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第2話

番になったら、あのダラダラ続いていたヒートが嘘みたいにおさまって。 体が軽くなった僕は、隔離されているこの家をようやく歩き回ることができるようになった。 石神曰く、ここは石神の亡くなった両親が残してくれた別荘らしい。 やっぱアルファは、金も、持ってるものも、何もかも違うな。 別荘って維持管理だけでも大変なのに、実験室もあったりして普通の別荘じゃない。 さらに付け加えるなら、この別荘はだだっ広い野原みたいなとこにポツンと立っていて、二階のベランダからはきれいな海が見えることも分かった。 あらゆることから、隔離されてる………。 そんなとこで………。 僕と石神は地球に取り残された、たった一組の番になってしまったんじゃないか、って錯覚してしまう。 ………情緒不安定、じゃなきゃ、イっちゃってるヤツだろ……僕は。 テレビは普通にテレビ番組を放映してるから、まぁ、単なる錯覚なんだけど………。 動けるようになった僕は、あまりにも暇すぎるオメガライフを持て余し、この別荘の家事全般をするようになった。 料理は石神作るから、それ以外の掃除や洗濯、庭掃除まで。 全部、全部している。 だって、暇だから。 それでも、午前中には終わってしまって、午後からはテレビを見るか、石神の蔵書を読むか。 ………専門書だらけで、正直訳わかんなくて………。 でも、テレビばっかり見るのも飽きちゃって、分厚い図鑑みたいな本を引っ張り出しては顕微鏡で写した写真のページをパラパラめくって、いつの間に寝落ちして。 「琥珀くん、ご飯できたよ〜」って言う石神の声で目が覚める。 そんな単調な日中を過ごして、夜はまた、石神と肌を重ねるんだ。 「石神さんは、兄弟とかいるんですか?」 番の効果は、すごいなぁ。 末端が冷たい石神の体にもだいぶ抵抗が無くなってきて、僕は石神のことがもっと知りたいと思うようになってしまった。 よく見ると、いつもは分厚い眼鏡に隠れた石神の目は涼しげで、顔立ちも整っていてかっこいい。 体つきだって、「あぁ、アルファって感じ」って思うくらい、良い体をしてる………。 白衣にマッチョを隠してたんだ。 だから、石神の中身をもっと知りたくなる。 「いるよ。体の中にね」 「………え?」 「〝キメラ〟だよ。俺は元々、母親のお腹にいる時は双子だったんだ。 でも、もう一人の俺は今の俺に吸収されて、一つになった。 だから、俺の中に兄弟が存在するんだ。すごいだろ? 兄弟なのに会ったことがない。それなのに0㎜の距離で近くにいる」 「………すごい…。あっ………」 「何?琥珀くん」 「いや、なんでもありません。すみません、立ち入ったことを聞いてしまって」 「いいよ。別に隠してることじゃないから」 石神は穏やかに笑うと、僕にその冷たい唇を重ねる。 僕の体は石神の冷たい手や唇に触れられると、発熱して蓄熱するんじゃないか、ってくらい火照り出して………。 僕はその火照った腕を石神の首と背中にからますように、抱きついて引き寄せた。 ………石神について、一つ気づいたことがある。 石神は、愛するという感情を持っている。 自分の中にいる、喋らないし見ることも叶わない兄弟のことを、たまらなく愛おしく思っている。 そりゃそうかもな………。 石神の両親は亡くなっているし、唯一の肉親は自分の中にいる。 触れることも、喋ることも叶わない相手を思って………石神は、愛の塊を内に宿している。 ………僕は、その一部になれるだろうか。 変人だと思ってた石神を。 死神なんて言っていた石神を。 一緒に暮らすうちに、新しい一面を次々と僕に見せてくれる石神を。 僕は………だんだん、石神に惹かれている。 こんなに穏やかに笑う石神を生きている人間で知っているのは、僕だけで。 料理も上手で、えと……エッチも上手だって知っるし。 冷たい口調だし、手足も冷たいけど………。 僕を抱きしめるその体は、優しくてあったかい………気がする。 オメガになった僕が、石神と番になったからかもしれないけど………。 僕は石神が、好きになったんだ………と、思う………多分。 石神は僕の肩に手をかけて、アルファ特有のソレを僕の中に深く入れて、中をかき乱すように激しく揺らした。 「……ゃあ……っあ!………い、しが……み、さんぁ………」 「琥珀、くん」 「………あか、ちゃん………っん、ん………好き……です、か?」 「………好き、だよ。とても」 「おねがい………が、あります………」 「何?琥珀くん」 激しく上下に僕を揺さぶっていた石神が、ゆっくり動きを止めて、僕の頬をそっとなでた。 「琥珀くん、何で泣いてるの?」 「約束して、ください………僕に赤ちゃんができて、生まれて………そしたら、そしたら………赤ちゃんを愛してください」 「………琥珀くん?」 そっか、僕………。 いつの間にか、泣いていたんだ。 ベータだった僕がオメガになって、例えそれが実験であっても………。 僕が初めて産む赤ちゃんには、この世の幸せを味わって欲しかった。 親から、愛を授かって欲しいと思ったんだ。 この世に生を受けるであろう、まだ見ぬ我が子を思って………。 その幸せと溢れんばりの祝福を願って………。 「僕のことは………いいんです。 被験者だし、大人だし………。 もし、赤ちゃんをこの手に抱くことが出来たのなら…………。 真っ先に、その子を愛してもらえますか?石神さん」 石神は、呆気にとられた顔をして………僕をジッと見下ろしていた。 「お願い………約束して………もらえませんか?」 「………わかった、約束するよ。琥珀くん」 穏やかな笑顔を僕に向けて、気を使って、会えて優しい口調で石神は言った。 …………あの、変人……リーパーがものすごく気を使っている。 嘘でも、嬉しかった………。 嬉しくて、涙が出てきて………。 僕は石神の体を引き寄せて唇を重ねると、その石神の言葉のお礼と言わんばかりに、舌を絡めて………。 この瞬間から、僕は身も心も、オメガになった気がした。 「ご飯、食べられそうにない?」 「………ご飯が炊ける匂いが、ダメ……」 僕を見下ろす石神の顔が心配そうに、その、よく見たら無駄にイケメンなその顔を曇らせる。 そう、ご察しのとおり。 僕は今、つわりに苦しんでいる。 ベータからオメガになる薬を服薬した被験者の僕と、マッドサイエンティストのアルファの異色な番が、毎日ヤりまくった結果、とうとう愛の結晶を授かった。 嬉しくて、嬉しくて、仕方がないのに。 赤ちゃんを大事に育てると、意気込んでいたのに。 つわりがひどくて、そんな感情をキープすることもままならず。 しかも、ご飯を全く受け付けない。 ご飯が炊ける匂いをここまで嫌悪するなんて、知らなかった。 立ちあがると、フラフラするし。 僕はヒートのときみたいに、また、ベッドから動けない状態に逆戻りしてしまったんだ。 赤ちゃんが、できて嬉しいんだけど。 僕がこんなに弱くていいんだろうか、って不安になってくる。 ………うわぁ、身も心も………。 ………僕、お母さんじゃん。 すごい、なぁ。 オメガも、女の人も。 こんなに辛いことを経験して、なんでもないような顔をしてるなんて………かっこいい。 「琥珀くん、何か食べられるもの……ある?」 「………いちご」 「いちごなら、大丈夫そう?」 「………はい、おそらく」 「そっか。じゃあ、早速取り寄せなきゃ」 「あの、石神さん」 「何?他に食べられそうなのある?」 「そうじゃなくて………僕はお母さん?それともお父さん?」 「え?」 「あ、いや。今、すごく不安で………。この子のお母さんみたいなのに、僕は男で………どうしたらいいか、わかんなくなっちゃって」 なんだよ、この会話………。 テレビの再現とかでよく見る、新婚さんの不安を吐露したまんまのシチュエーションじゃん。 「もとはベータだしね………琥珀くんは、琥珀くんでいいんじゃない?母親も父親も両方をもってる。それでいいんじゃないかな?」 …………そっか、そうなんだ。 両方か……便利だなぁ、僕。  いやいや………違う、違うだろ。 なんか違う……違和感が僕を襲う。 僕は………そういう答えを石神からもらいたかったんじゃない。 上手く、言えないけど。 僕の腹の底に、変な塊がずしっと落ちた気がした。 「琥珀くん?」 「………あ、はい」 「大丈夫?すぐにいちご、準備するから」 「………いや、無理しなくて……大丈夫。しばらく寝てたら………いいんで」 僕は、本当に不安定なのかも。 たかだか、自分の感情が整理がつかないからって、こんなに乱れることなんて………。 今までなかったのに。 身の置きどころがなくて、僕は無理矢理目を閉じた。 ふ、と。 石神の冷たい手が僕の頰に触れて………。 今すぐにでも僕はその手に触れたかった………んだけど。 腹の底の塊が、それを邪魔してくる。 「…………苦し」 「大丈夫?琥珀くん」 「………く、るし……い」 つわりもさることながら、腹の底の塊も、僕の感情も………全てが苦しくて………。 僕は頰に触れている石神の手を振り払うように寝返りを打って、石神に顔を見せないように、両腕で顔を覆った。 ………僕は被験者だからしょうがない。 にわかオメガの、にわか番だから………僕は愛をもらえなくてもしょうがない。 実験で生まれた赤ちゃんには、罪もない。 だから、赤ちゃんには………。 せめて、赤ちゃんには………「俺が父親になるから」って、石神に言って欲しかった。 だから………苦しいんだ、僕は。 「順調に育ってますよ。大丈夫です」 あくまでも実験だから、おいそれと一般の病院に行くこともできない僕に、お医者さんがわざわざ石神の別荘まで出張健診に来てくれる。  つわりもだいぶおさまって、僕のガリガリだった体が少し柔らかくなって………。 ぺったんこだったお腹がだいぶ前に大きく出てきた。 エコーをとおして画面に映し出される、小さな人のカタチ。 小さな手が、小さな足が、小さく動いて………なんか、不思議な感じ………。 「つわりがひどかったんで………心配してたんです。よかったぁ、ちゃんと手足を動かしてる」 「元気ですね!今、大体の大きさを計測しますね」 「男の子とか、女の子とか、わかりますか?」 「………うーん、、恥ずかしがり屋かなぁ。肝心なところを見せてくれないねぇ。少し逆子気味だし」 「えっ!?逆子っ?!大丈夫なんですか?!」 「大丈夫。週数が重なるとだんだん正常な位置になるから。元気だからくるくる動き回ってるのよ」 「………そうですか」 「心配しなさんな!あなたが落ち込んでると、赤ちゃんにまで伝わるんだからね?大丈夫だから」 「はい!ありがとうございます」 「それより、あなたの骨盤。小さくて狭いから、帝王切開も視野に入れていた方がいいかもね」 ………え??? テイオウセッカイ??? 「男性オメガの子宮は体の内部にあるし、産道が長いから、骨盤が狭いと赤ちゃんが苦しくなってしまうからねぇ………。 少し厳しいけど………臨月になったら、まだまだお腹も迫り出してくるし、もう少し様子を見て決めましょうね」 「………はい」 「そう心配することじゃないよ。男性オメガの3割はあなたみたいに骨盤が狭くて、帝王切開をしているから。赤ちゃんが苦しくない方法を選択することは、親として一番最初にする大事な務めだと思うよ」 ………親として、か。 お父さんとか、お母さんとか………ひっくるめて、親かぁ。 つわりが酷かった時、石神が「父親になるから」って言ってくれなくて、僕の中のモヤモヤが塊になってしまった、あの時の。 ずしっとした変な塊が……小さくなって、消えていく。 僕は僕で、石神は石神で。 2人で親になればいいんだ………。 でも、この子が喋りだしたら聞かれるんだろうなぁ………。 「私、或いは僕は、どうやって生まれてきたの?」とか「お母さんなの?お父さんなの?どっちなの?」とか、さ。 ………ま、今は目の前のことだけ………真剣に考えよ。 お医者さんが帰って、僕は広い別荘に1人と2分の1になった。 今日は、石神が職場に行ってるからなぁ。 ワルキューレも久々に鳴り響いていない。 だから、静か………話し相手もいないし。 帰ってきたら言わなきゃ、テイオウセッカイってのをしなきゃいけないかもって。 「今日は、もう一人の親は遅いんだって。寂しいねぇ」 ふっくらしたお腹をさすりながら、僕はお腹の中で聞き耳を立てているであろう、赤ちゃんに話しかけるように、独り言を呟いた。 深夜、車の音で目が覚めて。 少ししたら、石神がニコニコしながら寝室のドアを開けて入ってきた。 この人のいいトコ。 いつでも穏やかに、時間関係なくフラットで機嫌がいいコト。 「ただいま」 「おかえり」 「今日、ついてあげられなくてゴメンね、琥珀くん。どうだった?赤ちゃん、元気だった?」 「うん。手足をパタパタ動かしてて、すごく元気だったよ。………ただ」 「ただ?」 「僕の骨盤が狭いから、テイオウセッカイになるかもって」 「そうか………。赤ちゃんが苦しくない方を選択しなきゃならないからね」 ベッドに腰掛けている僕の頰に、石神はそっと手を添えると、深く、それでいて、優しくキスをした。 「俺は琥珀くんが心配だ」 「どうして?」 「琥珀くんの体にメスを入れなきゃいけない。だから、たかが……じゃない。簡単なことじゃないんだよ、帝王切開も」 ………あ、あぁ、テイオウセッカイって、そう言う意味だったんだ。 …………よかった、おっきな声でお医者さんに「それ、なんですか」って聞かなくて。 怖い、けど………でも………大丈夫。 「僕は、平気。赤ちゃんさえ無事なら。それでいいい」 僕は石神の首に腕を回して、体重をかけて石神をベッドに引きずり倒した。 「琥珀くん………」 「しばらく………このまま……で、いてもらって……いい?」 今………言わなきゃ。 石神に………言わなきゃ。 「あのさ、石神」 「何?どうしたの?」 「僕を被験者に選んでくれて、ありがとう。 は、はじめは………はじめはさ、すごくイヤだったんだ。なんでベータな僕がオメガになる被験者になって、妊娠とか出産まで経験しなきゃいけないんだって………」 無駄にイケメンな石神は、ビックリしたら顔をして………瞳をゆらして僕を見ていて。 ………絶句、している。 そりゃ、そうだ。 きっと「この期に及んで、コイツは何をいってるんだよ?」って思ってるハズだ。 でも、伝えなきゃ。 ちゃんと、ありがとうを言わなきゃ。 「でも、今は嬉しい。子どもを授かれるなんて、そうそう経験できることじゃないし。この子を育てていかなきゃいけないって、不安しかないけど………こういう機会を与えてくれてありがとう。石神さん」 そう言って僕は石神に抱きついた。 かつての僕の真っ平らな体なら、全て石神にピッタリくっついて全身で石神の感触を受け止めていたのに、今はお腹がつかえてて。 回した腕は伸び伸びで、ひっつき面はお腹だけで。 石神とこんなことできるのも、あともう少しなんだなぁって思うと。 少し切なくなってきたんだ。 赤ちゃんを産んで、薬の効果が切れてまた元のベータに戻った後。 僕と、石神と、赤ちゃんと。 どんな人生の歯車が回り出すんだろうか。

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