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第72話
「獅旺」
母親が口をはさむ。
「お父様の言う通りになさい。あなたの将来のためです。こんなことでは、婚約者にも迷惑をかけるでしょう」
「彼女には俺から謝罪します」
婚約者、という言葉に愕然とする。その耳元で白原がささやいた。
「獅旺の親父さんは、やり手の冷血漢で有名だからな。あいつも厄介なことになったなあ」
「……婚約者、が、いるんですか……」
夕侑が思わずもらした言葉に、白原が答える。
「うん? ああ。いるよ。生まれたときから決まった相手がね。御木本家は代々獅子のアルファ一族だ。だから彼の婚約者も同族アルファ。そのほうが獅子のアルファが生まれる確率が高いから。そうやって獅子の血を守ってるのさ」
「……そうなのですか」
考えてみれば、あたり前のことだ。上流階級に属する家系なのだ。結婚相手だって、家柄や血統で厳密に決められるだろう。
自分は何を期待していたのか。何を夢見て、悩んでいたのだろうか。
――運命の番。
そんなもの、自分だって拒否してきたはずなのに。
手に入らないとわかった今になって、こんなに衝撃を受けるとは。己の身勝手な思考に呆れてしまう。
獅旺が両親を見送るために、玄関から出ていくのを確認してから、夕侑は白原と共に自室に向かった。
「じゃあ、ゆっくり休むんだよ。獅旺の親の言ったことは気にしないほうがいい」
「……はい、大丈夫です」
部屋の前で、白原に礼を言ってドアをしめる。鍵をかけて、扉にもたれて大きくひとつため息をついた。
獅旺の父親の放ったオメガを蔑む言葉にも傷ついたが、それ以上に、自分と彼との立場の違いを強く突きつけられた気がする。
獅子族アルファは、同族と結婚する。その高潔な血を守るために。邪悪な淫魔であるオメガの血など、入りこむ隙間もないのだ。
自分と彼を隔てる現実をあらためて教えられた気がして、夕侑はその場で深くうなだれた。
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