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慌てて方向転換をして大家さんの元に行き、自転車を下りる。
「こんばんは大家さん。お久しぶりです」
「はい、こんばんは。元気にしてたかね?随分と会わなかったが」
「はい、なんとか」
皴だらけの顔に穏やかな笑みを浮かべる大家さんは、歳もあってか中々家の外に出てこない。
そのため、大学やバイトがあって日中家を留守にしている俺とは全く会うことがない。最後にあったのは確か五カ月前ぐらいだ。
だから、危ない夜道を大家さんが出歩いていること自体驚きだ。
出会った時から何故かぶるぶると震えている大家さんの杖は振動してカタカタと不安になる音を立てている。
「散歩ですか?もし帰る途中なら一緒に帰りませんか?」
「ありがとう。助かるよ。気分転換にたまには散歩もいいかと思ったんだが……疲れてしまうね」
ふうと息を吐く大家さんはまるで登山でもしてきたかのような満足げな顔をしている。
ここからアパートは自転車では十分程度の距離とはいえ、老いた足では相当な負担だろう。
心配だ。すごく心配だ。
気晴らしはいいと思うが、なぜせめて明るい時間帯にしなかったんだろう。
と、不意に大家さんが思い出した顔をして見てくる。
「そういえば佐々木さん、引っ越し先には荷物の手配とかは済んだのかい?」
「へ……?」
「君のポストに入れていた立ち退き願いの紙に書いてた通り、後一か月後にはあのアパートを壊すからね」
耳がおかしくなったのだろうか。
さっきから心当たりのない信じられない言葉ばかり聞こえてくる。
引っ越しの手配?
立ち退き?
一月後にはあのアパートが取り壊しになる?
――知らない。そんなことは一切知らない話だ。
頭の中は真っ白なのに血の気だけが一気に引いていく。
心臓が嫌なほど早鐘を打って、冷たい汗が背筋を流れる。
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