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「佐々木様。本日はクッキーを作りましたので、良ければお召し上がり下さい」
「いつもすみません。ありがとうございます」
差し出された紙袋の中には小さな瓶に詰められたクッキーがあり、蓋に被せられたワックスペーパーに麻布でリボン結びをされている。真ん中にはchocolateと書かれたシールまで貼られている細かさだ。まるで店頭で実際に並んでいるようなお洒落な雰囲気と立派な見た目に感動する。
羽部さんはお菓子作りが趣味らしく、その腕も相当なものだ。味も見た目もプロ同然で、完璧な人だと尊敬する。
「いつも貰って頂きありがとうございます。佐々木様が味のご感想をいつも言って下さるので嬉しく、気が付けばいつも作りすぎてしまいます。感謝しております」
「とんでもないです。羽部さんのお菓子は本当に美味しくて大好きなので、俺の方こそ感謝してます」
「ありがとうございます。そう言って頂けますと作っている身として大変光栄でございます。本日も良い一日をお過ごしくださいませ」
笑顔で見送ってくれる羽部さんにお礼を言って頭を下げ、クリーニングに出していた衣服とクッキーの入った紙袋を部屋に持ち帰る為にエレベーターへと向かう。
乗り込んで最上階のボタンを押し、扉を閉めようとした時だった。カジュアルなチェック柄のスーツを着た、スラリとした長身の男性が近づいてくるのが見えて、咄嗟にボタンを押してエレベーターの扉の閉止を止める。
「ごめんね、ありがとう」
男性はにこりと笑うと、エレベーターに乗り込んでくる。高い鼻筋や柔らかな目元。穏やかな笑みを浮かべる唇は程よく整っており、明るめの色をした髪は少し長めで、真っ直ぐとしており艶やかだ。
寛げられたジャケットからはベストが覗き、ブラウンのスリーピーススーツと組み合わせられている藍と黒のボーダーのネクタイには、クローバーのネクタイピンが差されている。胸元は三角の白いハンカチが飾り、さりげなくお洒落でスマートだ。
近くに立っているだけで、圧倒的存在感に緊張してしまう。悪い事はしていないのに、隣に立っていることが申し訳ない気持ちにすらなる。
「何階に行かれますか?」
「最上階に。ありがとう」
驚いて思わず男性を見上げれば、笑顔で小首を傾げられる。何気ない仕草だというのに艶めいていて、ドクリと鼓動が打つ。
最上階は全て郁也さんの居住だ。という事は男性はお客様という事になる。と、今朝仕事に出かける前の郁也さんからお昼の一時頃に顧問弁護士が訪ねてくると聞いていたことを思い出す。
男性の職業がわかり、てっきりモデルだと思っていた為呆然としていれば、すぐに男性が何かに気付いたような顔をする。
「もしかして君が郁也が言っていた佐々木密くんかな?気づくのが遅れてごめんね。私は井坂郁也個人の顧問弁護士を務めている風宮彰《かぜみやあきら》。佐々木君と郁也の雇用の件についても任せられている。よろしくお願いするよ」
「は、初めまして……!佐々木密です。よろしくお願いします!」
渡された名刺を丁重に受け取って頭を下げる。
郁也さんから話を聞いた時は弁護士という肩書から厳格なイメージを想像していたこともあり緊張していたのだが、予想外に物腰柔らかな風宮さんに胸の内で安堵する。
話の続きは部屋に向かいながらしようと、伸びてきたしなやかな指が最上階のボタンを押す。エレベーターの扉が閉まり、動き出す。
「荷物多いから大変だよね。佐々木君が良かったら私に荷物持ちを務めさせてくれないかい?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
クリーニングに出していた衣服が入っている布袋と、羽部さんに貰ったクッキーが入った紙袋という手下げた荷物を見て、風宮さんはすぐに気遣ってくれる。
人を選ぶ紳士同然の言い回しが自然に思えるのは風早さんの甘い容姿と穏やかな雰囲気だからだろう。まるで映画で見るような淑女にでもなったかのような気分で、風宮さんが女性にモテるのは間違いないだろう。
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