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七,駆け引き

 それから平穏に数刻が過ぎゆきた。夜の帳が落ちたところで、すみれの嬉々とした声が邸に通る。 「姫様~、旦那様がお戻りですよ」  玻璃乃は旅の疲れもあり、東の対で寝支度を整えているところだった。 「玻璃乃、少しいいか」 「はい、お父様」  是愛は御簾をくぐり、娘の居間へと入る。 「長旅で疲れただろう。体の具合はどうだ?」 「比較的良いですわ。帰路も、耶雉が一緒で疲れる暇はありませんでしたし」 「……あの異邦人か」  苦虫を噛みつぶしたような顔をして、是愛は耶雉の名を呼ばずに、そう称した。  玻璃乃はそれが気に入らず、父を見上げていた視線を逸らす。 「そういえば、彼はどこへ行った?」 「耶雉でしたら西の対ですわ」 「なに……?」 「西の対の一間に、耶雉の居を作りましたの」  それを聞いた是愛は、先ほどとは変わり、参った表情で眉間に指を添えた。  ――西の対には、是愛が寝所としている塗籠があるのだ。あの見慣れぬ、まだ娘の小間使いとしても認めていない漂流者が、対を同じくするとは許しがたい。  しかし是愛はなんとか気持ちを冷静に持ち直し、それを逆手に取ることとした。 「玻璃乃」 「なんでしょう、お父様」 「今年は、豊穣の宴に顔を出しなさい」 「え……」 「西の対に奴を置くことを許そう。その代わりに、豊穣の宴に顔を出すのだ」  父の言葉に、玻璃乃は顔を強張らせる。  豊穣の宴。それは秋が深まった時分に豊穣を祝い、謳い、豊穣が続くことを祈る儀式だ。広い庭園にそれぞれの家で席を設け、祝いの舞いなどを鑑賞する。  ――というのは建前で、貴族たちが挨拶を交わす、集いの場に年々様相を変えていた。 「これを……」  是愛は、包みを玻璃乃の方へ差し出した。気は進まなかったが、それを開く以外の選択肢が、彼女にはない。 「……まあ、綺麗な袿」 「豊穣の宴のため、仕立てさせた」 「そう、ですの……」  その宴では、姫たちは席の四方に目隠しの帳を張り巡らせ、男たちの挨拶に耳を傾けるのだ。 「お父様……」 「あの異邦人も連れてきて構わない。だから、必ず出なさい」  是愛はそう言い残すと姫をあとにして、耶雉も住まうことになった西の対へ向かった。

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