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第11章~名無しのパヴァーヌ(前)~

深いまどろみ― 柔らかな世界― 優しい指先が頬を撫でる― 自分に向けられる暖かな眼差しと微笑み― この人は・・・・・・・・ (お父様・・・) 眠りに支配されたまま瞼を開く。 「ん?起きたか 」 そう声を掛けられて中途半端な覚醒から一気に意識が浮上する。 「??? 」 慌てて飛び起きた手にベッドの柔らかな感触が触れるが、頭の中は今一つはっきりしていない。  此処は何所、だったろうか? 「別にそんな慌てなくても何もしてねーよ 」 呆れたようにデリスが言う。彼は傍の椅子に(もた)れて考え事をしていたようだ。そこでやっと意識もしっかりとしてくる。  カッセキ達と別れて三日、徒歩と野宿を繰り返し漸く此の町まで来たのだ。この「ペオノール」に。  案内されたホテルの豪奢な一室でデリスとダツラが依頼の話をしているのをぼんやりと眺めていた。覚えているのはそこまでだった。どうやら自分はベッドで背伸びをしたまま眠ってしまったらしい。 (ごめんなさい・・・・!) 申し訳ないのと恥ずかしさでトウキは小さくなってしまう。 「気にすんな。俺も・・・・無茶させ過ぎた 」 そう言うと気恥ずかしいのかデリスはそっぽを向いてしまう。  あれは寝惚けていて見間違えたのだろうか目覚めた時に彼は・・・・・ 「デリっさん・・・。いいかげん解いて貰えませんか? 」 何故かそう文句を言うダツラの声は下の方から聞こえる。見れば紐やら何やらで雁字搦(がんじがら)めにされたダツラが床に転がっている。 「黙れ。変態アンドロイド! 」 どうやらトウキが眠っている間に色々しようとしたダツラをデリスが全力で止めたようだ。 「自分だってずっと寝顔見てたクセに・・・・・・・視姦魔・・・・ 」 「聞こえてんだよっ!変態!! 」 呟いたダツラの言葉に怒髪点を付いたデリスが(もた)れていた椅子を高々と持ち上げる。相手が身動きが取れなかろうが容赦はない。 「解せねーな 」 「何が?」 温めたミルクティーをマグカップに注ぎながらダツラは聞き返す。簡易的なキッチンまで付いている辺りホテルと言うよりはマンションの一室に近い。 「この状況が、だ 」 この状況下と言うのは、トウキにマグカップを渡すついでに極自然にダツラが額を合わせている事では無い。いや、それもかなり問題なのだが。 「だからどこでも欲情すんじゃねーって!何度言わせんだっ! 」 ネックレスのチェーンを掴んでダツラを部屋の端まで引き()って行く。 「ゲホッ・・・・酷い 」 大げさに首を摩りながらダツラが文句を言う。ヘッドに付けられた、黒い十字架の上にいる鴉も心なしか彼を睨んでいるように見えた。 「胡散臭いんだよ。依頼内容が 」 今回この町まで来た理由。依頼された内容はとある人物の護衛。 それ自体は別段珍しくも無いのだが詳しい事はこの町に着いてからという事になっている。 それでいてのこの高待遇にデリスはいぶかしんでいたのだ。 「良いんじゃない?くれるっていうんだから甘受しておけば 」 目の前の男の発言を然して気にも留めずにダツラは(うそぶ)く。罠があるなら罠ごと破壊する。デリスは元来そういう人間だ。彼らしからぬ言動はヒト特有の心境の変化だろうか。 「それに、この町も平穏無事って訳でもなさそうだよ? 」 酷く楽しげにダツラはそう言うと小さな紙包みを取り出す。 「あ? 」 折りたたまれた薬包紙には瑠璃色の粉が包まれている。 「さっきそこで貰ったんだけど」 指先で(もてあそ)びながらダツラは笑う。貰ったと言うのは正しい表現ではない。(かす)め取ったか奪ったかで手に入れたのだろう。 「最近出回っている合成麻薬だね。自生している植物から採れる化合物を少しイジるだけで出来るから低コストで大量に生産できる。短期間で広まった理由はそれなんだけど・・・・ 」 そろそろ話に着いていけなくなってきたデリスを無視してダツラは続ける。 「効果は覚醒と筋収縮。基本は経口での服用。静脈注射ってのもあるけど濃度調節が難しくてショック症状を起こしやすい。依存性も強いけど服用を続けていると痛覚の消失と筋力の増加が現れる・・・・・・何か気付かない? 」 専門的なダツラの説明口調に耳を塞ごうとしていたデリスはそう言われて考えるが、いったい今の話の何所に焦点を合わせればいいのか検討もつかない。 「狂戦士。倒されても倒されても立ち上がってくる木偶(でく)人形 」 頭を抱えて考えあぐねていたデリスはその言葉に目を見開く。 ダツラの一言で記憶の糸が繋がりあの時の事を思い出す。  肩口を刃で(えぐ)られても尚、顔色一つ変える事無く向かってきたケイガイ―  あれがその薬による作用だとしたら―?  痛みを感じない体、失う事の無い意識。 「ちなみに、このクスリはある教団が広めたってウワサがあるけど・・・・」 「あの3人がそれと関係してるって言うのか? 」 「まあ、それはこれから調べるけど。もしかしたらトウキ君と何か関わりが出てくるかも? 」 そう言ってダツラは視線を向けるが、デリスは益々(いぶか)しむ。 今の彼にとっては突拍子も無い話に思えた。けれども鈍く霞む記憶の中でケイガイが何かを言っていた気もするが、それが今回の事と何か結びつくのだろうか。  記憶の糸を辿ろうとするデリスをよそにダツラは妖しげな笑みを浮かべる。 「もう一つ言うと、微量で使うと催淫効果もあるんだよね」 呆れたデリスが閉口する。この男の好きそうな話だ。 「と、言うわけで 」 「?」 「トウキ君の紅茶の中に入れてみました! 」 「ストーーーーーーーップ!!! 」 ダツラが全てを言い終わる前に、比喩を抜きにして絶叫と共にデリスがトウキの元へ素っ飛んで行く。 「!!! 」 カップいっぱいに注がれた紅茶を冷ますのに苦労していたトウキは、ようやくく飲もうと口を付けるが寸での所でデリスの手がカップの口を塞ぐ。 おかげで紅茶は飲まずに済んだもののトウキはデリスの手に口を付けてしまう。 (デリス・・・・・さん?) 先程の会話を聞いていなかったトウキは不思議そうにデリスを見上げるが、彼自身は部屋の端から端まで全力疾走したため息を切らしている。 「・・・・・なんちゃって(;^^)ヘ.. 」 懸命にダツラが可愛らしく弁明したが、その一言でデリスの怒りが沸騰する。 「ぶっ殺す! 」 改良されて重くなった筈の剣をデリスは片手で軽々とダツラに投げ飛ばすと、それだけでは怒りが収まらずに殴り掛かる。 (お二人とも・・・ケンカはダメですよ) 事の成り行きを知らないトウキは、訳が分からぬままどうにかデリスを止めようと必死になる。どう考えてもこのままでいくと部屋が崩壊しそうだった。

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