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第13話
久々の疲労感に抗えず、保の狭いベッドで少しだけ眠った。
起きたとき、換気扇の下の保をぼんやりと月明かりが照らしていた。もう暗いのに、寝ていた匡樹を気遣ってかライト一つ点けていない。タバコを吸う保を久々に目にした。
「ごめん、俺どれくらい寝てた?」
匡樹に気づいて保は火を消す。
「一時間くらい。…水、飲む?」
「うん、ありがとう」
コップを受け取るとき、予想通り保は元通りの冷めた目をしていた。どころか、今までで一番光を宿していないと感じるくらいだった。
着崩れたシャツだけが、二人が交わった証拠を提示している。
フォーラムに行ったのは昼間の出来事なのに、もう数日前のような気がする。
保の泣いた顔も、本気で怒った顔も初めて見た。滅多に表情の変化を出さない保が、本心をちらつかせる瞬間。腕を引いたあの時、自分の為に保が泣いているのだと確信したら、もうたまらなくて抱きしめていた。
だから、平手ではなくキスをされたとき、我に返ってうろたえた。自分の激情がそのまま保に反射してしまったんじゃないかと、焼き付けられそうな視線にひるんだ。
けれども突拍子もない申し出を聞くと、本気で案じてくれているんだった。
乗ることにしたのは、それで保の気が収まればいいと、本当はそれだけで良かったはずだ。なのに、途中から自分でもわけがわからないくらい夢中になっていた。
保の、固くて白い身体に興奮し、満足させたかった。
どうか気持ちよくなってほしいと願いながら、奥を探った。
だって、似ていたから。
初めて好きな人とセックスした時の緊張や純粋な昂揚に。
「よかったね、できるようになって」
「うん、問題なく機能してた」
むしろそれ以上に。
「てわけで一件落着、俺の役目は終わったから。喜久川さんはもう帰んなよ。…自分の家に」
本当にこれが一件落着? 何かがおかしい気がする。いや、きっと何もかもがおかしい。
でも、匡樹が起きたときから頑なな拒絶のオーラを保は身に纏っている。
とりつく島もないまま、仕方なく匡樹は服を着込んだ。
その間も、保はこちらを見向きもしない。
「保が」
「終わったんだから、名字で呼んで」
冷たい声だった。
「…一色さんが、過去の話淡々としてるのとか聞いてさ、今度何かあったら絶対守ってあげたいって思ったり、別れるとき寂しかったり、次会うの待ち遠しかったり。そういうのって俺だけなのかなって思って悲しくなったりしてさ」
「そういう話、今聞きたくない」
「じゃあいつならいいの?」
「いつでも嫌だ」
そうだ、これ以上踏み込んではいけない。だって、こんな関係を続けたところで一色に迷惑がかかるだけだ。事実を志保に隠して、保と身体の関係を今後も結ぶ? ありえない。じゃあ自分は一体何を望んでいる?
保は乱暴にジャケットをこちらに渡す。無言だけれどきっぱりとした帰れの意。初めて保の家を追い出されそうになっている。
「そもそもなんで勃ったんだろう? って、突き詰めていくと俺の為に一生懸命になってくれたり、恥ずかしがってたりした一色さんがとてつもなく可愛く思えて」
「やだ、黙れ、うるさい」
いつかと逆の状況で、保の声が震えていた。
「これから喜久川さんはアパートを解約して『妻』の待つ家に帰る。セックスする。子供を作る。夢が叶う。ここに来るのもこれで最後。こんなことしたんだから、後ろ暗くてもうどうせ俺には会えないだろ。ほら、みんなが望むハッピーエンドだ」
「みんなって、誰?」
「わかんないけど、喜久川さんを囲む色んな人たち。両親とか、妻とか、友達とか上司とか」
「保は?」
そろそろと触られる小指を、匡樹もずっと見つめる。
「保も望むの、そのハッピーエンドを」
「…そうだよ、当たり前じゃん」
急に声が明るくなったのではっとして視線を元に戻したら、保は笑っていた。両目を細め、片眉だけ器用に上げて、歯列を見せる笑顔だった。
「短かったけど、喜久川さんと色んなことできて楽しかった。指のこと、何でもないって言ってくれてありがとう。俺に協力させてくれて、ありがとう」
初めて見る笑い顔。ずっと見たかった最後の保の一面だったのに。でもどうして、こんなにも苦しい。
「じゃあ、お元気で」
保は自ら扉を開け、匡樹の身体を外に押した。
ゆっくりと閉まる施錠の音は静寂な夜に木霊して、耳鳴りとしてこめかみの奥にいつまでも響いていた。
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