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第68話
獅子の耳がピクピクと動く。それは、『怖くないか』と聞いているようだった。ヒトのときと違い、獅子になった彼は大きいけれど可愛げがある。
「大丈夫です」
夕侑が微笑むと、獅子は満足そうに喉を鳴らした。
夕暮れが森をおおい始めるまで、ふたりはそこでゆったりとすごした。
鳥の声を聴き、穏やかな風に身をまかせ時折まどろむ。獅旺の身体に頭をもたれかからせて、陽光に輝く木々の群れを眺めていると、心の憂いが消え去っていくようだった。
獅旺は夕侑を守るように、がっしりとした手足の間に夕侑を抱えこんでいた。太陽に温められた獣毛からは独特の香ばしい匂いがする。
――この人と、一緒にいたら、ずっとこんなふうに甘えて生きていけるのだろうか。
ふたりよりそって、気持ちを穏やかにして。
うなじを噛まれて番になれば、フェロモンはお互いにしか作用しなくなる。他人に迷惑をかけることもなくなる。獅旺のことだけを考えて生きていけるのだ。
けれど、そう思うのと同時に、脳裏に死んだ友人や施設の仲間の顔がよみがえる。すると気持ちは一気に闇へと沈んでいった。
――自分だけが、幸せになってはいけない。
いまだ苦しんでいる同胞がいるというのに、ひとりだけ毎日笑って暮らすなんてことは、罪に近い。
自分の将来は、不幸なオメガを助けるためだけにある。ひとりでも多くの仲間の役に立てれば、自分がオメガとして生まれてきた意味を見いだせる気がする。
それは、三年前に友人の死を間近で見たときから決めてきたことだった。
夕侑の苦悩に気づかないのか、獅旺は尾を振って夕侑の頬や手をなでてくる。
そのくすぐったさに笑いながらも、この人と番になることはできないと、悲しい気持ちで決心していた。
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