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第9話
それからしばらく先生が店に来なくなった。週に一度のペースで先生なりに自著の自主回収を行っていたが、気づけば先生の姿を見なくなってから一か月が経っていた。
何かあったのだろうか。もしかしてあのマンションで独り苦しんでいるのだろうか。五十前とはいえ何かの病気なのかもしれない。心配だ。最悪の結末が脳裏に浮かぶ。
僕はバイトどころじゃなくなった。丁度日曜日で上がりの時間も迫っていた。翌日の講義は午後からだし、今すぐ先生のマンションを訪ねても支障はない。身支度を済ませ、バイト先から急ぎ足で僕は先生のもとへ向かった。
マンションに来るのは二回目だ。最上階のどこかだということはわかるが、何号室なのか自信がない。ベランダを見ても洗濯物がかかっているのは半分もなく、時刻も遅いから一軒一軒呼び鈴を押すのはさすがに近所迷惑だろう。
帰ろうか。きっと僕の思い過ごしだ。車の中でそう思ったとき、別の車が駐車場に入ってきた。無断で停めていることがわかったらまずい。僕はじっと息を潜める。車は二十三と書かれた場所に停まる。運転席から降りてきた人物を見て、僕はあっと叫びそうになった。
「――先生」
偶然にも車から降りてきたのはまぎれもなく先生だった。他に同行者はなく、スーパーの袋を提げている。買い物帰りだろうか。
話しかけたい。声をかけたら先生はどんな反応をするのだろうか。
こんなにも顔を合わせているのだから、さすがに僕だとわかるだろう。車の中に隠れているのが正解だっただろうが、僕は車を降り、先生のもとへ向かった。
「持ちましょうか?」
「……あ、私ですか?」
「はい。何か手伝えることはないかと思って。重そうに見えたので」
「すぐそこなので結構ですよ。お気遣いありがとう」
先生の反応は素っ気なかった。他人同士のすれ違いざまの会話にすぎない。先生は僕を見ようともしなかった。
あれだけ顔を合わせて会話をした僕の存在を認識せず、僕たち以外の他人と同じあしらい方で僕の好意を断った。
僕は諦めきれずに先生の後を追ったが、エレベーターホールの前のガラス扉が僕の行く手を阻み、それ以上追いかけることはできなかった。
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