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「可愛い」
濡れた髪に撫でるように指を通され、キスをされる。甘い匂いがするのは郁也さんの方だ。心臓が壊れそうなくらい高鳴って、クラクラと眩暈がする。
「離れたくない。今日から一緒に寝てくれないか?」
まるで、このまま離れたくないと思う気持ちを見透かされたようなタイミングで誘われ息を呑む。
拒否する理由などなくて、羞恥心に俯きそうになりながら頷けば、次の瞬間横抱きに郁也さんに抱きかかえられて狼狽える。
「あ、あの……!」
「すまない。早く密とベッドで休みたい。安心してくれ、今日は何もしない」
その言葉の意味する事に流石に気づいて言葉に詰まる。郁也さんの事だから今日はなにもないだろうが、それでも意識してしまう。
郁也さんに運ばれて入った郁也さんの部屋は最低限の家具しかなく落ち着いていた。ベッドへと丁寧に横にされる。
「……ありがとうございます」
恥ずかしさに目が合わせられない。顔は真っ赤になっているに違いなかった。
優しく微笑みながら隣で横になる郁也さんに緊張が強まる。今日は眠れそうにない気がした。
「密が隣にいるとやはり違うな」
視線を合わせたまま告げられた言葉に鼓動が跳ねる。それは俺も同じだった。
「おやすみ」
唇ではなく額にキスをされ、身構えていたこともあり少し拍子抜けした気分だった。だがすぐに、それが以前聞いた挨拶であることを思い出して、再び緊張する。
気のせいでなければ、目を閉じずに俺を見つめている郁也さんは俺を待ってくれている気がした。視線を彷徨わせそうになりながら、俺は意を決して羞恥心に震える唇を郁也さんの額に触れさせる。
「お、おやすみなさい……」
声が震えてしまう。チラリと視線で様子を窺えば、優しく微笑む郁也さんにかあっと全身が熱くなる。やっぱり、今日は眠れる気がしない。
「ああ、おやすみ密」
抱き寄せられ、顔を郁也さんの胸元に埋めるような態勢に息を詰める。規則正しい息遣いを感じて、必死に意識をしないようにするほど息が苦しくなる。鼓膜にまで響く、早鐘を打つ鼓動の音に掻き消されて郁也さんの心音は解らない。
自分の心臓の音が伝わっていると思うと恥ずかしくて堪らなかったが、落ち着いた表情で静かに眠っている様子の郁也さんは目を覚ます気配はない。疲れているのだろう。
意識をしているのが自分だけだという事に恥ずかしくなりながら、意識をしないようにぎゅっと目を瞑る。だが、不意に髪を撫でられてビクリと震えてしまう。驚いて様子を見るが、やはり目覚めた様子はなく狼狽える。
「眠れないです……」
はあと、悩ましい甘い吐息が漏れる。幸せで嬉しいのだが、慣れない幸福感にひたすら一人で戦っていた。
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