ?
本気にさせたところで、捨ててくれればいいからさ?」
「したたかな奴が本気になるわけないだろ?」
「あ、じゃあ、少し付き合ったら、病院で暴露するってのは?
さすがに奴も慌てるだろ?」
「ずいぶん悪趣味だな?」
私はもちろん乗り気ではなかった。
「もし、してくれるなら、ルージアとの仲直りに協力してやるぜ?」
正直、少し迷った。
ルージアはディーンの姉で、オメガ。
そして私の番だ。
しかし甘やかされて育ったせいもあり傲慢で、金遣いが荒く、男遊びの噂もあった。
ルージアと初めて体の関係を持ったのはルージアが16歳の時だったが、その時すでに初めてではなかったのだから、彼女に貞淑さを求めるのは間違いだろう。
しかし番同士の体の相性は、他は比べ物にならないほどいいのだ。
そのせいで、私とルージアは交際し別れることを何度となく繰り返してきた。
そして半年前、ルージアと私は、ルージアの浪費を原因としたケンカをしてから会っていない。
それ以来音信不通が続いているのだから、ルージアはさぞかし「ご立腹」だろう。
手紙を送っても突き返されるのがヤマだし、会いに行っても門前払いになるのは見えている。
しかも私はまだ、彼女とやり直すかどうかも決めていなかった。
だからその時は断ったのだ。
それからしばらくして、父の病気が分かった。
幸い命に別状はない病だったが、両親に早く結婚するようにと促された。
それで私は決心したのだ。
ルージアとの結婚を。
当初はもちろんディーンに頼らず、手紙や贈り物をして機嫌を取るつもりだったのだが、一向にルージアは許す気配がない。手紙も贈り物も突き返される毎日だった。
だから私はディーンを呼び出したのだ。
あの話はまだ有効か、と。
ディーンの確約を得た私は、早速次の日にバスティアンに会いに行き、そして交際を申し込んだ。
ディーンの言うように、バスティアンはすぐに私との交際を承諾した。
わざわざアルファであることを確認して。
私はバスティアンの熟練した手管に、とても驚かされた。
正直、騙されていてもいいと思ってしまうほど、彼は完璧な恋人を演じていた。
バスティアンは私の話をニコニコと聞き、話したことはほんの些細なことまで覚えていた。
決してわがままを言わず、いつも私をたててくれる。
知り合いと出くわした時も、彼はいつも私を恋人だと紹介し、そしてその様子がとても嬉しそうだった。
そのあまりの甲斐甲斐しさに、思わず愛されているのではないかと錯覚してしまいそうだった。
そしてそれが彼のやり方なのだと思うと、恐ろしくもあった。
デートの時は彼に騙されていることを装うため、敢えて積極的に貢ぎ物を買った。
もちろん、彼のために高いものを買いたくなかったから、安価なものだけだったが。
最初のデートの時に買い与えたブレスレットは、母が自分の所有するビスクドール用のネックレスにと欲しがっていたものだった。
私や父は、ビスクドール用とはいえ、侯爵家の人間がそんな既製品の安物は買う必要はないと母をとがめた。
しかも母親想いの私はすでにオーダーメードでビスクドール用のネックレスを注文していたので、買う必要もなかった。
そのネックレスは大金貨30枚程の品だった。
たかだか大金貨2枚程度のものを与えたのに、バスティアンは頬を染めて喜んでいた。
私の財力を見誤っているのだろう。
残念なことだ。
しかしその一方で、私は感じていた。
ルージアにも、こういう謙虚さがあれば、と。
私とルージアの最後のケンカは、ルージアが私のツケで勝手に大金貨500枚ほどのアクセサリーを買ったことだった。
もちろん払えない額ではないが、結婚前から恋人の財布をあてにして、ルージアはあらゆる店で勝手に買い物をしてはその支払いを私に回していた。
その累計が大金貨3000枚ほどの金額に達したところで、私の忍耐にも限界が来た。
私はルージアを嗜めたが、全く反省する様子もなく、私はルージアと決別したのだ。
ルージアは、私の財産を消費するのは当然の権利であると思っていて、謝罪どころか憤慨していた。
彼女は私が何をしても、感謝などしたことが無かったから。
いや、ルージアだけではない。
私が今まで関係してきたどの女性も、バスティアンとは違っていた。
だから希少本を買い与えたバスティアンが嬉しそうに本を抱きしめているのを目にした時、私は思わず彼を抱きしめ、そしてキスをした。
私には、それほど衝撃的な出来事だった。
それが彼の騙しのテクニックだと知っているのに、私は次第に彼に溺れていった。
彼の体を知ると、その思いはもはや留まるところを知らなかった。
演技だと思っていても、バスティアンの|初心(うぶ)な反応や表情に私は番であるルージアと同じくらいの欲情を感じた。
男性だということすら、障害に感じなかった。
バスティアンの体はすべてが素晴らしく、彼を初めて抱いて、そして朝目が覚めた後、彼を独占したいという気持ちの芽生えに動揺した。
少なくとも、私にはできる。
彼に貢ぎ続ければいいのだから。
結局、すぐに彼の嘘は露見したが、私は何事もなかったように、彼との同棲を始めた。
両親の反対も、当初の目的も忘れ、私は毎日バスティアンを抱いてその欲を満たした。
私はバスティアンをつなぎとめるため、貢ぎ物を繰り返した。
そんなある日のこと、ルージアが私とバスティアンの住む家にやってきた。
彼女は私を罵倒した。
それはもっともな反応だろう。
オメガでもない同性の男性と暮らしているのだから。
本音をいうと、私はそうなることを恐れていた。
私は侯爵家の跡取り息子で、アルファなのだ。
そんな私がベータの男に入れあげるなど、醜聞でしかなかった。
私は思わずルージアに言い返した。
「何もかも誤解だ。
君とよりを戻すためにしていたことだ。
信じられないなら、ディーンに確認してくれ」
……私は我が身の保身しか考えていなかった。
そのくせ、バスティアンが妹が亡くなったとか、入院した、などの連絡を寄こし、帰ってこなくなったのを、完全に誤解していた。
最初にバスティアンに新しい男が出来たことを疑い、次に金を無心するための口実だと疑った。
しかしそれでも、私は耐え切れなくなって、5日後にはバスティアンに会いに行った。
言葉通りに入院していたことに安堵しながら、私は彼の病室へと向かった。
彼は平民で、金もなかったのだろう。
仕切りもない大部屋にいたバスティアンを見つけた時、彼は白衣を着た女性と抱き合い、あろうことか「私はジョシュアさんのことなんて、好きじゃありません」と、涙ながらに語っていた。
私はそのまま踵を返し、生家へと戻った。
バスティアンと住んでいた部屋を訪れたのは、2か月後、部屋を引き払うためだった。
私はその頃ルージアとよりを戻していた。
悪い夢を見たのだと、そう思うようにしていた。
バスティアンへの思いは、ほんの気の迷いだと。
全て彼に関することは封印していたというのに、彼が使っていた部屋で、私が貢いだすべての物が残されていたのを発見した時、私は呆然と、その品々を見つめた。
私は一体バスティアンの何を見誤っていたのだろうか?
いくら考えても、その答えは見いだせなかった。
事件のあったあの日、ビアンカを発見したのは僕だった。
妹の帰りが遅いことに気付いた僕は、ビアンカがいつも使っている道をたどった。
夕暮れから夜の闇が町を支配し始めた頃、町はずれの小さな路地を覗く人たちに気付いた。
まさか!
まさか!
僕は不安を打ち消すように路地の奥を覗いた。
まず大きな男の背中が見えた。
「……発情期に出歩くなんてなぁ」
僕の近くにいた男性がぽつりともらす。
そう、オメガは発情期に出歩いてはならない決まり、法律がある。
抑制剤も飲まず発情期に迂闊に出歩くオメガは、|強姦(レイプ)されても仕方ない。
そんな風習があった。
だから僕は、男の背中の向こうにある小さな体が、ビアンカではないと、必死に否定していた。
だけど、男の陰から伸びた小さな足。
だらりと力を失った小さな足には、赤い靴。
誕生日に買ってもらって、自慢げに僕に見せた赤い靴が見えた時、僕は無我夢中で男の背中に飛びかかった。
「ビアンカを離せ―――!!!!」
必死に男を引きはがそうと僕は暴れた。
しかし男の背中はびくともしなかった。
僕はもう成人していたけど、オメガに間違われるくらい小柄のベータだ。
アルファの男に敵うはずはなかった。
噛みついたり、必死に引っ張ったりしていたら、男はむき出しなった局部を隠そうともせずに僕を殴った。
「なんだ?
お前もオメガか?」
暗い路地だったけど、男が舌なめずりするのが分かった。
「……殺してやる!
殺してやる!!!」
僕は必死に睨みつけたけど、瞬く間に組み伏せられ、首を強く絞められた。
「う……ぐ……」
僕が気を失いそうになった時、「何をしている!」と、鋭い声が路地に響いた。
男の腕が緩み、僕は咳き込みながら必死に呼吸した。
少しでも遅かったら、僕は死んでいたかもしれない。
「大丈夫か?」
話しかけられ、僕は声の主を見上げた。
軍の制服をまとった男性。
仕立てが良いことは暗くても分かる。
おそらく町の治安を担当する軍人さん、それもかなり高位の人だろう。
ビアンカを襲っていた男性が、捕縛され連れて行かれるのが見えた。
「……ビアンカは?」
「……病院に運んでやるから」
男性はそういうと、来ていた服を脱いでぐったりと横たわるビアンカに掛けると、服ごとビアンカを抱き上げた。
ビアンカは事件の後、一度も意識を回復しなかった。
今現在までビアンカが生きているのは、両親が巨額の借金をして、ビアンカに生存装置を施したからだ。
自家呼吸もできず、食事もお腹の中に管を通した状態だけど、ビアンカの体は生きていた。
今となってはそれが良かったどうか、僕にはわからない。
両親は借金の返済のため、自分たちをルメアル鉱山に売った。
10年間の労働が条件の契約で、生きていれば再会することも出来たのだが、4年前の落盤事故で二人ともこの世にはもういない。
僕にはビアンカしかいなかった。
いつまで続くのか分からなかった僕の生活は、一人の男性の出現で大きく変わった。
ジョシュアさんが現れて、僕に交際を申し込んだのだ。
10年が過ぎていても、僕にはすぐに分かった。
ジョシュアさんが、僕たちを助けてくれたあの軍人さんだということは。
最初のデートの後、ビアンカの部屋にメルシー先生がやってきた。
「ビアンカと、会話してたの?」
僕はチリリと胸の痛みを感じる。
僕がビアンカに依存しているのを、メルシー先生は危惧していた。
先生は鋭すぎる。
だから僕はいつも、先生にはおどけてしまうのだ。
「やだなあ先生。
僕の独り言です」
「そういえば、今日デートだったんでしょ」
「いい人でしたよ? 何といっても、お金持ちだし」
「はは……相変わらずお金好きだね。
そのまま甘えて、玉の輿に乗っちゃえば?」
先生は、僕のことを良く分かっている。
僕のおどけにのってくれるのは、そのせいだ。
だけど、突然核心に触れるのは止めてほしい。
「運命の番が現れたら、僕なんてすぐポイ捨てですよ?」
僕は、にっこりとメルシー先生に笑いかけた。
成功したかは分からないけど。
先生は本当に、嫌になるほど僕のことが分かっている。
話していないのに、僕たちの恩人だということも気付いているのかもしれない。
「先生がもしジョシュアさんの番だったら、もう少しの間お目こぼしくださいね。
ちゃんとおリボン付けて回しますんで」
「あんたって相変わらず、可愛くない!
本当に好きな人には、本当のことを言わないと、ダメよ?」
先生、だから言葉でグサリと刺すのはやめてください。
もっとも先生には、あのことを話してあるから仕方ないかもしれない。
僕には性交に対して、嫌悪感がある。
今まで付き合ってきた誰とも、最後までできなかった。
いろいろ言い聞かせてはみた。
自分でも苦しかった。
だけど、どうしても一線が越えられない。
触られただけでも吐き気がしてしまう。
それはきっと、ビアンカの事件が関係していたと思う。
なのに、希少本を買ってくれた後、僕はジョシュアさんの抱擁とキスに……嫌悪感どころか、湧き上がった嬉しさで全身が震えた。
家族以外で初めて心から愛したのが、ジョシュアさんだった。
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