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「もしや、密の家ではそういったことはしないのか?」 郁也さんは少し考える様子を見せたと思うと、まるで最初からそんな考えはなかったかのように訊ねられ、俺は呆けてしまう。 もしかしてと、ある一つの可能性が浮かんできて、恐る恐る言葉を返した。 「ない、です……郁也さんの家ではあるんでしょうか?」 「ああ、家の決まり事として挨拶にはキスをすることが習慣となっている。当然だと思っていたが、そうか。密の家ではしないのか」 納得したように呟く郁也さんに、突然の行為の理由を知って少し安心する。郁也さんにとっては当然の事で、なにもおかしくはないのだ。 すると、まだ鼓動は騒がしく顔も熱かったが、頭は冷静さを取り戻してくる。 郁也さんは優しくて話の分かる人だ。無理強いをする人じゃないのだから、素直に俺には恥ずかしい行為だと告げればキスはなくなる筈。そう考えて話を切り出そうとした瞬間、残念そうに眉を下げる郁也さんに言葉を呑み込む。 「すまない。密を驚かせるつもりはなかった。だが、そうか。仕方がないこととはいえ、密を見ていると歳の離れた弟を思い出してしまうこともあり寂しいと思ってしまう」 「う……っ!」 郁也さんが実直なのは最初からだ。だからなんの意図もないと理解している分、酷いことをしてしまったような気持ちになって胸が痛む。 家の習慣だったというのだから、俺にとっては恥ずかしいだけの行為も郁也さんにとっては大事な挨拶の一つなのだろう。難しい顔をして、何かを考えている様子だ。益々罪悪感が込み上げる。 胸の痛みを感じながら激しく葛藤する。俺の小さな、いや、本当はかなり限界に近い羞恥心を乗り越えるべきなんじゃないだろうか。郁也さんは大事な恩人で、俺は喜んでもらえるように尽くすと決めたのだから。 「あ、あの……!め、目を瞑ってもらってもいいですか……?郁也さんにとって大事な習慣なら、俺も慣れるように頑張ります……っ!」 精一杯の勇気を振り絞りそれだけを告げるだけでも恥ずかしくて堪らず、舌が絡みそうになる。きっと俺の目は逃げたい本心で潤んでいるに違いない。 郁也さんは目を見開いたかと思うと、俺を気遣ってくれる。 「密の気持ちは嬉しい。だが無理をしなくていい。残念ではあるが、俺は君の望まないことはしたくない」 ぶんぶんと激しく首を振る。そこまで言われて頷いたら、これからもただ俺だけが郁也さんに甘やかされる気がした。 「俺は、郁也さんに喜んでほしいです。だから、お願いします。あと、あの……俺は身長がないので、背も少し屈めてくれたら助かります」 話をしている内に恥ずかしさが邪魔をして声が小さくなっていくが、それでも郁也さんには届く声で最後まで言い切れたと思う。 その証拠に、郁也さんは嬉しそうに微笑んでくれる。それを見たら鼓動が跳ねて、正解なのだと思った。

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