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第29話

 まるで無駄のない、舞踊を見ているかのようだったマスターの動き。  それには遠く及ばないだろうが、廉は精一杯がんばってくれた。 (廉は今、俺だけのためのコーヒーを淹れてくれているんだ)  そう考えると、胸が熱くなった。  マスター、ありがとう。  こんな幸せ、他にはないよ。  マスターもこうやって、お客さん一人ひとりの為に、最高の一杯を淹れていてくれたんだね。  廉のコーヒーを飲みながら、そんなことを考えた。  ふと気が緩み、涙が一粒零れた。 「泣くほど美味しい?」 「うん。感動した」  廉には、解っていた。  もういないマスターのことを、巽も心から悼んでいるんだ。  僕と同じ思い出を、共有する巽。  そう考えると、彼の存在がとても重く大切に感じられた。  離れたくない。  離したくない。

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