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第10章~天使のアリア(中)~

荒げた大きな声に驚いてトウキは目を丸くする。 だが苛立ちは彼が自信に向けているように感じた。納得がいかないのかデリスは奥歯を噛み締める。 「お前は、あのとき消えかけてんだぞ・・・・!」 (かす)れた意識の中で見た光景。 細く小さな身体が地面に崩れ落ちてゆく。支えようと手を伸ばす思いとは裏腹に、身体は凍り付いたように動かない。そして彼の意識もまた暗闇の中に溶けてゆく。 その刹那に交差した思い出。 血が滲んだ胸、贖罪(しょくざい)の瞳。 濡れた落ち葉のように、張り付いた記憶が重なり更に彼を苦しめる。 「そんな当たり前みたいな顔すんなよ!」 結果としてデリスは死の淵から呼び戻された。 けれどその代償のようにトウキは夜が明けるまで苦しみ続けた。 それなのに何故まだ笑みを自分に向けられるのか、怒る事も責める事も避ける事もせずに。 それ程の何かを自分がしたとでも言うのか、命を費やしてでも助けたい相手。 「俺は・・・・・俺がそんな人間なわけが無いだろ! 」 自分の両の腕を見ながらデリスは顔を歪める。見えない返り血がそこから(したた)り落ちている気がした。 (デリスさん・・・・) ようやく理解できた。出会った時から見ていたあの感情めいた瞳が何を意味しているのか。 後悔と怯え・・・・生きている事への苦しみ。 (・・・・・・) 目を閉じ、心に湧く気持ちを見つめる。 この想いを伝える事が出来たならば。自分がどれだけ彼に感謝しているのか伝える事が出来たなら。 手を(こまね)いて後悔するなら手を差し伸べて後悔したい。それは他でもない彼が教えてくれた事だった。 彼を助けられた事が嬉しい。 それが迷い続けたトウキの中にあった確かな答えだった。  そして、何よりも― 「っ・・・・! 」 トウキの小さな手がデリスの頬に触れる。驚いて顔を上げると柔らかな微笑とぶつかる。 (生きていて欲しいです) 例えそれが彼の意思に反する我儘な願いでも、堕天使としての存在を否定する事になろうとも。 今の苦しみも憤りもまだ諦めきれていないからだと、そこにある微かな希望を信じているからだと思う。 だから生きていて欲しい、許されるならいつか闇の合間から差し込む貴方の光を傍で見ていたい。  トウキの手を包み込むようにデリスの手が重なる。 虚ろな目で赤い瞳を覗き込むとトウキはにっこりと笑う。神聖ささえ感じられるその笑みは凍りついた悪夢を溶かしてゆく。 (消えませんから) 貴方が傍に居る事を望んでくれるなら。 重ねた手を握ったままデリスはその笑みに見入る。 嗚呼、そうだ。この少年はあの時も微笑んでいた。欺瞞(ぎまん)でも哀れみでも無い、唯デリスが生きている事を喜んでいる素直な笑み。 「・・・・・! 」 重ねた手を今度は強く握るとデリスは屈み込み自分の唇をトウキの唇に重ねる。  ほんの数秒、それでいて永遠の様な感覚の中で確かに2人の熱が触れ合う。 「・・・・っいや!これは・・・っ・・・そのっ!!! 」 「・・・・? 」 一瞬の沈黙の後、自分のした事に驚いて慌てふためくデリスをトウキは不思議そうに見上げる。 「だから・・・・っ! 」 「?」 自分でも整理の付かない思考でしどろもどろしている。 笑顔がかわいくて、けれどそれ以上に愛しさが溢れて。 「ふざけてとかじゃなくて・・・・・!!」 感情に考えが追いつかない。 それでも答えは出てくる。 好きだと言う事。 「俺は・・・・・お前がっっ!!」

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