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第3話
匡樹が生産工場にやってきたのは指定した時刻の十分前だった。
「一色さん、度々本当にありがとうございました。これ、皆さんで召し上がってください」
差し出される菓子折を保は受け取った。見れば女子に人気な有名菓子ブランドの詰め合わせだ。わざわざデパ地下で買ってこちらに足を運んだのだろうか、本当に律儀が服を歩いている。
「部品、送るなら当然ですが着払いにしてくださいね」
「あ、僕が直接持って行きますので大丈夫です。ちょうど担当先が一件、道中にあるんですよ」
ということは、敵の陣地に武器を贈呈しにいくわけだ。どれだけお人好しなのか。
「そうですか」
「それで、ですね。個別のお礼と言っては何ですが、二人で飲みに行きませんか? 後日改めて」
「お断りします」
「きっぱり言うなあ」
間一髪入れず断ると、参ったとでも言うようにこめかみあたりを掻いた匡樹は、それでも引き下がらない。
「じゃあ近場の部署で、四人くらいならどうですか?」
「特に親しい方も周りにいませんので、それも結構です」
「うーん、ファイナルチャレンジ! 三週目の金曜に僕が企画した同期会があるんですが、それに一色さんも参加しませんか? 参加費はもちろん僕が払うので」
そんなところに行っても楽しくもなんともない。しかも規模がより鬱陶しい方向にステップアップしているではないか。なんでそんな行事参加させられよく知りもしない同じ年に入社したというだけの集まりに混じり談笑せねばならないのか。こんなことなら電話の段階で頑として断っておくべきだった。下心のない、まっさらな強い意志に触れる機会が久しくなかったので、電話口でお願いされてつい流されてしまったのだ。
清らかなものには特殊なエネルギーが内包されていて怖い。
そのエネルギーを浴びると、自分が本当にやりたいことなのかどうかは置いといて、なぜかその行為や気持ちに沿うのが正しいと思わせてしまう魔力があるからだ。
ほだされてしまった気の迷いを今更取り返したい。
「いえ、どんなお誘いもお断り致します。本当に礼には及びませんので」
「二回もお世話になったのに、このまま終わりになんてできません。良い肉の一枚でもなんとか一色さんに食べさせないと、僕の気が収まりません」
押し問答をしていると事務所にタイミングよく部長が入ってくる。よし、話題を変えてこのまま逃げ切りたい。
「部長、喜久川さんからお菓子を頂きましたよ」
「わあ、ロイス・ド・パリですか? うれしい。私甘いもの大好きなんですよ」
「マドレーヌもあるようです」
「マドレーヌ! わざわざ買ってくれたんですね、申し訳ない」
「とんでもない、これくらいじゃ一色さんに感謝しきれません」
嫌みなくらい嫌みじゃないやつは部長に頭を下げた。
「で、なんでそこで言い合ってるの?」
「なんでもないです」
「佐上部長聞いてくださいよ、一色さんをお礼の印に同期会にお誘いしているんですが、なかなか来ると言ってくれなくて」
せっかく部長の好きな甘いものの話でまとめてさっさと帰らせようとしたのに、保の魂胆通りにはならない。
「あらあ。いいじゃない、参加したら。一色くん、そういう交流もたまには必要なんじゃない? いっつも土日は大抵家にいるんでしょうに」
無害な上司にはそこそこ気を許していて、干からびた面白みのない日常をあえて隠すことはなかった。しかし今思えば週明けに繰り広げられる休日の活動報告なんか嘘八百並べておけばよかった。
「ですが…」
「じゃあゲームしようか。一色くんの同期のフルネーム十秒で五人言えたら拒否権を与えましょう」
「わ、それ名案ですね!」
手をたたいている匡樹と笑顔の部長を見比べ保は苦虫を噛みつぶす。
「じゃ、はいスタート」
「…赤坂健太、伊藤孝夫、斉藤一馬、福原真紀、三宅夏美」
「喜久川くん、どうですか?」
「見事に一人も存在しませんね」
「じゃあ、喜久川くんの勝ちー」
佐上部長は暢気に匡樹の方の手を上げてみせ勝敗を示す。
そもそも、はなから負けるに決まっている戦を課すなど、部長も意地が悪い。味方だと思っていたのに。
「ばっくれちゃだめですよ、開催後に裏取りますからね」
「一色さん、早速待ち合わせ場所とか送るのでID教えてください。いやー本当によかったよかった」
全然よくない。
保は不機嫌を隠しもせず、渋々スマホを取り出した。
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