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黎明

ルナとロイランドが出会ったのはロイランドが5歳の時。その時既にルナは騎士団長であった父の後を追うように剣を持ちその技を磨いている最中だった。 初めて会ったロイランドは、まだ今のように拗れた性格をしておらず比較的純粋だったように思う。それでもやはり王族だからか一般的な5歳児に比べれば随分と大人びた考え方をしていた。 あの頃のロイランドも今のように美しく、天使のように愛らしかった。その為俗な貴族共に幾度となく拐われかけ、他国からは子飼いにならないかと裏で持ちかけられたこともあった。 王族といえども小国であるアシュルーレで、当時のロイランドの扱いとは、力のない子供とはそんなものだった。 だからこそロイランドは自分の身を守るために狡賢い生き方を学んだし、誰よりも何よりも優秀であることを望んだ。その結果、あんなにも可愛げのない人に育ってしまうとは当時のルナも考えてはいなかった。 ルナはロイランドが7歳になる頃に付けられた側近だ。 誰よりも傍に居たし、誰よりも信頼しあっていたと胸を張って言える。頭もよく優秀なロイランド。誰しもが彼に期待し、将来は安寧であると信じていた。自分の主人を誇らしく思ったものだ。 だがあの日、ロイランドが10の年の頃だ。バース性が判明し、己がオメガである事を知ったロイランドは、初めてその眼に涙を浮かべた。同時に、ルナは、彼が泣く姿を見たのだ。 そうしてその体がまだ小さな子供であったことを理解した。いくら大きく振舞っていても。大人びていても。彼はまだ、子供だったのだ。 ルナは己が恥ずかしくなった。彼が優秀なばかりに、王族である以前に彼が自分と同じ人間であることを忘れていたのだ。 そして同時に悔しくも思った。これまでに涙を見せないほど、ルナはロイランドに気を使われていたのだ。ーーーいや、気を使わせてしまっていたのだと、気づいてしまったから。 何が側近か。彼の心すらも守れぬ騎士に、なんの価値があろうか。 暇な貴族共はその汚い口でくちさがないことを囁き出した。それがロイランドの耳に届いた時、彼がどんな思いをするかも知らずに。 10から12の歳になるまでは大変だった。 元よりロイランドは、アシュルーレでも珍しい程に莫大な魔力を持って生まれてきた子だった。その証拠が、あの金色の瞳だ。通常のアシュルーレの民は皆黒か茶色の目をしている。だがごく稀に、ロイランドのような子供が生まれる。 ロイランドは非常に優秀だった。幼い頃から自身の魔力量を正確に認識しており、他者との違いも理解していた。その力が、人に、国に、どういった影響を及ぼすのかさえ、分かっていた。だからこそ制御の仕方も覚えていたし、使い方も危険性もしっかりと学んでいた。 だがロイランドの力とは、本人が思う以上に危険なものだった。ロイランドがバース性を認識し、絶望したその日。彼の力は制御を失い力が暴走し始めた。幼いロイランドが当時力を制御するために行っていたことは感情を表に出さないことだ。魔力とは、良くも悪くも感情に左右される。力のないロイランドではそのような対処でしか制御ができなかった。だがその枷も外れた当時、誰も彼も、彼の親も兄妹も、ルナですら。彼に近づくことが出来なかった。 このままでは、ロイランドの身が滅びてしまうのも時間の問題である。貴族共は自信に危害が及ぶことを恐れ、無礼にもロイランドの身柄の確保を進言したが、王である前に父であったルドルフはそれを一切許さず一蹴し、森に住むという賢者に助けを求めた。そうしてロイランドは暫し賢者預かりの身となり、2年間を森で過ごした。当然、ルナも同行した。周りには止められたが、ルナはロイランドから離れる気はなかった。今度こそ、側で護る為に。 みっちりと賢者からの学びを受けたロイランドは、ものの2年でその力を完全に己のものとし、さらには次魔力が暴走しても周りに被害を及ぼさないようにと、自身と賢者の魔力で創った戒めの耳飾りをその耳に付けるようになった。 これはロイランドの力が暴走した際に、体に激痛が走り魔力を吸い取ることにより行動不能とさせるもの。ルナはそんなおぞましいものをと反対したが、ロイランドの意思は硬かった。 そうしてロイランドは[オメガ]であることを受け入れられずとも[アルファ]と闘う術を身につけ王国に舞い戻った。 ーーーーーー誰にも負けない。俺は一人でだって生きていく。 それがロイランドが森を出る際に口にした言葉だった。 可愛くないガキが、さらに可愛くなくなった。ルナはそんな気持ちだったが、同時に酷く寂しく感じたものだ。どうしたってロイランドにとって部下にあたるルナでは、その心を癒すことは出来ない。 だからこそ、ルナは居るかも分からない神に祈り続ける。 いつかこんな天邪鬼な殿下のことを包み込み愛してくれる人が現れたなら。 「(それまでは、私が貴方の身体も、尊厳も。お護り致しますから)」 そして今。その時が訪れたのだ。 「殿下、起きておられますか」 「…あぁ」 天蓋の奥、掠れた小さな声にルナは眉を下げる。 ようやく相手が現れたもののやはり一筋縄ではいかないようで、肝心の主は数日前から寝込んでいた。 今日もそのままお休み頂きたいのは山々なのだが、そうもいかない。 「実はアイリア様が殿下とお話したいと申しておりまして」 「アイリア…?あぁ、王女殿下か」 アイリア・ウルガルフ。ロイランドが彼女に会ったのは初日のたった一度、それもほんの数分にも満たない時間だけなのだが、どうやら彼女は食えない女性のようだと認識している。 ロイランドがこの宮に滞在し始めてから数日経つが、今更なんのようなのかと首を傾げた。 とはいえ、大国の王女殿下からの申し出を断れる立場にはいないので、結局は受ける他ないのだが。 ロイランドはどうにか仮病でもしてすっぽかせないかと考えつつ重たい身体を起こし、天蓋を捲った。 「殿下、お召し物はラジルが用意致しますとのことです」 「…あいつも来るのか?」 ラジル、と聞いて思い出すのは彼の主人だ。自分でも剣呑な声音だとは思うが、ルナはゆるりと首を横に振った。 「いえ、殿下とアイリア様だけですよ」 「…分かった」 ほっとした。だがぽっかりと何かが空いたような気もする。 ロイランドは自分の胸を握りしめ、虚ろに床を見つめた。

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