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第4話

 暖かく動きやすい格好、との指定にはずいぶん困った。  動きやすいというのがどの程度を指すのかインドアで交友関係がほとんどない保は判断基準を持ち合わせていない。  登山靴を履けばいいのかはたまた防寒対策にロシア人のような毛皮に覆われたパイロットキャップでもかぶればいいのか。さすがに雪山に連れて行かれることはないだろうと、悩んだ末長め丈のチェスターコートを羽織り、首をすっぽり埋められるボリュームのあるニットマフラーをぐるぐる巻き付けた。左小指のテーピングも、しっかり一周させて隙間が生まれないように上からぎゅっと押さえつけた。  待ち合わせ場所の駅には計算して時間ぎりぎりに到着した。  匡樹が遠くから保を見つけて大きく手を振る。見ればグレーのダウンジャケットにパーカーを合わせていて、足下はワンポイントの赤いスニーカーだった。私服になるとスーツよりぐっと見た目の年齢が下がる。  それよりもよかった、登山靴じゃない。 「わあ、ほんとに来た!」 「頭数に入れてなかったなら、帰っていいですか」 「うそうそ、来てくれて嬉しいです、ありがとう。気が変わらないうちに行きましょ」  参加人数は保を含め十人で、決して仲が良いことはないが七年も働いていればさすがになんとなく顔と所属部署くらいはわかる。匡樹が幹事だというので営業が多いのかと思えばそんなこともない。  顔が広いようだ。  どこに行くかと思いきや、なんと黒いハイエースが一台登場する。  言われるがまま匡樹の運転する車に全員で乗り込んでみれば、一時間ほどでキャンプエリアに到着した。どうりで朝集合なわけだった。  サイトにはカラフルなガーランドが木々を縫って張り巡らされ、アメリカ先住民の家よろしいおしゃれな一本柱の布テントが点在する。  どうやら少し前から認知度を獲得しているグランピングの場所らしいが、そんなことはどうでもよく保にはとにかく居心地が悪すぎた。キャンプサイトなど中学生の校外学習以来、来ていないし、何より場の和気藹々とした雰囲気に気後れして、保はひとり場違い感に襲われていた。  案内された場所には既に炭と食材以外全てのバーベキューの用意がセットされていた。あとは火を炊いて食材を食べるだけだ。  まあ最初から、半ば無理矢理連れてこられただけだしな。早くも開き直ってとりあえずの乾杯が済んだら準備の輪には参加もしないで布製のアウトドアチェアに座る。見物客よろしく火起こしを眺めた。  グループの中でやはり匡樹は仕切り役で、あれやこれや指示したり必要なものを供給したり、大きい男がてきぱきと誰よりも動いている。そしてひとが集まる中心に匡樹がいた。  クラスの一軍って卒業してもこうやって輪の真ん中に居続けるもんなんだな、と無感情に新種の動物を見るかのごとく観察していた。学生の時同じクラスになったとしても一年間話さなかっただろうと自信を持って言える、保の生活圏からはかけ離れた性格だ。 「一色さん、肉できてるよ。こっち来てー」  しかし保とていい大人、社会人生活で無理矢理育んだなけなしの社交性くらいはある。おとなしく火元に行くと香ばしくて大きい肉が焼けていた。 「はい、どうぞ」  切り分けた肉を渡された皿の上に匡樹が乗せる。一口頬張ってみると肉厚で、澄み切った空気の中で食べるからなのかなかなかおいしかった。 「いける?」 「…はい」 「ほんと? よかった。一色さん来てくれるっていうから肉のグレード上げてみたんだー」  乗せる、食べる、また乗せる、乗せる。 「ちょっと、わんこそばじゃないんだから、自分で食べれます」 「そう? 遠慮なく、いっぱい食べてね」  調理用の火とは別で、大きめの焚き火台では赤い炎がめらめら燃えていて、近づけば意外に冬でも寒くなかった。冬の露天風呂の原理だろうか、頬を刺す空気の冷たさをしのいで足下の火に暖められていると、普段の生活にはない暖かさにありがたみを感じた。都会の喧噪の中で生まれ育ち、ボタン一つで人間の適温まで一瞬で暖めてくれる家電製品に囲まれて暮らしているからこそなおさらこの小さな非日常が珍しい。  なるほどこれが経験したくて人間はわざわざ自然を体験しに行くんだな、と分析してみる。ダッチオーブンでは魚介の鍋が食べ頃の匂いで湯気をたてており、スープを一口飲めばこれまた身体の芯から温まる。  学級委員気質かというとそうでもなく、匡樹は保を無理に輪に入れようとはしないで、好きなようにさせていた。だから変に話さなきゃという気負いもなく、周りとは思いの外自然に接することができた。  もし匡樹に転校初日のクラスメイトみたいに接されていたら、意地でも馴染まなかったかもしれない。  ダッチオーブンを大人数で囲んでいると、物流の斉藤と名乗った女が空のコップを持ちあげた。 「そこにいる一番イケメンくん、赤ワイン入れてー」  ドリンク台はちょうど保の背後に位置していた。  見れば匡樹は少し離れた網の肉を焼くのに集中しているし、輪の中を見渡すと三人男がいたが保の右隣が一番顔面が整っていると思ったのでワインボトルを持ち上げその男に渡した。 「はい」  保以外の全員が顔を見合わせ、はじけたように笑い出す。 「え、俺がイケメン金メダル? やったあー」  ボトルを渡された男もボトルをトロフィーのように持ち上げながら腹を抱えている。 「あ、ごめん、そういう意味じゃ」  瞬時に男たちの顔レベルをジャッジしてしまった。言い逃れはできないが一応謝ると、更に爆笑を誘う。 「いやいや、そこじゃなくて!」 「ナンバーワン、君君!」 「なんで自分をカウントしないかな」 「え、俺?」 「いや明らかでしょ! 一色さんってとぼけてるねー」  見れば肉の番人をしている匡樹もトングを持ちながら笑っている。改めてボトルを授与され、なんだか釈然としないまま差し出されるコップに注いだ。  ちびちび食べながらアルコールを摂取していると、ほどよく満腹になったのでちょっと離れたデッキスペースの喫煙グループと交じりタバコを取り出した。 「わ、一色さんも吸うの?」  移動した保を見つけ、匡樹が声をかける。 「なんで」 「なんか、吸わなさそうだったから。顔の綺麗さに比例して肺が一切汚れてなさそう」 「どんなイメージですか」 「てかよくないよ、タバコ。一本吸うと寿命が十四分縮まるんだって。馬鹿になんないでしょ、ひと箱で四.八時間も命削っちゃってるなんて」  周りにいた喫煙組がうんざりといった表情で「出た出たー」と冷やかす。 「喜久川の布教活動が」 「はいはい今度は何? マクロビオティック、ヨガ、漢方あたりやったもんな」 「俺この前こいつのデスクで鍼灸の本見つけちゃった」 「あーそっちかあ」  きょとんとする保に一人が匡樹を指さして教える。 「こいつ、健康オタクなの。酒もタバコももちろんしないし、内勤の日は食堂でいっつも女子に交じってサラダランチなんてしけたもん食べてんの」 「ふーん」  説明するからかい口調に悪意はない。  その朗らかな周囲の視線も含めて保は静かに苛立った。そう、この間からずっと面白くないと思っていたのだ。友達も多くて、結婚もして、明るい陽の光に照らされた輝かしい男の人生にふさわしい、実に浅はかな意見だ。きっと悩みなんてないに決まっている。  保は無意識に左手の爪の部分を触る。  朝巻いたテーピングはしっかりと肌に密着していて、その下に潜む爪の形は用心して触らないと自分でもわからない。 「健康オタクで何が悪い。だって、死ぬまで願わくばぴんぴんしたおじいちゃんでいたいじゃん?」  お気楽な思考回路だな、と保は意地悪な気持ちになって肺一杯吸い込んだ紫煙を匡樹に向かって勢いよく吐き出した。 「そんなん自分で決められるもんじゃないし。肺がんじゃなくても飲み過ぎで肝臓がんになるかもしれないし、脳卒中で倒れてそのままさよならかもしれないしもしくはここの帰り交通事故で即死かも知れないし」  いつ何で死ぬかなんてわかりやしない。身体に良いことしてたら長生きできるなんて誰が決めた。 「そう、何が起こるかわかんない。明日にはこの世にいないかもしれない。でもいるかもしれない。確率って俺、同じだと思うんだよね。だからこそできるだけ生きてる間はそこそこうまいもん食って、楽しく暮らしてたいのよ。明日に繋がるようにさ」 「じゃあ僕だって、楽しく過ごすためにタバコが必要ですね」 「うん、そりゃそうだ」  この手の話題に平和な和解はない。喫煙者は身体に悪いと百も承知でそれでも嗜好品として嗜んでいるからだ。  どろどろの論争になるかと思いきや、あっさり匡樹は引いた。 「別にやめろって強いてるわけじゃないよ。もちろん大前提は個人の自由。良くないよって、ただそれだけ」  言い終わったら、にかっと笑う。険のある保の物言いなどまるで気にしていない。臨戦態勢だった保は毒気を抜かれひとりで拍子抜けする。 「だから個人の自由で針だ漢方だの眉唾ものにも、手を出してるってことですか?」 「そうそう。でも東洋医学って馬鹿になんないよ。全然眉唾じゃないから。例えばね、一色さん舌べえって出してみて」 「やです」  きっぱり断ると、匡樹が喉でくくっと笑う。 「なんですか」 「いやね、一色さんの断り方、この前からすっげー爽快だから、聞いてると気持ちよくて」 「アナタが拒否られている張本人ですが」 「まあまあそう言わず。ちょっとでいいから。ね」  しかしやっぱり引き下がらない。ダメージも受けていない。しょうがなく、くわえていたタバコをぺっと吐き出し舌先を見せる。 「なるほど。一色さん、体力がなくて疲れやすい体質じゃない? あと貧血ぎみ。どう、当たってる?」  当たっていた。持病といえるのかわからないが、特に貧血にはずっと悩まされていて、通勤途中電車の中で唐突にぶっ倒れることが年に何度もあった。 「どうしてわかった?」 「舌って、目に見える内臓って言うじゃん。色がうっすら白いと、血液が足りてない証拠なの。これ、立派な舌診っていう東洋医学の一種だよ。ちゃんと症状に基づいて診断してる」 「ふうん」 「って全部本とかかり付けのお医者さんの受け売りなんだけどさ。今度かかってみる? 結構有名な先生だから効くと思う。いつでも紹介するよ」 「いえ結構です」 「すげえー。俺たちも診断してよ」  やりとりを見ていた他の男たちが今度は一斉に手を上げる。 「はいはい。あー、樋口は髪のセットが3Dすぎ、胃が弱いね。柴田はスーツのポケットにもの入れすぎ、肩が凝ってるだろ」  あるあるネタなのか周囲が頷きながら笑っている。 「いやおかしいだろ」 「全然ベロ関係ねーじゃん」 「ほんとだって、何でも診れちゃうんだから」  そんなやりとりで匡樹は始終周りを和ませていた。  保は横にいた斉藤に聞いてみる。 「みんなでよく集まってるんですか?」 「そうだねー不規則に、大体いつも喜久川発信で。前回は年末スノボ行ったよ」 「おなじメンバーで?」 「ううん、顔ぶれはころころ変わるよ。規模も色々だし。今日は小さいくらいかな。でもこうやって率先して交流会してくれるとありがたいんだよね、社外で親しくなると仕事もやりやすくなるし。なかなかない行動力、すごいなあっていっつも見て思うわ。喜久川の電話番号知らない同期っていないんじゃないかなあ」  よくやるな、の一言に尽きる。 「ここに一人います」 「あはは、そうだった。私一色さんってこういう集まり来なさすぎるから一個上だと思ってたもん」 「なになに、俺の噂話?」 「そう、喜久川の悪口言ってたの」 「ひどいなあ。あ、そういえば山本繊維さん、問題解決したんだって。部品ももう届くと思うから直接工場に送っといてもらうね」  そういえばそんなきっかけで今日ここにかり出されていたんだと思い出す。知らぬうちに匡樹の生み出す波にどんどん巻き込まれている。すごい影響力だな、とは関心する。  ハンドルキーパーだからもちろん当たり前だけれど匡樹はひとりしらふで、最後まで場を見守ったり盛り上げたり忙しそうにしていた。帰りの車に揺られていると、行きしに抱いていた匡樹に対する批判的な棘はいつのまにか溶けていることに気づく。  家に帰ると、沢山話した反動が一気に押し寄せ、上着を脱いだらベッドに倒れ込んだ。  集団行動が大の不得意なのによくやったな、と今日ばかりは自分を褒めてやりたい。  行く前は気が重くてしょうがなかったけれど済んでみれば意外と悪くない一日だった。それは匡樹の配慮が行き届いていたおかげなのだろうと、不本意だが認めることにした。今日一番会話した匡樹の声が耳の奥に音の残像で残ったまま、保は少しだけ居眠りをした。     

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