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第2話

 いいことがあった。  思わぬ話から三年担当しているクライアントとの追加発注ができた。  生産効率がこのまま安定すれば同量の発注を今後継続してくれるという。  そして、七年目にして顔だけ知っていた同期と、初めて話すことができた。同期会などにも今まで参加することはなかった保がどんな人間なのかずっと気にはなっていた。  眉を数ミリさえ上げなさそうな固定された表情の中で何を考えているのか、興味があったのだ。  普段匡樹は営業畑にどっぷりなので、いったん口を開いたら何時間でも話題がつきないような人間たちに囲まれている。ゆえに必要最低限だけ話す男が新鮮だった。  しかし言葉の選び方は的確で、信用できた。ちゃんと話し相手の質問が終わるまで待って、静かに回答を持ってくる。世間話の最中でも、自分の話題は出さずに、軽く頷くだけのリアクション。営業をしているとどうしてもキャッチボールのテンポを重要視することから沈黙が苦手なプレーヤーが多い。  かくいう匡樹も五秒でも間が開くとそわそわしてしまう。そういった焦りが保の会話のリズムには一切見えず、清々しかった。  容姿も同様、無駄を嫌うはっきりとした物言いに似てさっぱりしているのに、顔面に視線を引きつける魅力が要所にちりばめられている。  例えるなら複雑な一枚のプレート料理で、なにがそんなにおいしいかはっきりとわかったときにはもう食べ終わっているような、不思議な顔立ちをしていた。  いい機会なので、今度飲みにでも誘ってみようと思う。  保に会った三日後、契約を取り付けた先方から午前中電話があった。  山本繊維で出た異物混入の原因が判明したらしい。しかし機械の復旧が難航しているという。気になって山本繊維の担当に電話をかけてみた。  以前ファストワールドの取引先をいっぺんに招いた立食イベントで一緒になったとき、匡樹と同じ立場に当たる営業担当と名刺交換をしていたのだ。  電話口から聞こえる営業担当の声は疲労困憊していた。  話を聞くと、故障した機械の内部部品がタイミング悪く製造元にも在庫がなく、不幸に不幸が重なっているらしい。  ふと保との会話を思い出す。  そういえば、機械部品をうちも確保していると言っていなかったか。携帯をいったん切って固定から内線をかける。 『はい、お電話代わりました一色です』  保の声音は電話口だと更に低く抑揚がない。無理めな頼み事だとわかっていて、若干尻込みしつつも切り出した。 「あ、一色さん? この前の異物混入の件なんですけど…もしよかったらでいいんですが、ちょっとお願いがありまして。もしよかったら」 『なんですか?』 「トヨアケの機械部品、うちにも在庫あるってこの前言ってましたよね。それで、よろしければお借りできないかなと」 『なぜでしょうか』 「えっと、山本繊維さんで至急必要な部品が手元にないらしくて、うちの在庫部品でまかなって復旧できないかなあと思っていて」  電話口の相手が一瞬静かになった。 『それをすることで、うちに何か利益はあるんでしょうか』 「直接的には、ないですね」 『でしたらお断りします』  きっぱり。開封箇所が見つからないぴっちりとビニールで封をされた雑誌みたいにとりつく島のない回答だ。 「そこをなんとか! できる限り早くお返しするので」 『嫌です。確かに部品の在庫はありますが、他社に塩を送るために抱えているわけではありません。うちに利益が保証されている稼働率アップの要望とは訳が違います』 「それは重々承知していますが、困ったときはお互い様じゃないですか。今度こっちに問題が発生したとき、助けてもらえるかもしれない。無理を言っているのはわかってます。ですがどうか、お願いします」  見えないとわかっていて頭を下げる。  誠意よ伝われ。  気まずいほどの無言の後保は、受話器からその風を感じれそうなくらい大きくため息をした。 『…わかりました』 「やった! ありがとうございますっ」 『ですが搬送などはこちらからいたしません。そちらで勝手に持ってくなり送るなりしてください』 「はい、二時までには伺います」  あちらの営業担当に再度電話をかけると、泣きそうなほど喜んでいた。  匡樹もほっとして早速出る準備をする。  半分賭けだったが、承諾してくれて正直匡樹自身もびっくりしている。冷徹そうに見えて、案外情に訴えかけると響くタイプかもしれない。  一色保という男に俄然興味が湧く。  

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