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【閑話】出来損ないの旅立ち

「父上、母上。そして兄上達。どうか私めの話を聞いてはいただけないでしょうか」 それはなんて事ない、いつも通りの日常。 家族で食事を行っていた際に突然いつにも増して畏まった話し方をする弟に首を傾げる。この末弟は一体何を遠慮しているのかは知らないが、幼い頃から良くいえば物腰丁寧な話し方をする。ただそれが他所に向けてならいざ知らず、家族にまでそうとなれば少し、寂しいものがあるというもの。 「あらあらまあまあ、一体どうしたの。そんなにも畏まって」 もっとお気楽になさったら? そう言うのは兄弟唯一の紅一点であるアイリアだ。おほほほと笑う彼女は淑女として大変立派に育ってくれているが、その実兄弟の中で一番のお転婆だ。頭が良いのだろう、彼女の奇天烈で突拍子もない行動には一貫性がなくいつも驚かされる。 アイリアに促されたのもあって末弟ーーーリュカは少し口ごもった後、恐る恐ると口を開いた。 「……婚約を、させてほしいのです」 ほんの少しの照れ混じりが入ったその言葉を聞いた。 父は思わずといったように瞠目し、母とアイリアはまぁ!と驚いた声音をあげる。そしてジーアの隣ではガタリと膝をテーブルにでもぶつけたのだろう音が聞こえた。見るまでもない、ランツだ。 ああこれは、とジーアは早々に今後の展開を悟った。 「なっ、お前に婚約はまだ早いだろう!?」 案の定、と言うべきかランツが怒鳴る勢いで反駁する。この男は少々弟離れが出来ていないところがある上に、末弟が可愛いのだろう。家族の中で誰よりもリュカに対して過保護である。 しかしこのままランツに問い詰められればリュカも言いたいことが言い難いだろうことは想像に容易い。仕方あるまい、とジーアは助け舟を出すことにした。なんだかんだ言ってジーア自身も驚いていたのもある。 「まぁまぁ、落ち着きなさい」 「だがリュカに婚約者など…っ!」 「そうは言うがリュカも成人が近いだろう。それに我々王族に婚約者候補と言うのは幼い頃からいるものだ。お前にも幼少の頃からいるではないか」 「だが……」 「まあまあ。取り敢えずはリュカの話を聞いてあげようじゃないか。話はそれからだって遅くはないだろう?」 「…はい」 どうやら少しは落ち着いたようで、釈然としないという表情をしてはいるがランツは大人しく席につく。それを見届けてからジーアは改めてリュカへと話を振りかけた。 「それでリュカ、お相手は一体どの子だい?やはり候補の子達からかな。今一番有力だったのはミレイアだったか…」 頭の中に次々とリュカの婚約者候補となっていた者たちの姿を思い浮かべていく。 その中でもミレイア・ドートリバーナという者はだいぶ薄くなっているとは言えど先祖に王家の血を持つ者がいたことから遠い親戚というもので、有力者筆頭に挙げられていたはずだ。バース性も[アルファ]であるし、何より美人だ。まぁ少しばかりきな臭い話を聞くが。 だがリュカは申し訳なさそうに首を振り、「ミレイアではないのです」ときっぱり言い切った。 「では誰だというのだ?」 「その…」 「その?」 「アシュルーレ王国の、ロイランド・アシュルーレ様に御座います…」 瞬間、ぴたりと時が止まる。驚きと戸惑い。いずれの感情かは計り知れないが、皆動揺しているのだけは分かった。かくいうジーアも、まさかの人物に瞠目した。 「ほ、本気…?リュカ貴方は本当に、」 「驚かれるのも無理は無いと存じています…ですがもし、婚約を許していただけるのなら、私はかの御方を望みます」 「だが彼処はウルガルフに劣る小国だぞ。魔法の扱いに長けているとは聞くが、果たして婚姻を結ぶほどの利益があるかどうか…」 驚くアイリアに、難を示し、これならばミレイアの方が何倍も利益になるでは無いかとそう唸るランツを横目に、ジーアはリュカの懸想する人物を思い浮かべた。 リュカが婚約者にと望むロイランド・アシュルーレと言う男はジーアも知っているーーーーーというのも、年に一度の行われる大陸会議と称した大規模パーティにて何度も目にしたことがあるからだ。同じ大陸内にある国同士が情報共有をも含め円滑に貿易を結び平和であれるようにと行われるかのパーティに於いて、ロイランド・アシュルーレは少しばかりか有名だった。 烏羽色の艶やかな長髪は丁寧に編み込まれ、宝石のようなアンバーの瞳は彼の高潔さを表している。整った顏はすれ違う者が振り向かずには居られないほどに美しい。当然、会場内の淑女達の間での人気は凄まじく、彼の周りには常に獣を狙うかのような女性陣が囲っていたのをよく覚えている。 だが、彼が有名なのは決してその麗しの容姿だけが理由ではない。 恵まれた容姿、体型、頭脳、だが彼は[オメガ]だった。 そのことを初めて知った時、ジーアは勝手ながらに彼を憐れんだ。ウルガルフにはバース性で個人を差別するようなことは一切禁止されてはいるが、大陸内にある国全てがそうとは限らない。中にはロイランドをオメガと知ってからか馬鹿にするものや性的に見るものまで現れる始末。彼は常に毅然とした態度をとってはいるが、プライドが傷つけられないわけではないだろうに。 その時は可哀想だが自分とは関係の無いことだと思っていたジーアだったが、まさかここに来て弟の口から彼の名前が出るとは思わなかった。 アルファとオメガ。問題は無いだろうが、果たしてあのプライドの高そうな王子が了承するだろうか。 だが、とジーアは口端を持ち上げる。 ランツはああ言っていたが、正直ジーアは国益などどうでもよかった。そんなものは自身とランツだけでもどうにでもなる。それに、ミレイアは確かに美しい女だがその腹に隠したものは綺麗とは言い難いだろう。 ジーアはリュカが“自らの意思”で望んだことが嬉しいのだ。 リュカは悪い意味で物分りが良すぎて手のかからない子だった。それは周りの環境が原因でもあり、父母も弟妹もジーアも悔やんできたことだった。 主でではなんて事ない顔をして、裏では臣下に“出来損ない”と言われ続けたリュカ。可哀想な弟。そんな彼が今、初めて、口にした願い。 「リュカ」 「…はい」 「それがお前の、望みなんだね」 ジーアの問いかけに、リュカは真っ直ぐと目を見つめ返し、そして力強く頷いた。 それを見たジーアも、満足気に頷き返す。ジーアが言うことはもう、何も無い。 そんな二人を見てか父母もアイリアも、そしてランツも。もう何も言うことは無かった。ランツも結局は国益などどうでも良くてリュカを心配していただけなのだから。 手助けはしない。王族である彼が自ら望んだ事を、家族であろうと手を出すことは許されない。どんな結果になったとしても、それは全てリュカが望んだことだ。 今夜は久々に兄弟会議でも開いてリュカをとことん弄り倒してやるのもいいかもしれない。純粋なリュカはきっと恥ずかしがるだろうけれど、それくらい楽しませてくれたっていいだろう。恋バナ好きのアイリアの餌食にもなるだろうが。 その前に、弟離れを余儀なくされたもう一人の弟を慰めてやるのもいいかもしれない。 ジーアはふ、と笑みを零した。

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