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第17話

-月-  美味しい、美味しいとあの子はおれの作った夕飯を食べた。緊張も緩んだようで笑みが戻る。おれはそれだけで満たされて、まだ手を付けていない分も彼に食べさせた。頬が落ちるように彼は美味しいと繰り返して食べていく。痩せた身体におれの作った料理が入っていく。身震いするような悦びとわずかに淫靡な感じがあった。食後に少し休ませてから風呂に入らせた。おれと輝しかこの家には入れないけれど歯ブラシの備蓄は何故か多くて、あの子の愛らしい小さな歯には少し大きような気がして歯茎を傷めたりしないかと心配になる。近くのコンビニで子供用のを買ってきたほうがいいだろうか。しかし考え直せば彼は高校生で、歯ブラシは大人用で事が足りる。とはいえあの子の挙動は子供そのままに少し粗雑な感じがあった。おれが磨こう。脱衣所の扉をノックして入る。シャワーの音がした。曇りガラスにあの子がぼやけている。横の鏡にはおれが映っている。輝と似ているらしいおれの容貌。長いこと居ると分からなくなる。おれと輝はそんなに似ているだろうか。 「あ…の、せんせ…」  あの子の声が反響する。おれは新しい歯ブラシを出していた。 「準備、できた……です」  その言葉をおれは何故か言葉通りに受け取らず、一緒に入浴したいという意味だと捉えていた。まだ食器の片付けがある。何か用があるのかと新しい歯ブラシの包装を剥いて風呂場に入った。あの子はおれに少し驚いていたけれど湯気の中でタイルに両腕と胸をつけておれに尻を向けた。腕を回して窄まった箇所を晒した。おれはその突然の行動に咳き込んでしまう。先程の尻叩きを求めていたこともおれには衝撃だったがそれを上回る。思考停止し、ただ普段人目に晒されることはない場所をおれは凝視してしまった。少し腫れて赤みが差している場所。その下の少し色付いた袋が微かに揺れた。毛先から水滴を垂らして睫毛にも絡んでいる。幼い雰囲気は残っているくせ水を弾く肌も、小さな顎が落ちていく湯も妖艶だった。目の毒だ。こんな子供におれは何を考えている。 「せんせ……」 「歯ブラシを持ってきた。口を出しなさい。おれが磨く」  おれは何も見ない、聞かないふりをして風呂場に置いてある夜用の歯磨き粉をブラシに乗せた。 「緋野せんせ?」 「痛くしない。でも痛かったら言ってくれ」  あの子はおれの掌に顎を乗せた。無防備に、無邪気に、おれを信じきって。大きな目はおれを見上げた。叫びたいような感覚に陥る。おれの身の内に留めておけない莫大なエネルギーがそこに湧き起こる。控えめな口に歯ブラシを挿入する手が震えた。 「緋野せんせ、オレ、自分で磨けるよ…?」 「おれがやる。歯茎を傷付けそうだ」  奥歯から磨いているうちに口の中が泡立った。彼は口を開け放しで、疲れたのか少し口を閉じたりした。おれは掌に伝わる顎の感触と唇を白くするこの子の顔に戸惑っていた。歯ブラシをする手も止まってしまう。全体的に磨いたつもりだったがもしこの子が虫歯にでもなって片頬を腫らすなんてことはあってはならない。可哀想だ。すぐに歯科医に連れて行く事柄だ。歯ブラシを立てながらまた前歯を磨く。口の端から唾液と歯磨き粉が落ちてきておれはシャワーで彼の口を濯いだ。白い歯が光っている。 「ありがと、緋野せんせ」  痛みもないのに頭を抱えた。爆発しそうだ。濡れた肌に水滴を付けた頬、雰囲気の変わった髪型、笑う目元。おれは服を着ていることも忘れて抱き締めていた。おれの胸や腹の中に収めてしまいたい。このまま身体の前面で丸呑みしてしまいたい。 「濡れちゃう…です、よ…」  一度抱擁してしまうと離せなくなるのは夕食前に学んだはずだ。この子だって婉曲に言うが困ってる。分かってはいるけれど離そうという気がまったく起きない。この子が風邪をひいてしまう。彼の濡れた髪を掻き上げる。この子の髪も洗いたい。触っていたい。洗う。決めた。 「髪も洗っていいか」 「え…でも、あの、」 「脱いでくる。一緒に入ろう」  おれは焦りで返事も聞かずに勝手に決めた。脱衣所で濡れた服を脱ぐ。少し恥ずかしかったが男同士で、あの子は子供でおれは大人だ。ただわずかに勃っている。そのうち落ち着くだろう。おれはあの子の髪を洗いたいのだ。背中も流したい。風呂場に戻るとあの子は裸を晒しているおれよりも恥ずかしそうで、背を向けた。彼も裸だけれど。 「せんせ」  何度かおれを見て彼はタイルに膝をついた。腰を掴まれる。 「礁…?」  あの子の無邪気な手がおれの擦り切れた汚い欲望を包む。無垢な唇が開いて、おれのそこを口に入れた。 「ちょっと、待て。礁。誰から教わった?そんなこと」  水滴が絡んだ睫毛が光っている。おれの器官を口から出して彼は呆けた表情をする。 「緋野せんせ…としか、オレ……あの、えっと……ゴメン、なさいです。オレ、ホントに、緋野せんせとしか…」  怪しい関係が確実なものに変わっていく。怪しいどころではない。確定している。おれの穢れた肉塊の前でこの子はおれを見上げたままでおれもこの子を見つめたままだった。おれが何か言うまで事を進めることも引くことも出来ないようだった。おれの知らない輝をこの子の中に見出してしまう。 「いい、今日はそんなことしなくていいんだ。立ってくれ。髪を洗う」  触れられたそこは化膿した時と同様に疼いていた。彼の髪を洗いたい。切り替えなければ(やま)しい欲が目を覚ましそうで。おれはこの子の髪を洗って、背中を流して、髪を乾かして、一緒に… -星-  肉体(カラダ)で払え。俺はそう言っていた。その時の子犬の表情が焼き付いて、そればかりが過ぎって、果てのない肉欲に溺れる。三十を前にしてもう老いた、枯れたと思っていたが思春期に戻った時みたいだ。  あれから従順になって俺は部活終わりの疲れた子犬を好きに抱いた。負い目が子犬の細い手足を縛って、痩せた身体を押し潰している。飽きさえすればすぐに子犬を手放す気でいた。建て替えたと言っておきながら闇金に金を借りている状況をみれば返ってくるだなんて露ほども思わない。利子が重なるだけだ。そのうち父親に保険金を掛けられるなり、臓器を売られるなり、薬漬けにされて給付金を搾り取られるなりするのだろう。最悪なのは、この子犬が犯罪の手先として扱われたり蹂躙されることだ。見ず知らずの輩にそんなことをされるのなら俺がする。子犬と数を熟すたび俺は食費として金を渡した。1食分程度の額だが1日に何も食べさせないよりかは持つ。子犬は俺に素直で、自分から脱いで自分から舐めて、自分から広げて、自分から跨った。すべて俺に対する後ろめたさから。あの闇金の徴収人が告げた額も俺がそう長くない時間をやり過ごすためだけに払った額も子供には到底返すことはできない。他人事だ。だが息が苦しくなる。偽善だ。払った金で腕のいいその道に()けた弁護士でも雇えばいい。ただその後の生活はどうなる?清算して首でも括るのか。俺の指だけで簡単にへし折れそうな首を。  俺は子犬の身体を暴きながら細い首に手を添えた。激しい怒りと恐怖に襲われる。ここに縄が喰い込むのかと思うと何もかもが嫌になる。そんな概念があることも、そんな妄想をしてしまうことも、その可能性が0でないことも。子犬は俺の気も知らないで冷や汗をかきながら気を遣う。俺が大金を払った客だから。  子犬が俺との関係に少し慣れた頃、俺はいつも子犬より先にいつもの場所に向かっていたが美潮と鉢合わせる。教室に忘れ物でもしたか、或いは。美潮はあの子犬に何か特殊な感情を抱いているようだった。例の出来事の発端も美潮が子犬に何か仕掛けたかららしい。キスされた、確かそんなようなことを言っていた。美潮は俺を不審げに見て階段を登っていく。まさか理科準備室に用があるのか。その場合どう誤魔化す?彼も付き合わせるか。生徒を守るべき教師などもう俺が語るには眩しいものになっていた。後は堕ちるだけ堕ちる。その時は子犬も引き摺り堕ろす。手放せるはずがない。幸いにも美潮は2階の渡り廊下に消えた。その奥には教室棟がある。やはり忘れ物だったのだろう。俺は理科準備室に入って子犬に遅れたことを詫びた。子犬は俺の顔を見た途端に土気色の顔で笑ったが同時に倒れてしまった。頭を打つ前に俺は軽い身体を受け止めた。熱はなかった。だが冷や汗をかいていた。乱暴に粗雑に扱った自覚はある。この子犬が好きだと前に言っていた燈に会わせてやりたくなった。燈なら俺よりこの子犬に優しく出来る。一緒にいたら手酷く抱いてしまうだけだ。 「明日が休みでよかったな」  意識のない子犬に嫌味を言った。明日明後日は会わずに済む。それともその安堵で油断でもしたのか。苛立つ。うちで預かる。燈の作った食事を摂れ。燈の傍で寝ろ。燈に甲斐甲斐しく世話してもらえ。軽い子犬を抱き上げた。ショルダーバッグや乳母車のような乗り物にイヌを乗せている飼い主の気持ちが少し分かる。誰かに見せたくなるような心地だ。俺のだと。可愛いだろうと。誰のどこのどんなイヌよりも。駐車場に着くと一度助手席に置いて、落ちないように後部座を倒しそこに子犬を寝かせた。誘拐のようだった。闇金の徴収人にこんなふうに連れ込まれて、誰にも助けを求められず、誰にも気付かれず拐われてしまうのかと妄想に過ぎなかったものが現実味を帯びた。この子犬に今すぐにでも首輪を付けて俺のだと主張しなければならない気がした。適当に置いていたパーカーと祖母を乗せた時のままの膝掛けを子犬に掛け、少しの間その寝顔を見ていたが他の教員に見つかる前に帰路についた。  燈に子犬を預け、俺は車の中で少し落ち着いた。子犬を帰したくないとふと思ってしまった。あの社会の闇の吹き溜りみたいな現実がある場所ではなく、俺が燈と暮らしている場所で過ごしてほしい。燈まで巻き込んでどういうつもりだ。ハンドルを握って俺は暫くぼうっとしていた。見慣れた駐車場の風景が違って見える。二日酔いのような怠さで俺はナビの履歴を調べ、燈にはメールで住所を教えると明日送り届けるよう頼んだ。最低の教師で、最低な双子の片割れだよ、俺は。 -漣-  能登島を眺めると俺の腹には熱が籠って、その解放の仕方を俺は知っているはずなのに意地が俺の邪魔をする。身体中は汗ばんでいるのに身動きをとるたびに悪寒が走るようだ。ほんの一瞬の快感のために嫌悪に値する下卑た妄想をする。それが許せなかった。違和感を押し殺して過ごしてみても卑猥な妄想は止まらず、俺のそこは腫れあがる。学校でなくて良かった。勃ち上がった場所に俺を甘やかしたい俺は手を伸ばし、意地を張る俺はそれを拒絶する。能登島のことを考えるだけでまた汗ばんで、能登島のことを忘れようとしてまた脳裏に現れる。考えなければいい。笛木は俺が能登島を好いていると言う。俺でもないくせに知ったふうな口を利いて。好いているわけない、苦しいんだから。他人(ひと)を自分の都合で呼び出して、自分に時間を割かせて愛だの恋だのを押し付けてくる人たちと同じなわけがない。また能登島のことを思い出して腰が重くなる。触りたい、でも能登島のことを考えながらするのは、何か、気味の悪いような、寒いような心地になる。出したい欲求は時間が経つたびに強くなる。宗教家はどうしているのだろう。俺は汗ばんだ手でシーツを引っ掻いた。水風呂でも浴びたい。もうここまで来たら出さなければ鎮まることもない。能登島は嫌だ。能登島でしたくない。能登島を忘れたい。あの声を忘れたい。キジトラの猫みたいな姿も、柴犬みたいな茶けた毛先も。柔らかな唇の感触を思い出して、俺は必死に守っていた何の足しにもならない意地を捨てた。あの柔らかさが惜しくて指を噛んだ。普段の手がもう治まりのつかないところに触れた。唇を噛み締める。待ち焦がれた快感が下半身に起こる。固く縛った縄のようなものが解けていく。身も心も。能登島に触られたい。ふと浮かんだ願望に俺はショックを受けながらも動かした掌から広がる痺れにどうでもよくなった。手が止まらなくなる。緋野の腕の中にいた姿が強く脚の間に響いた。俺も能登島に触りたい。笛木に連れて来られた時の弱々しい姿もよく覚えている。能登島にキス以上の何かを求めている。叶うわけがない。自分から壊したくせに、能登島に何か過激なことを求めている。俺に対して、俺だけに対して。また手の中で膨らむ。天井にすら俺を顔を向けられずに腕で隠した。  肘にシーツが当たる音がする。能登島を小声で呼びながら掌で射精した。頭は冷えていく。なのに欲望は留まらず引くこともなく増している。

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