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第23話

-星-  正直、もう俺は燈ではないと知れてもいいと思っていた。そのほうが楽になるはずだ。俺を嫌え。燈を好いていたのだと安心してくれ。俺みたいなのに振り回されないで。  俺の車で合流した。服装は明らかに違うが果たして子犬は気付くだろうか。後部座席におとなしく座っている子犬に昼食を渡す。鮭、わかめ、ツナマヨとチキンサラダ、お茶と口直しのパイナップル。見た目の割りに大食らいとは燈から聞いているがこれで足りるはずだ。やたらと食べさせたがる燈が言うくらいだ。余程なのだろう。  顔を見た瞬間に昨晩抱かれたことを察した。行為中に手を繋ぎたがったりキスや抱擁をねだるようになったのはおそらく燈の影響だ。 「きちんと食えよ」 「ありがと、せんせ…」  これから学校ではなく早朝バイトに送らなければならないのがどこか悲しい。まだ眠っていたい時間のはずだ。 「近くで待ってる。高校まで走るわけにも行かないだろう」 「でも、せんせ暇になっちゃうし…そんな遠い距離じゃないです、から」 「いい。勝手に連れ帰ったのは俺のほうだからな」  子犬は早朝バイトに行った。ドアを閉める音が何故か大きく聞こえた。ここ最近は子犬しか乗せていない。いやむしろ気にするべきはここ最近誰かを乗せているということだ。今別れたばかりだというのにもう会いたい。まだ謝っていなかった。謝らなければ。土下座して、地球の裏側に突き抜けるほど頭擦り付けて。それくらい酷いことをした。もう会ったりしたらいけない。手放せるか?手放せない。あの子犬の家の返済が滞って売られてしまったら。嫌がって泣くあの子犬が辱められもう世の中を歩けなくなってしまったら。食うにも困って誰にも助けを求められずあのアパートで飢えて死んでしまったら。胃が痛くなる。考えたくない、そんな未来は。俺1人が買う。燈の顔面(ツラ)をして俺1人だけの相手をしろ。そうすれば俺はこの罪悪感を金に換える。いつかあの子犬を喰らうことに押し潰されて首を括るか、俺が不慮の事故で死のうが、誰かしらの恨みを買って殺されようが、金は地獄に持っていけない。胡散臭い金融機関に返済したって経済は回らないだろうが、あの子犬が朝昼晩腹いっぱい食えるならそれでいい。まだその日は遠い。俺はあの子犬を幸せに出来ない。不幸にさせまいとすることしか。ハンドルに凭れ掛かる。目が痒くなった。美潮の子犬を見る切羽詰まった目が嫌だった。かなり気を遣っている指も躊躇いがちに重ねていた手も嫌だった。思い出したくない。真っ直ぐな欲情だった。俺にはない。助手席の箱に手をやった。昨晩玩具を買った。まだあの子犬をいじめようとしている。顔を見れば安堵するというのに別れたら不安で仕方がない。不安で、それに酔う。もっと俺を倫理観の腐った惨めな腑抜けにして欲しい。これ以上ないくらいに。帰って来たらあの子犬は泣くか?怒るか?嫌がるか。俺が初めて強姦した日よりも。それでもあの子犬は逆らわない。それだけは分かった。あの子犬の手足と首を金が縛っている。何重にも巻いて縛って固めて雁字搦めにしたのは紛れもなく俺だ。 -漣-  嘘だ。俺は声を漏らしそうで口元を覆った。能登島がまた俺のを舐めている。珍し過ぎるほど能登島から声をかけられて、あの(わだかま)りは消えたのかも知れない、なんて浮かれてた。その罰だ。膝が震えた。情けなく脚を開いて、誰が来るかも分からない場所で能登島は俺のものを音を立てて舐める。積み重なる欲と能登島の姿に快感ばかりが俺を支配する。コンクリートの冷たい壁を掴む。撫でたい。腰を揺らしてしまう。苦しがる能登島の声でさらに昂ぶる。 「…っ、」  指を齧ってやり過ごす。もうすぐで出すところだった。能登島は口を離して大きな目で俺を見上げた。彼はスラックスのポケットに手を入れた。3つの輪が連なった幅の広いシリコンバンドのようなもので、能登島は俺のものを固めた。そして先端部の形に沿った柔らかなサックを通す。 「何、して…」  俺に話し掛けてきた時とは打って変わって、能登島は静かになった。俺は早く出したかった。しかしシリコンバンドがそこの根元に嵌っている。部分部分の形が際立って直視したくない。しかし勃ってしまっている俺にはそれが痛く締め付ける。何より早く、出したい。キラキラした目にそこばかりを見られ羞恥に焼かれる。でもそこはシリコンバンドに締められながら、頷くように上下に揺れた。恥ずかしさで死にそうになる。至近距離から能登島に観察されている。それだけでみっともなく硬さを保っている。抵抗しようなどという考えも湧かなかった。でも痛い。出したい。能登島にかけたい。手が伸びてしまう。 「取らないで」  能登島の手の中にあるリモコンのようなものが押された。それが地球を爆発させる秘密兵器か何かならまだ良かった。不発なのか何も起こらない。そのまま俺のものは出すことも出来ず勃ったまま固定され、スラックスを履かされる。 「何だよ、これ…」 「オレのと…連動してんだって…」  控えめに自分の股間を押さえた能登島の姿に俺の前が反応した。膨れた分、あのシリコンバンドに圧迫され痛む。 「連動…?」 「教室、戻ろ」  追い込むだけ追い込んで能登島は素っ気なく言った。押し倒したくなる。実際肩を掴んで壁に押し付けてしまった。下腹部がもどかしい。 「どういうつもりなんだ」 「…分かんない」  能登島は俺から顔も目も逸らして答えたが、俺には唇が動いてることにしかもう興味がなかった。口付けそうになって避けられる。また彼の口を追って躱される。後頭部を掴んで無理矢理キスした。抵抗はなかった。ただ乾燥していた。逆剥けているのか引っ掛かる感じがした。温かそうで、太陽みたいなこいつには不似合いなほど口の中は冷たかった。腹の奥底を炙られ続け、重苦しさに息が切れているためかこいつに今までこいつに仕掛けたようなキスはもう出来なかった。ただ柔らかな弾力と逆剥けの感触を何度もキスして確かめた。能登島は壁に減り込みそうなほど後退ろうとして首を竦めた。能登島に嫌がられながらもキスしている。下腹部に電流が通るような痺れがあった。 「能登島」  唇を離す。目の前で乾燥した薄皮が鱗のように張っている。濡らしてやりたくなった。また顔を近付けると能登島は俺の腕を掴んで空部屋から引っ張り出した。訳の分からないものを付けられていることも忘れ、俺は能登島に夢中になっていた。掴まれているというよりはシャツを摘んでいる手に。傷んだ髪に。俺より少し身長の低い後姿に。力尽くで腕に閉じ込めたらどうなるんだろう。後ろから手を回して柔らかくて冷たい口の中を弄りたい。小さな尻に腰を押し込んでみたくなる。捲られた裾から伸びる脹脛を舐めてみたい。足首のミサンガが鎖だったら。 「じゃ…ね。(サト)ちゃんが気にするから」  教室から少しだけ離れた場所で能登島は俺を離した。いやらしいひとときが終わった。突然、理性的で冷めた現実に戻る。下に装着させられた異物が妙に重く、体温に溶け込まず感覚的に浮いている。遅れて教室に入ると大神は席に着くまで俺を目で追っていた。 「美潮きゅん、風邪気味?」 「…いいや」 「なぁんだ。顔赤かったからさ。目も潤んじゃってるし。ボクじゃなかったら惚れちゃうね、よっ!色男」  へらへら笑っている。バレてないだろう。よく大神の目を掻い潜って来られたもんだ。笛木を経由したのかも知れない。笛木といる時は能登島は1人で離れることも多いから。よく見ているもんだ。 「ンでも調子悪かったら言ったほうがいいよ」  大神はもう俺のほうを見ないで予鈴より早く来たらしい教員を見ていた。教壇の響きやすい足音が聞こえた。次の授業が何なのか忘れていた。教卓の前には緋野が立っている。名簿を開いて最前列の席に欠席者を訊いているようでペンを握っていた。ふと人形みたいな顔が持ち上がる。俺を見た気がした。気のせいだろう。本鈴が鳴るまで窓を眺めて視界から能登島も緋野も排除した。異物感は増していくばかりだった。痛みすらある。痺れるような感じもした。血流が止まってるんじゃないかと思った。しかし肉体的な錯覚ではなく本当に電流が通っているらしかった。根元を揺さぶられ、先端部に響く。いくらか落ち着きをみせていた放出したい欲求がみるみる育っていく。能登島を見れば、奴はぼんやりと緋野を見上げていた。俺の下腹部は激しく疼く。リズムをつけるように動いている。先端部まで。何かに連動していると言っていた。何に連動しているのか。それよりも出したい。椅子に振動しそうで息が詰まりながら腰を浮かせる。緋野の前なのに繕う余裕もない。身体も支えられず、本鈴と共に週番の号令がかかっても上手く立てなかった。立ち眩みを起こして大神の手が乱暴ながらも俺を支えた。 「まじで大丈夫(だいじ)?」  温度差を感じる。俺は大神に見透かされはしないかと寒くなりながら下半身だけは熱いままで、強張りながら何度か頷いた。 「ふぅん、体温(からだ)(あつ)いケド」  大神はすぐに俺を離した。注目を浴びている。性欲と理性でおかしな気分になった。激しい疎外感と自尊心で削れるそうだ。泣きたくなる。だがそれより早く出したい。外したい。 「美潮」  まだ起立させられたままの状態で緋野が俺を呼ぶ。 「制服が乱れている」  緋野はきっちりした自分の胸元を指した。俺は倣うようにシャツの釦に触れた。校則は襟元だけ開けていいことになっていたが能登島に連れ込まれた時開けられた。気拙そうな表情(かお)をされたのは校則違反だからか。そんな殊勝なものじゃないだろう。癖みたいな、そういう自然さだった。決まりきったことをこなすような。一体誰を脱がせているんだ。また下腹部に刺激が走る。屈み込んだ俺を大神が介抱する。情けないことこの上ない。 「保健室行くほどじゃないっぽいんですケド美潮クン、ちょっとあんまり体調良くないっぽいでーす」  大神がふざけたように真っ直ぐ上へ手を挙げた。 「具合が悪いのなら直さなくていい。より悪くなったらすぐ保健室へ行け」  緋野じゃなかったら口煩いほど保健室を勧められるところだった。緋野は週番に合図をしてそのまま号令がかかる。そしてそのまま授業が始まる。俺は本当に熱が出た時みたいに授業に集中出来なかった。問題も解けずにいる。早く出したい。痛い。苦しい。保健室へ行ってしまおうかとすら思った。黒板に緋野が印字みたいに正確無比な字を書いていく。当てられるかも、ということだけは思った。顔を上げると緋野と目が合った。しかし当てられたのは大神だ。俺は鈍く粘っこい視界を動かして能登島の背中を見ていた。奴も様子が変だった。身を縮め、そわそわしている。その姿を見たからかまだ俺の前は快感を拾い、痛み、苦しくなる。壊れる。一生の障害を負うかも知れない。その時は面倒を看てくれるのか、お前は。隣の物音に我に帰った。大神が前に出てちぐはぐな方程式を書く。緋野に何か言われて、一度書いていた式を訂正する。感心したような声を上げてから席に戻ってくる途中にいる能登島の肩を叩いていった。奴はその瞬間にびくびく震えた。その震え方は何か特殊で、今この場にそぐわないような、それでいて今俺が感じ取るのは非常にまずい雰囲気を含んでいるように思えた。痛みすれすれの電流が俺の我慢していた場所を駆け抜ける。能登島の名前を呼びそうになる。自分でする時のように。能登島の頸や濡れた唇に上目遣いが(カミナリ)みたいに頭の奥で光った。まるで能登島にされているようで、押さえられていても射精した時のような強い快感が生まれた。 「…っ、!ぁ…っ」  身体から力が抜け、支える間もなく机に上体を打ち付けてしまう。壊れたかも知れない。もう能登島なしでは気が狂いそうになった。 「あ~あ~あ~、これもう保健室行くやつ」  大神は俺を起こした。能登島の名をまた口にしかけて呑み込んだ。大神に聞かれたら大変だ。 「自習していてくれ。各自教え合うように。次回改めて解説する。予習はまだ要らないが復習を忘れるな」  緋野はそれらしいことを言って俺の腕を取ると保健室まで連れて行くらしかった。 「能登島も様子が変でした」  まさか緋野が一枚噛んでいるのか。一枚噛むどころじゃない。そもそも能登島があんなことするはずがない。能登島とただならない関係だったはずだ。緋野は能登島を支配している。だから奴は俺のを舐めて、飲んだ。到底許されないことだ。教師と生徒でいかがわしい関係を持っている。  緋野は俺を離して足を止めた。据わった目が俺を見下ろした。寒気がする。異物感で上手く歩けない。 「保健室へ行くよう伝えておく」  耳元で囁かれる。俺は恐ろしいほど整った顔を見ていた。何事もなく緋野はふたたび俺の腕を肩に回して保健室へ引っ張っていく。

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