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「この度はお目通しの許可をいただき」
「そういうのは結構です。顔を上げなさい」
鋭く凛としたその声音に、ロイランドは続けていた口を閉じ顔を上げる。再び垣間見えたその深紅の瞳は変わらずひんやりとした冷たさを持って、真っ直ぐとロイランドを見据えている。
さて、一体何を言われるのか。壁の際に立つルナから心配そうな視線が送られてきたのがわかった。
「(おいおい、ちゃんと警備しとけよ)」
「貴方がリュカの婚約者ね」
「はい。ロイランド・アシュルーレにございます」
「そう」
だが身構えていたロイランドを他所に、ハィレギュラは一言頷いただけで何も言わない。もしや警戒のし過ぎだったかと胸中で首を傾げる。
「一度顔を見ておきたかったの。下がっていいわ」
「(本当に考えすぎか?)…はい。御前失礼致します」
しかし懸念していた事態はひとつも起きず、ロイランドは本当に顔を見せただけでその場からの退出を許可されてしまった。
ここまでの規模のパーティだ。ハィレギュラの沽券に関わるような大事にはしないだろうとは思っていたが、嫌味の一つや二つ言われると思っていたのに。
一礼。再び最上級の礼をしてその場を立ち去ろうとしたロイランドとリュカ。ふとハィレギュラが「あぁ」と何かを思い出したかのように声を上げた。
「リュカ」
「?はい」
「ミレイアが貴方が会いにこないと言って悲しんでいたわ。近々会いに行っておあげなさい」
ピクリ。隣でリュカの肩が小さく跳ねたのが分かった。
「お祖母様、私は既に婚約した身。相手がいながら未婚の女性に会いに行くなどという不躾な真似は致しません」
どこか怒りを含んだリュカを他所に、ロイランドは一人どこか納得のいったような顔をして二人のやり取りを見つめていた。
つまり、ハィレギュラはロイランドをこのウルガルフに迎え入れることは良しとしても、リュカの正妻として据え置くつもりは無いということだ。いや正妻云々に関してはロイランドにとっては大それたことではない。リュカはそこを気にするだろうが、未だにこの関係自体が仮初でしかないロイランドにとっては些末なことだ。
問題はそこではない。ロイランドが注目すべき点は、
「貴方こそ何を言ってらして?正妻はミレイア。その男は側室にでもお入れなさい」
ハィレギュラがロイランドの事を“ただ子供を産む為の道具 ”として見た事だ。
「(…言ってくれるじゃねぇかよ、くそババア)」
性能力しかないオメガという弱者として見られることは、ロイランドがこの世で最も嫌うことだ。それをハィレギュラはなんてことも無い、さも当然の事のように言い放った。
小国のオメガ如きが王位継承権は無いに等しいとは言えども第三王子の正妻に収まることがおかしい、と。しかしそれも、ただ跡継ぎを残すためだけの婚約ならば許す。そう言いたいのだ。
「…どうやら私とお祖母様の間では何か情報の入れ違いかあるようです」
「あら。私はそうは思わないわ」
「…失礼致します」
行きましょう。そう言ってリュカがロイランドの腕を引く。それに抵抗するでもなく連れられながらも後ろ手に見たハィレギュラは、出会った時同様に興味もないと言わんばかりの視線を二人の背中へと送っていた。
「あの、」
スタスタと腕を引かれやってきたのは庭園の中でも人出の無い垣根の先。まるで迷路のようなそこは、変わらず美しい花に彩られており、余程の手が加えられているのだと分かる。だが生憎と花を愛でる趣味のないロイランドにとっては、さして目を引くものでなければ、今は掴まれた腕を話して欲しいという一心だった。
どうやら先程のハィレギュラとの会話で逆鱗に触れる部分があったのか、目の前を行く彼は侮辱されたはずのロイランド本人よりも激昂しているように思える。そのせいか、呼び止める声すらも聞こえていないようだ。
「あの、」
「………」
「あの………おい、どこまで行くんだ!」
ついには声を荒らげたロイランドに、リュカはようやく気づいたと言わんばかりにハッとして、次には掴んでいたその腕を慌てたように離した。
「す、すみません!腕、痛かったですか」
「いや腕は痛くないが…」
子供の力だ。多少は鍛えているし、少し握られた程度で痛めるほど貧相でもない。
だがリュカはまた小さく「すみません」と呟いてはその瞳に影を落としてしまった。
その様子を見て思わず、といったようにため息が出てしまったのは、何も彼に呆れたからではなくこのどうしようも無い雰囲気にロイランド自身が辟易としているからだ。
「(というかこいつ…ここに来てからずっと怒ってねぇ?)」
そうやって先に彼が怒りを顕にしてしまうせいか、ロイランドは怒るに怒れずーーーというよりも自分のことのはずなのにどうにも他人事のように感じていた。不完全燃焼とでも言うべきか
とはいえ、ここでロイランドが下手にリュカを慰めるようなことは出来ない。それは単にロイランドのコミュニケーション能力の問題、というよりかは、今現在婚約ですら保留にしている身としての自覚があるからか生半可な事は言えないでいるのだ。
それをリュカも分かっているのか、何か言葉を求めて来るようなことはしない。
「すみません、少し、飲み物でも取ってきますね」
「あ、あぁ…」
結局は歳下の少年に我慢と重責を強いているこの現状に、しかしその現況の一端を担うロイランドが何を言えるでもなく再びホールへと向かって歩き出したその背中を静かに見守ることしか出来なかった。
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