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「こらこら、そんなに急いても駄目だよリュカ。ご覧、ロイランド殿も困ってるだろう。それにね、君たちはまだ婚約関係でしかないんだから、結婚出来るかはリュカの頑張り次第だね」
「はい…すみません。ロイランド様も、お見苦しい所をお見せしてしまって…」
「い、いえ。お気になさらず」
かなり強引に進めようとするリュカを窘めるように、長兄であるジーアが横槍を入れる。というよりかは先程から無駄に顔をニヤニヤとさせていることから、揶揄っているのだろう。腹立たしい男だ。
もとより婚約すら良しとしていない。なんて藪蛇じみたことを言うつもりはないが、ロイランドはもう既に疲れた気分でいた。
そもそも、だ。父であるルドルフに呼び出されたその日から手紙での連絡の取り合いはしていた。
それこそロイランドは一々遣り取りを気にする令嬢ではない上に結婚すらする気は無いのだから不要な産物なのだが、リュカから送られてくる手紙は今日に至るまでにかなりの量があった。
どれもこれも会ったことが無いはずのロイランドを褒めるような、好意を前面に出したアプローチ。ロイランドも初めこそは一国の王子として丁寧に一通一通返事を返していたのだが、次第にロイランドが返事するよりも速く次が来てしまうのだから内心辟易としていたのだ。
実際会ってみれば少し落ち着きのあるようだったから大丈夫かと思ったが、この強引さは間違いなくあの手紙の持ち主だ。
これは早々に自分たちが合わないと認識させなければ。
ロイランドは改めて今後の身の振り方を考え直した。
「しかしお互い打ち解けられそうで安心しました」
にこりと笑うジーアにロイランドは再度どこがだ、と胸中舌打ちする。
先方にロイランドの言動がよく見られるのは構わないのだが、あまり好印象を持たれすぎるのも困る。
「そろそろ二人きりでゆっくりしたいことだろう。城内はご自由に歩き回っていただいて構いません。大してありませんが立ち入り禁止の場所も、リュカが知ってるので問題ないでしょうしね」
あとはおふたりでごゆっくり。そう言ってこの場を去ろうとする二人に客人であるロイランドは待ったをかけることは出来ない。ただ一人、リュカだけが「はい」とどこか嬉しそうに頷いた。
「あらあら、少し遅かったかしら」
しかしそれは柔らかい女性の声によって押し留められた。
女性はいつの間に来たのか、胸の前に手を重ねにこやかに微笑んだ。
「あぁっ、貴方がリュカの婚約者ですね!初めまして、私はリュカの姉のアイリアです。今日は来てくれてどうもありがとう。遅れてしまってごめんなさいね」
「とんでもない。ロイランド・アシュルーレです。こちらこそ、今日という日に出逢えて光栄です」
ぐいぐいとロイランドの目の前にやってきて両の手を握るアイリアに、ロイランドは少し引き気味になりつつも笑顔で対応する。
この強引さ、さすがは姉弟といったところか。そっくりだ。我が家の姉妹も随分と可愛らしさの欠けらも無い強かな性格をしているが、好意を全面に出して押し迫るのだからこちらの方がタチが悪い。
一見柔らかく嫋やかな女性に見えるが、実際の性格は少し違うのかもしれない。
「アイリア、少し距離が近すぎるぞ」
「まぁ!何を言ってますの、仲良くなるのなら砕けた方がいいでしょう?まさか貴方たち、政略結婚じゃああるまいし」
「…それもそうか」
そして唯一彼女を宥めてくれそうなジーアも、あっさらと彼女の言い分に丸め込まれてしまい最早味方はいない。
そもそもロイランドからすればこれは政略結婚と変わりないのだが。
「それにしても素敵な男性ねぇ。リュカ、いい人を見つけましたね」
「はい、私には勿体ない程の方です」
そう思うならすぐさま破談にしてくれ、あとそのもう結婚しますみたいな言い方もやめてくれ。
ロイランドの中であらゆる毒が渦巻いた瞬間である。
「ロイランド様も」
「はい」
「少々無愛想で強引な節のある弟ですが、根は良い子なのです。どうかこの子を頼みますね」
そう言って再びロイランドに向かって微笑む彼女に、ロイランドは「はい」とは言わず、にこりと頷きに留めた。
それでも満足したのか笑みを深めた彼女は、握ったままでいたロイランドの手をようやく離す。
「ではまた時間が許せばお茶でも致しましょう」
どうやら兄達が席を立とうとしていたことを知っていたようで、アイリアも挨拶はそこまでと部屋を後にしようと立ち上がった。
そうして再び扉に手を掛けたアイリアは、あぁ、と何かを思い出したかのようにこちらを振り返った。
「そうそう、ロイランド様とリュカが住む紅玉宮は片付けさせておきましたからね。リュカ、後で案内して差し上げて」
「え、紅玉宮ですか?」
「えぇ、二人とも結婚まで暫くそこに住むのだとばかり思ってたのだど…違ったかしら?」
こてん、と可愛らしく首を傾げたアイリアに、今度こそロイランドは胸中に溜め込んでいた毒を吐き出してしまいそうになった。
城内の構造がどうなっているのかロイランドにはまだ分からないが、話の流れからして離れにある宮のひとつなのだろう。
おそらく暫く使用者が居なかったそこに、ロイランドとリュカは二人住まうことになったのだ。
まさかの帰国を許されない自体に、ロイランドの表情筋は今度こそ悲鳴をあげかけたのだった。
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