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第28話
-漣-
能登島との保健室での一件があってから、痩せた手首とか小さな身体とか痩せた貧弱な肉付きを見るともう衝動を抑えられなかった。無理矢理にキスしてしまう。1人でいるのを見かけたら、空き部屋でレイプした。そのたびにまた次を作れば律儀にやって来る。緋野とのことをバラされたくないんだろう。俺はそんな脅し文句を吐いた覚えはないのにな。
何度目かのレイプの最中 激しい興奮の中で気付くと好きだと言っていた。慣れることなく喚いていた能登島よりも俺のほうが驚きだった。苦しさがわずかに消えて、余計に能登島と繋がりたくなって、違法ドラッグにハマるというのはああいうことなのかも知れない。好きだと押し付けるたびにつらそうにする顔も愉快だった。空いた部屋で待っていると能登島が浮かない顔をしてやって来る。痩せて育たなそうな身体に何をしてるんだろうと思うことはある。奴はテーブルに乗り上げて制服を脱いで早く済ませろとばかりに脚を開いた。何か違う。俺は別に性欲が溢れて止まらないわけじゃない。こいつの肌を見るのは嫌いじゃなかった。ただ何か違う。釦を外し切る手を止めてテーブルから下ろした。今すぐどうこうしたいわけじゃない。呼び出しておいて変な話だった。背中から捕まえて俺の腕にすっぽり収まる。長い息を吐く。こびりついた油汚れみたいなのが瞬く間に落ちていくような感覚に近い。埃まみれのフィルターを洗った直後のような。
「何だよ…」
能登島は疑い深い。暴れることもしなかった。抵抗されると思っていたから少し強く掴んでいた。
「…別に」
狭い肩に顎を乗せる。汗ばんでいるのに冷たい手を握った。子供みたいな手だった。苦しくなる。
「好きだ」
俺だけが楽になる呪いの言葉。浴びせられる側の重さを知らないわけじゃない。俺に積まれた数だけこいつにも積む。
「やだ」
重ねてた手を拒まれるが俺は握っていたい。嫌がられるのが嬉しい。いきなり火が点く。こいつは嫌がりながら高い声を上げて俺を呑んだまま身体を震わせる。俺は夢中になって苦しがっているのに突くのをやめられなくなる。
大神が大怪我を負ったと聞いた日もそうだった。緋野ばかり見ている後姿が苦しくなった。隣に俺を宥めるやつはいなくて。部活終わりに理科準備室に行くあいつを今までで一番乱暴にレイプした。昼間もやった。それだけでなく緋野との待ち合わせがあるからか抵抗も激しかった。唾を吐くように好きだと叫ぶとあいつは不安定になる。それが楽しかった。俺で乱れて。あいつの手が俺の顔を引っ掻いた。子供みたいな爪が剥がれたんじゃないかとあいつの腕を鷲掴む。あいつは怯えていた。俺を突き飛ばす。嫌がって怖がる能登島を俺は追えなかった。廊下に出ると疲れた顔の新寺と会った。俺を見た途端に妙な表情をして、引っ掻かれたことを思い出す。反射的に触れてしまった。少し痒い程度だった。あいつの爪が剥がれたりしなくてよかった。背中にも傷がある。あいつが引っ掻いてくれるなら俺の身体をキャンバスにしたっていい。
新寺は俺を保健室に連れて行った。猫に引っ掻かれたわけじゃない。大したことでもないのに。そうだった、俺は腫物だった。母親にまたクレームを入れさせる口実を作ってしまった。俺が能登島にどんなことをさせているかも知らないで。消毒液が当てられる。新寺は能登島とは親しいのかと聞いた。緋野とはまた別方向に整った顔を見つめてしまう。何を探っているのかと。緋野に頼まれたのか。学校から接触禁止令を出されている。ただそれだけの関係だと告げた。新寺は俺を見る。手が重なった。
「っごめ、」
咄嗟に引いた手からピンセットが落ちた。耳障りな音に俺は眉を顰めてしまう。
-夕-
生き延びちゃったな。分かってる。手首を切ったくらいで人は死なない。ただちょっと自分でやるより重力は容赦がなくて。洗ってたとえ汚れが落ちても返す気になれないお高いハンカチをそれでも一応洗ってもみようと思って手洗いしたけど全体的に染まっちゃって時間も経っちゃってるから斑模様になってやっぱり返せそうにはなかった。たとえ綺麗になっても返さないけどね。誰かの血が付いたものなんて。やっぱ病院の人に後始末してもらうんだった。衛生的にはそうしたほうがいいって言われたし。それなら洗う工程に意味なんかない。水の無駄、石鹸の無駄、時間の無駄。でもそういう効率よりさ、精神性ってやつがあるわけだな。後はゴミ箱に行くだけの高価なハンカチを見上げて、無駄になった水や石鹸のことを考えてた。緋野てんてーにハンカチ返したほうがいいかな。調べたら15万もするハンカチをぽんと返したら不審に思われる。教師の顔立てるなら返さないほうがいいのかな。生徒 として甘えたほうが。
「学校から連絡来ても怒らないでくださいよ。みんなと仲良くしたいんで。せめて高校生活くらいは」
後見人みたいな保護者みたいな人はちょっと不服そうだった。ナメられたら終わりの世界なんだっけ。さすがに堅気に怒鳴ったりとかしないと思うけど。
「高校生なんて少しヤンチャくらいがいいんですから」
美潮ン宅 みたいにさ、親が出てきて交友関係まで制御してくるとかごめんだから。いいよな、成人式とか同窓会、その気になれば顔出せるんだ。それで夜くらいに学校から連絡が来た。ボクの今日の保護者、唸ったり威嚇しないで喋れるんだなって。
「心配になる」
緋野てんてーって生徒に興味あるんだ。中庭で遊んでたら捕まった。緋野てんてーは大きな木の植え込みみたいなところの腰掛に座ってた。話あんまり聞いてなかった。それよりハンカチどうするか訊くかどうか迷ってた。遠くで礁太の部活の声がする。ひじきみたいに長い睫毛が伏せって絵になった。ぶっちゃっけた話、美潮と緋野てんてーってどっちが女子人気高いんだろ?新寺てんてーは童貞臭さ丸出しだからないな。あと系統が違う。
「俺なりに調べてみた。親御さんに相談しづらければ俺が間に入る」
分かってないでしょ、ボクん家フツーの家庭じゃないよ。場合によっちゃ美潮ン宅 より厄介だよ。それに何の話。緋野てんてーは三つ折りの紙をよこした。カウンセリングの案内だった。
「必要ないですよ」
「外野から見れば必要に思える」
緋野てんてーってたまぁに人間っぽいことするんだよな。っていうか人間だわ、この人。熱心に足元見てるから何かと思ったらアリに運ばれてくコガネムシの羽を見てた。
「相談された以上は何かしないといけませんもんね。あとから問題になる」
緋野てんてーは冷めた顔を上げた。
「応じないなら、こうして放課後に時間を設ける。相談しろとは言わないが、何かあれば話せ」
「緋野てんてーさぁ、もしかしてボクが何かすると思ってる?」
「外面ではなく、内面に」
犯罪というよりは自殺ってことか。ボク、そんな危うげに思えた?夕陽の射し込む緋野てんてーの目は綺麗だった。ちょっと照れる。
「緋野てんてーだって暇じゃないですよね。話すかどうかも分からない生徒 のためにそんなの、非効率です」
ボクが効率を語るのは片腹痛い。それなら虫を殺すな、そのことに発狂するな。ハンカチなんて洗わなくていいし。野良猫に礁太を重ねる必要なんかない。効率にこだわってた方がずっと楽なのに。
「何か起こるよりずっといい」
中庭にブルーのスポーツウェアが飛び込んでくる。礁太だ。ボクと緋野てんてーを見て笑う。渡り廊下が落ちてきて、礁太を潰しちゃったらどうしよう。腕だけ出して、瓦礫の下から礁太の中を駆け巡る真っ赤な血が流れ出るの。興奮しちゃったら?潰れた礁太の死体を見たくなって。頭蓋骨割れて、脳味噌とか出てきちゃうんだろうな。ボクの礁太、ボクの礁太礁太礁太礁太礁太礁太礁太礁太礁太。悲しくなる。ガラスが腕に刺さったとき、もし礁太が同じことしちゃったら?って思うとそれが怖くて仕方なかった。ボクで良かった。極悪人のボクで。
「もうすぐ部活終わり?」
ボクは礁太の傍に居たいからバカじゃないといけない。明るくないといけない。こんなふしだらなこと考えてるなんて悟られたらいけない。
「うん、あとはストレッチして片付けするの。サトちゃんは?」
「ちょっとたまたま緋野てんてーに会ってさ。もうそろそろ帰ろっかなって」
「そっか。手、気を付けてね。緋野せんせも。じゃ!」
礁太は無邪気に渡り廊下の下を走り抜けていく。ボクは両手を組んで祈っていた。ただ分からない。あの渡り廊下が崩れないようにと願ったのか、崩れてほしいと願ったのか。
「美潮の顔に引っ掻き傷があるのは見たか」
ボクは礁太が視界から消えるまで見てた。転んだらどうしようと心配な半分で、もしかしたら転んでほしかったのかも知れない。緋野てんてーがそれ以上の妄想を止める。
「見ましたね」
その続きを喋っちゃくれなかった。ただひとりで考え込んでる。美潮の瘡蓋 をみても別に何の不安も面白味もない。礁太のみたいに剥がしてみたいとか、全然。
「また誰かに接近禁止令が出るんです?」
「よせ」
アイスマン、アイスドールって言われてる緋野てんてーもやっぱりそういうのかったるいか~。
「あのクラス、あんなでもそれなりに調和してんですよ。狭いところで閉鎖的にやってたらいじめとか排他とかってやっぱ起きるんです。学校ってシステムがそもそもいじめを誘発するんですから。でもあのクラスはそれなりに喧しいやつ等と静かなやつ等で折り合って、上手くやってるんです。なのに大人は、壊しますよね。大人の事情は勿論ありますけど。良くも悪くもお国柄ですかね。それとも教育ですか。実質の善悪より上の顔色伺ってるほうが正しいんですから。別に先生方のみを指して言ってるんじゃありませんよ、この場合は」
緋野てんてーは俯いて、両手で顔を半分を覆ってた。アイスドールだったのに人間ってみたいだな。
「そうかもな」
「ま、子供に何が分かるって話なんですけど」
そろそろ帰る時間だ。緋野てんてーはまだ項垂れている。コガネムシの羽はもうアリの巣まで届けられたんじゃないかな。じゃあ何を見てるの?ハンカチ汚しちゃったし、ここで何の相談もしなかったら緋野てんてーの顔、立てられないね。
「ボクの気になる子の話していいですか」
「…その人が、」
「ボクが何度も頭の中で傷付けてる"カノジョ"です」
緋野てんてーは興味持ったのか顔を上げた。てんてーも知ってる人だよ。なんて腹で嗤った。
「この腕を見られたんですよ。なんだったかな、体育でバレーボールやった時。腕、赤くなっちゃって…」
あれ、うちの高校、体育は男女別なんだよなぁ。
「ただ、この傷の意味も知らなそうなカオして、痛そうって言ったんですよ。大丈夫?って。傷消えるといいねって言ったんです。ボクはその時、ボクはこの子にそんな優しい言葉をかけられるような価値のある人間じゃないって気付いちゃったんです」
B組との合同体育だった、確か。まだ体操着作れてなくて前の学校のジャージ着てたっけ。まだ覚えてる。殴ってみたくなった。鼻血を流す様を想像して興奮した。ボクの手が礁太の鼻を折る感触を想像するのが止められなかった。ボクはまだ、礁太を階段から突き落とさないかどうか、自分の理性を試してる。骨も折れて礁太の鼻血まみれの顔を舐めちゃうんじゃないかと思って怖くなって、そうしたいと思っちゃう。理科実験なんて気が気じゃない。体育もそうだ。苦しくて怖くて、好奇心が止まらなくなって。礁太にとって怖いものが多過ぎる。火だるまになるのも塩酸かぶるのも、組体操で転落するのも骨折って一生歩けなくなるのも全部ボクみたいな救いようのない極悪人でいい。
「この話はよそう」
緋野てんてーはまたボクの妄想を止めた。
「釦を緩めろ」
何を言われてるのか分からなかった。緋野てんてーは自分のカッターシャツの釦を触った。そのまま真似る。息がわずかに通るようになって、もしかしてボク今まで呼吸してなかったんじゃないかと思った。ぜぇぜぇ聞こえてたのが止まる。もしかしてボクの息だったの。
「悪かった」
「え?」
「敢えて喋らないという治療法もあるのかも知れない」
緋野てんてーはアイスドールのくせにちょっと同情してるような表情でボクを見ていた。
「このまま大人になったらさ、ボク、ヤバくないですか」
「大人になれば酒、タバコ、他にも逃れようは沢山ある。親の制約もない。ある程度の自己嫌悪にも耐性がつく。やがて麻痺する」
ボクは鼻で嗤っていた。開き直るっていうんじゃないの、それ。
「老害決定じゃないですか」
「なんだかんだ自分のことだけ考えているうちが華なのかも知れない。中途半端に相手のことを慮ろうとするからつらくなる。自分の欲求を諦めるなんて覚悟はないくせに」
冷めた目と目が合った。ちょっと口の端が吊り上がってた。緋野てんてーって笑うんだな。
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