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第12章~歪なメヌエット(後)~

「・・・・・ 」 (かす)れていた意識の中でトウキは目を覚ます。 冷たい床が肌に触れる。ここは何所だろうか。身体を投げ出していた床から起き上がると辺りを見回す。 鉄板を引いただけの床、心許無い天井からの明かりが窓の無い無機質な部屋を照らしている。 その為か何となく息苦しさを覚える。 (デリスさん・・・・) あの時、咄嗟に防壁の力を使ったものの彼は無事だろうか。それにダツラは、アンドロイドであっても無事で無いとは言い切れない。 (助けたいのに・・・・力になりたいのに) 堕天使の存在を捨てても守りたいのに、神に背いた存在で有るが故にその力は他の天使よりも弱い。 ならば、自分は何者なのだろうか。 たゆたう世界の流れに憂いてみても微細な事一つ変えられずにいる。 それどころか偽りの自分を保つのに精一杯で、優しく手を差し伸べている相手に身を任せ甘えているばかり。 (とにかく、ここから逃げ出さないと!) ここから抜け出して2人の元へ戻らなければ。 そして本当の事を・・・真実を2人に告げなければ。 「・・・・・! 」 不意に自分に纏わり付く視線を感じる。 見えない手の様に体中を這:(は)うその感覚は耐え難い恐怖と成って息を詰まらせる。 意を決して振り向くと先程見回した時には誰も居なかった筈の場所に1人、青年が椅子に腰掛けている。 トウキより年上に見えるが何所となく成人しきれていない印象も受ける、もしかしたらデリス達よりも年下なのかもしれない。 晦冥(かいめい)を思わせる黒い瞳と目が合うと、青年は目を細めて微笑む。 「おいで 」 凪の海の様な穏やかな声でそう言うと、青年は病的なまでに白く細い手をトウキに差し出す。 「っ! 」 その瞬間心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走る。体温が一気に下がり身体が震えてくるのが自分でも分かる。 逃げなくちゃ―  理屈では片付かない答えの無い恐怖に本能がそう叫ぶ。それなのに― (嫌っ・・・・・・) トウキの足取りは青年の方へと向って行く。どんなに心の奥底で拒んでも引き返す事が出来ない。頭と心と身体がバラバラに意思を持ってしまったみたいだ。  近づいたトウキの両手を青年が細い指で包み込むと震えに耐え切れず膝から崩れ落ちてしまう。 (ひざまづ)く姿になったトウキを青年は穏やかな眼差しで覗き込む。漆黒の短い髪が音を立てて流れ落ちる。 動作の一つ一つがゆっくりとトウキの瞳の奥に刻み込まれてゆく。 視線から逃れようと目を逸らすと襟元に付けられたピンに気付く。一つ目の梟が鋭い爪で百合の花を掴んでいる。 (あれ・・・は) どこだったろうか?大きさは違うが同じような物を見た事がある。 「-?」 考え込むトウキには気付く事が出来ないでいた、漆黒の欲望が自分を包んでいる事に。 ベルトを外す硬質な音が響く。 (あっ・・・!) そういえばジギタリスに羽交い絞めにされた時に、どうにか抵抗しようと藻掻いたトウキの手が偶然にジギタリスの首に掛かっていたネックレスを弾き飛ばしたのだ。 その時に見たのがピンと同じ紋章のヘッドだった。当て身を喰らわされ一瞬見えただけだったが、間違いない。 「君自身の答えは見つかった? 」 (え?) 心を読まれたような問い掛けにトウキは驚いて息を呑む。 その瞬間に青年の指がトウキの顎を掴み自分の元へ引き寄せると、露にした青年の精器を無理やりトウキの口へと押し入れる。 「っ!っ! 」 突然の出来事に理解が出来ず、地面に落ちた雛鳥の様に暴れ藻掻くが青年の指は強くトウキの顎に食い込み動く気配さえ無い。 口内を支配され舌を押さえつけられている為、溢れ出た唾液が喉を伝い落ちてくる。 (やめっ・・・・やめてっ!!) 無我夢中でポケットから真鍮製の棺を取り出す。 されている行為よりもこの青年が持つ、圧迫感に気が狂うほどの恐怖をトウキは感じる。 逃れられるならば例え彼に堕天使の姿を見せようと構わない。 だが― (嘘・・・・) どんなに強く願ってもプラチナの針が剣に変わる事も無ければその姿が変わる事も無い。 幾度試しても握り締めた針は何の反応も示さない。 まるで強い力に拒まれているかのように―  けれどそんな事が出来るのはこの世にたった一人しか居ない。 (・・・・そんな・・・) 震えは体中に広がり思考はいよいよ混乱を来す。 辿り着いた結論と、それを否定しようとする想いが何度も頭の中で交差する。 ―堕天使の力を無力化出来る人物。  一瞬青年が頬を引き攣らせた笑みを浮かべた気がした。 「っっっ!」 銜えさえられていたものを更に喉の奥へと押し込まれる。 反射的に嘔吐くよりも早く熱を帯びた液体が流し込まれる。 喉が、胃が焼け付くほどに熱くなる。多量に溢れ出た液体は嚥下しきれずに口の中までも満たしてゆく。 「フフ・・・・ 」 喉の奥で一度小さく笑うと青年は掴んでいた指を離す。支えを失い糸の切れた傀儡の様にトウキはその場に倒れこんでしまう。 「ゲホッ・・・・ゲホッ・・・・ 」 咽込む度に口から白濁の液が地面に落ちて行く。身体の内側が火で焼かれたように熱い。  けれどもそれ以上に、トウキの頭の中を焼き尽くした考え。 どんなに否定しても出来なかった答え。 「お父様・・・・ 」 呼吸が整うよりも先に、言葉を失った声なき口はそう確かに動いた。

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