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────パチン 「……っ、?」 リュカは突然のことに瞠目した。そして次の瞬間には、今しがた起きたことを脳が正常に処理していく。 ロイランドが、リュカの頬を叩いたのだ。 先程まで己の下で可愛らしく鳴いていた愛しの人は、今自覚があるのか分からないがその綺麗な蜂蜜色の瞳に薄膜をはっている。 「ろ、ロイラン…」 「…憐れみのつもりか」 「え…?」 「俺を、憐れんでんのか。オメガである俺を…ハッそうだよなぁ?…てめぇみてぇな立派なアルファからすりゃァ…オメガなんてのは、ヤるにはもってこいのいい捌け口だ…それも、丁度発情しているやつなんかは特にな」 「ち、ちが…っ!」 彼の突拍子もない発言に、リュカは顔を青ざめ首を横に振る。当然、リュカにロイランドを貶めてやろうなんて気はさらさらなく、あるのはただ彼を愛おしむ気持ちだけ。 だが己の性を誰よりも厭うロイランドにとって、発情期はもちろんのこと、自分がオメガであると知らしめる性交は侮辱に値する行為だった。 ロイランドの心は今、先程まで浮かされていた熱からは程遠く凪いている。 所詮、この少年も、ロイランドがひとたび発情期になればこれ幸いにと事に及ぶそこいらのアルファと変わらないのだと。そしてなによりも、そんな少年の手に触れられて、少しでも嬉しさというものを感じてしまった自分がショックだった。 「出ていけよ」 「…ッ」 「出てけっつってんだろ!!」 ロイランドの咆哮にリュカは身をすくめ、そしてヨロヨロと部屋を後にした。残ったのは、ガラリとしてた部屋に空虚な気持ちだけで、ロイランドはその感情の行き場を探すことが出来ないでいる。 「くそ…ッ」 ロイランドはただ、己の額に手を当て、肩を震わせた。 しばらくしてやって戻ってきたルナがひとり乱れた様子の自身の主人を認め、騒然とした。そうして慌てたように身の回りを整えられる中、ロイランドはその精神を消耗させ気絶するように眠りについた。 ラジルは宮内を歩きながら、前方からやってくる人に目を留める。だがどうにも様子のおかしいその人に、ラジルは失礼を承知の上で駆け寄った。 「リュカ様!どうかなされたので……っ!」 思わず身体が竦む。今、己の主人から出ているものは紛れもない殺気。その殺気に紛れるようにして花の甘い香りがラジルの鼻腔を掠めた。そして同時に、主人がやってきた方向とその匂いから、何があったのかを推測する。 「…リュカ様、落ち着いてください」 「…ラジル…おれは…」 「お話はお部屋で伺います故。リュカ様、それ以上、ご自身のお身体を傷つけ行為はこのラジルが許しません」 「……」 リュカは気づいていなかったのか、呆然とした顔で今しがたまで噛み締めていた唇を解いた。よく見てみれば、手や腕からも血が滴っており廊下を汚している。どうやらここに来るまで相当の自傷行為をしてきたようだった。 取り敢えずこんな所をほかの侍女たちにも見せるわけには行かないと、ラジルは急いでリュカを彼の自室へと連れ行く。 自室についたリュカは、まるで力が抜けたようにカウチへと腰掛け、項垂れた。 そんな主人のことを横目で見ながら、ラジルは少しでもその御心が落ち着けばいいとハーブティーを用意し目の前のローテーブルの上へと置く。 「リュカ様、一体何があったのですか」 「…おれは…俺は、最低だ…」 「……」 「俺は、彼が彼自身のバースに劣等感を抱いていたことを知っていた。だからこそ彼のことを決してオメガというものに縛ることなく今後も接していくつもりだった。それなのに…」 あの時、ロイランドが止めてくれなければきっとリュカは自分の本能に抗うことなく彼を自分の雌にしていただろう。実際に頭が真白になり、彼の身体を貪ることしか思考になかった。 とはいえ、むしろあの状況で留まれたことが奇跡なのだ。ウルガルフの王族というのは、他と比べてバース性の依存度が高くその本能に抗いにくくなっている。それはウルガルフの祖先が狼であることが由来しているのかは分からないが、現にこうして彼と離れたあとも、今すぐに彼の部屋に戻り彼を自分の番にしろと本能が叫んでいる。 「酷い男だ…」 だがそれが、彼となんの関係があるというのだ。 彼の尊厳を踏みにじり傷つけた。その事実は変わらないというのに。 「…これからどうするのですか」 ラジルの言葉にリュカはぼんやりと部屋に置かれた水槽を見つめる。 「暫くは、距離を置こうかと思う」 きっと彼は自分の顔すらも見たくないだろう。なにせ、婚約者とはいえども結婚すらしておらず、ましてや彼にとってはつい先日顔を見合わせたばかりの男に犯されかけたのだから。 しかしだからといって彼を手放すことも出来ない。 リュカは自身の傲慢さに思わず嘲笑の笑みが零れた。 だから引き続き、ロイランドの世話を頼む。そうラジルに命じようとして、瞬間頬に来た衝撃に瞠目した。 「御無礼、失礼致します。処罰は後ほど如何様にもなさって下さいませ」 「…な、ら、ラジル…?」 「なんて情けない男なのです。それでもウルガルフの尊き王族でございましょうか。主がこんなにも情けなくては、仕える私も里が知れるというもの」 「そんなことはない!ラジルは優秀な人だ!」 「ならば!」 がしりとラジルがリュカの襟元を掴む 「どうか、逃げることなどせず、誠実に向かい合う覚悟をお決め下さい。たった一度の失態で逃げ出すなど、貴方様が彼の御方を想われる気持ちはその程度ではございませんでしょう?」 にこりと美しく微笑んだ少年に、リュカは力が抜けたようにへたりこんだ。 「………は、はは、お前は…かっこいいな」 そうして出てきたのは乾いた笑い。だが先程よりも清々しいそれに、ラジルは満足そうに微笑んでいる。 この少年は、いつだってただ王族であるだけの自分よりも男前で格好がいい。 「あぁ、手荒くして申し訳ございません。すぐに冷やすものを」 「…いやいい。お前の言う通りだ」 「?」 「俺も、覚悟を決めようと思う」

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