あれから数分が経ち顔の熱さをなんとか治めた那智は着替えをするために教室へと向かった。——— のだが、 　「あっれー。ステージで踊ってた２年の子じゃん」 　「おっ、近くで見るとなお可愛い。俺よりも少し背高いけど、」 　階段を上っているとちょうど上から下りてきた３年の男子２組が絡んできた。 　知らない顔ではあったが先輩だということもあり一応軽く頭を下げ２人の横を通ろうとした。 　「ちょっとー。何、行こうとしちゃってんの。もうちょっと俺たちと仲良くお話ししようぜ？」 　しかし通過した途端、腕を掴まれ歩みを止められる。 　「すんません、俺急いでるんで」 　「えー、でももう君のクラスステージ終わったじゃん。ちょっとくらい先輩の相手してくれたっていいんじゃないの」 　「そうそう。ってことで、あっち行こうよ。」 　那智の腕を掴んでいた男は顔を近づけ耳元で囁く。そうして悪い笑みを浮かべた。 　―　これはヤバい。俺、暴力反対。暴力反対。 　「って、どこ触って．．．！！！」 　なんとか逃げられないか、と策を考えていれば何を思ったのか男は那智の内腿を指でスルリと撫でた。 　「あははっ！お前やる気かよ、」 　「あー、なんかこいつならイケる気がするんだよなぁ。つーか、男と一回ヤってみたかったんだ」 　「何言って．．．っ、」 　―　こいつ気でもおかしくなったか．．．？ 　目の前の男の瞳は本気だった。近くにいた男は笑いながらも「その気持ちは俺もわかる」なんて言っていて止めようとはしない。 　悪化する雰囲気に先程とは違う焦りが表れ、背中に冷たい汗が流れた。 　思い出すのは啓吾に無理矢理犯された時のこと。 　目の前の男と啓吾が重なる。 　「い、いやだっ！離せっ、そんなこと俺はしない！」 　心の中にあった恐怖がよみがえり、那智は掴まれていた腕から手を離そうと躍起になる。 　「おいおい、なんか急に暴れ出したぜ？さっきまでの冷静さはどうした、」 　しかし力は空回りし、恐怖で足が竦んでしまい階段にへたり込んでしまった。 　そんな那智の姿を見て2人はクックと笑う。 　「離せ！やめ、ろっ！！嫌だ、いやだイヤ、だ！！」 　もうあんな思いはしたくない。あんなのをこいつらとなんか．．． 　瞳には薄い涙の膜が張った。 　「こんな所で盛ってんじゃねぇよ。クズ野郎」 　「あ゛あ？誰がクズだ．．．って、お前、」 　聞こえてきたのは聞き慣れた声。 　目の前にいた男は声の主を見て固まり、悔しそうに眉をひそめた。 　「．．．啓吾、」 　啓吾はゆっくりと階段を上り、近づいてくる。 　「チッ、おい行くぞ」 　「だぁーっ、またあいつかよ。まじウザい」 　すると目の前の男はあっさりと手を離し、もう１人に声をかけた。そうして鋭く啓吾のことを睨み、バタバタと走り去っていく。 　2人の会話を聞く限り、多分啓吾との間に何やら以前問題があったのだろうことがわかった。 　．．．とは言っても、まさか啓吾に助けられるとは思いもしないわけだが。 　「助けてくれて、ありがとう。」 　とりあえず、助けてくれたお礼は言う。 自身を犯した奴に犯されそうになるのを助けられるなんて．．．世の中皮肉なものだ。 　「別に、」 　啓吾はすました顔でそういい、へたれ込んでいる那智に手を伸ばしてきた。 　だが、その手が前に強姦された時の手と重なって見え、一瞬にして体中に恐怖が走った。 　―　パシッ 　「ぁ．．．」 　気がつけば那智は啓吾の手を叩きはらっていた。慌てて啓吾の方を見るが、那智はすぐに目をそらす。 　眉を下げ、悲痛そうに顔を歪める啓吾。そんな姿を見ていることができなかった。 　被害者はこちらであるのだが、なんとも言えない罪悪感が喉をつまらせる。 　―　違う、啓吾を傷つけるつもりは．．． 　「ごめ．．．ん、その．．．———」 　「あはははっ！何、意識しちゃってるの？．．．それなら、お前の期待に添えた行動をしなきゃな、」 　「け、啓吾！？」 　啓吾は那智の胸倉を掴むと勢いよく上に引っ張り無理矢理立たせてきた。 　そして片方の空いている手で顎を掴むとそのまま唇を押しつけてくる。 　「んっ！．．．ふっ、やめ．．．っ、」 　抵抗の意思を示せば開いた口の中に啓吾の舌が入り、荒々しく蠢く。 　―　また、俺は前みたいなことを啓吾にされるのか．．．？ 　―　ダンッ！！ 　「っ．．．！」 　那智は渾身の力を込めて勢いよく啓吾の胸を押した。しかし、当の本人は一歩後退しただけでとどまる。 　俯くその表情は見ることができなかった。 　「俺のことがムカつくからって．．．こんなことするなよ、」 　訴いかけるように声を張って言う。今の啓吾は那智の知っている親友ではなかった。自分は本当にこの男に嫌われてしまったのだろうか、とそんな思いばかりが頭を占める。 　「．．．好きだからしてるって言ったら、どうする？」 　「えっ．．．？」 　急に、自虐気味にそう言う啓吾に那智は戸惑いを覚えた。 　―．．．好き？啓吾が俺を．．．？ 　「．．．はっ、なんて顔してんだよ。そんなの冗談に決まってんだろ。．．．そんじゃあ、さっきの続きでもしようぜ、」 　「．．．っ、」 　しかしそんな那智を啓吾は笑い、近づこうと手を伸ばしてきた。 　そこにはもう悲痛な表情の男はいない。 　 　「お前、本当．．．訳分かんねぇよ」 　那智はその手が届く前に階段を駆けあがっていった。 　―　悔しいっ、何なんだよ。本当、そんなに．．．俺のことが嫌いか、 　言っていること全てに一貫性がなくまるでおちょくられているようであった。 　そうして那智はその場を後にする。もう振り返ることのないその後ろ姿を啓吾は追いかけることなく見つめ続けた。 　そんな時であった。那智と啓吾はお互いのことを考えるばかりで気づいていない——— 　——— 那智が上がっていくのと同時に誰かが階段を駆け下りていった足音に。