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案内されたのは一面硝子に覆われた温室で、余程丁寧に手入れをされているのか当たりを彩る草花に傷みのひとつも見当たらない。
それどころかアシュルーレでは見たことも無い草花を見つけ、つい駆け寄って観察してしまうくらいにはこの温室はロイランドにとって興味深いものだった。
「すごいな…」
恐る恐る触れると花に付いていた雫がポタリと落ちる。
それを目で追いながら、ロイランドはひとり花を堪能していた。
どうやって咲いているのかと、真剣に花を見つめるロイランドは大人しい。そして大人しいロイランドはただただ美しい男だ。花に囲まれ光に照らされるその姿はさながら天から遣わされた使徒のようだ。
そんな姿を見たルナは、改めて自身の主人の見目の麗しさと、普段の残念さに胸中項垂れたのだった。そうやって大人しくしてりゃあいいのに。それがルナの常の思考だ。
「ここはお気に召していただけたかしら?」
突然後ろからかけられた柔らかい声に、ロイランドはピクリと肩を揺らし勢いよく立ち上がった。
「これは…アイリア様。お見苦しいところをお見せしてしまって申し訳ない」
「いえ、いえ。お気になさらず。花を見ていたのですか?」
「はい。この温室にはアシュルーレにはない植物が沢山あるようで、大変興味深いものです」
ロイランドの言葉にアイリアは「そう」と微笑んでお茶に致しましょうとロイランドをガーデンテーブルへと案内する。
連れられるまま席へと促されたロイランドは、アイリアには悟られぬ程度に身を固くしてお得意の微笑を顔に張りつけた。
「今日は突然お呼び立ててしまってごめんなさいね。どうしても、一度貴方とゆっくりお話したかったものだから」
「光栄です。私めのために貴重なお時間をいただき感謝致します」
「ふふ、そう固くならないで」
にこにこと笑顔を崩さないアイリアをどうしても訝しんでしまうのはロイランドの悪い癖だ。これは国政でもなんでもない、ただのお茶会。そこまで気を張る必要もなければ、もし悪印象を抱かれたとしても婚約が破談に近づくだけではないか。
それにどうにもアイリア相手にはあまり身を固くしても意味を持たない気がする。
「申し訳ありません…」
「いいのよ、気にしないで。それよりもここでの生活はいかが?不自由はないかしら」
アイリアの言葉にロイランドは「良くしてもらっています」と無難に答えた。というのも、あの宮でロイランドに接触してくるのはラジルがほとんどで、それ以外の従者と会うことがまずない。
それはひとえにリュカが慣れない土地で見知らぬ人ばかりに囲まれるのは居心地が悪いだろうと配慮したからなのだが、ロイランドの知るところではない。
「良かったわ。私の勘違いで強引に事を進めたしまったから、気分を害されていないか心配だったのですよ」
「そんなことは…」
正直何も感じなかったと言えば嘘になる。初めこそ滞在の原因になった彼女に対しての恨みを胸中で投げかけてはいたものの、最近はそれ以上に考えることが多くてそれどころではなかったというのが本音だ。
そもロイランドはそのうち母国へ帰る。そのつもりでの滞在だった。だが…
「リュカと、何かありましたか」
アイリアの言葉にロイランドはビクリと肩を震わせ瞠目する。なぜそれを──そう思いかけて、鎌をかけられたのだと気づき顔を赤らめ隠すように俯いた。
そんなロイランドを見てか、アイリアは楽しそうに、だが静かにクスリと笑みを零す。
「あの子は素直でしょう。真っ直ぐで、純粋で、この世の善だけを吸収したような真っ白な子」
「………」
「城下へと共に出たと聞きました。そこで貴方はあの子の評価を耳にしたでしょう」
「…とても、慕われているようでしたが」
言外に意見を求められ、ロイランドはまた無難な回答をする。あの市場でのリュカの評価は大雑把に言ってしまえばそんなものだ。民から気さくに声をかけられ慕われる。
だがアイリアはそんなロイランドの建前の下にある言葉を見通していたかのように美しく微笑んだ。
「愚かだ、と思いましたでしょう」
ロイランドは何も答えない、それが事実だからだ。
慕われることが悪い訳では無い。問題があるのは、その距離感だ。リュカは第3王子と言えども立派な王家と人。この国の民にとっては十分に尊ぶべき人で在らなければならない。だが市場でも見た通り、ここの民はリュカにあちらこちらからと声をかけ、その足を止めることを許されている。良くいえば慕われている。極端に悪く言えば、舐められている。国民とリュカのあの距離感は、民と王家との境界線を曖昧にしてしまっている。頭を垂れ傅く事こそが正しい訳では無いが、何事にも節度というものがある。リュカにはそれが無いのだ。
だからこそ、アイリアの言う通り「愚か」なのだろう。これでリュカが王になるのであれば事は変わっただろうが、その可能性は低いとみている。
口を噤んだロイランドを気にすることも無く、アイリアは優雅に用意された紅茶に口をつける。ロイランドはそんなアイリアをじっと見つめた。彼女の言わんとしていることを探るために。
そうしてロイランドは気づいた。自分に圧倒的に足りないものは、情報だ。ただ婚約を解消すればいい、そう思っていたが、それだけではいけないことをロイランドはもう分かっていた。分かって、しまったのだ。そして誰よりも理解していた。
この国においてのロイランドの立場はとても弱い。
これまでは知らずと立たせてもらっていたのだ。用意された椅子に座らされていただけの、憐れな外国の王子。それを用意してくれていたリュカにすら牙を見せた馬鹿な男。
だからこそ、知らねばならない。自分足で立ちたいというのならば。解りたいというのならば。ロイランドは知らねばならなかった。
アイリア様、とロイランドは言葉を紡ぐ
「私に、この国の事を教えてください」
美しく微笑んだ彼女の後ろをノリウツギの花が通り過ぎた。
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