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第33話
-月-
目隠しが取れて彼はおれに抱き付く。少しだけ見た目を輝 に寄せた。ほんの少し。今日この子を連れてくるとは聞いていたから。
「おかえり、礁」
一緒に帰ってきた設定だから「おかえり」はおかしいかな。けれどこの子は目を輝かせて「ただいま」って言うから強く抱き返していた。おれは輝 。その設定を守らねばならないから夕食の準備時間との辻褄を合わせるために先に入浴してもらう。今晩は枝豆ご飯とキノコとミルク煮込みハンバーグを作ったから喜んでもらえるといいけれど。入れ替わるタイミングで作っておいた弁当を輝には渡しておいた。おればかり良い思いをしていて申し訳ない。輝は多分コンビニ弁当で車中泊だ。
風呂場から鼻歌が聞こえておれは脱衣所であの子の物とおれたちの物とを分けていった。シャツからあの子の匂いと汗の匂いがした。顔を埋める。放せなくなる。明日明後日は休みだから手で洗う気になった。おれたちの家の匂いが付けばいいのに。おれたちの家の子になればいい。あの子が欲しい。弟でも息子でもいいから。聞こえてくる鼻歌は無邪気なのにおれは淫らに彼のシャツを嗅いでいた。酩酊感に浸る。あの子の匂いで肺を満たした。落ち着いて話すなら抜いてしまいたい。しかしあの子に夕飯を食べさせる手でそんな真似できない。夜だ。せめて食後。今はこれ以上火照らないように…
『あ、っわぁ!』
鈍い物音とあの子の悲鳴が聞こえておれは口から心臓を吐き出しかけた。寿命が縮まる。
「大丈夫か!」
バスタブに手を付いてあの子は転んでいた。重なった脚に悪寒に似た欲が駆けていった。ただ今はそれよりも投げ出された足を拾う。
「怪我は?」
「ないです…あの、せんせ、ゴメン…です、」
足首を慎重に回す。弱く揉んでみるが痛そうな反応は見せなかった。他に痛いところはないかおれは彼を立たせる。
「礁が怪我してないならいい。気にしないでくれ」
頭や腰を打ったりしなくて良かった。可愛い顔が痛みに呻くことがなくて良かった。胸の下からすべてを失ったような心地がした。やっと足の裏にスリッパやタイルの感触を得られる。
「どこか痛んだらすぐに言ってくれ。すぐに。君より大事なものなんてない」
入浴中でも電話中でも就寝中でもいい。この細くて軽い身体が打ち身や捻挫の痛みに耐えるだなんて許されないことだ。惜しくなって。濡れたこの子を抱擁する。腰を摩る。滑りにくい素材にリフォームしてしまおうか。それでこれからはおれと入るのがいい。
「せんせ…濡れちゃうよ」
「おれは構わない…礁の身体が冷えるな。よく温まってくれ」
まだ洗われていない髪を撫でた。少し濡れている。シャワー出てきた小さな水滴が愛らしい。
食事を終えておれが入浴を終えると彼は就寝前のおれに乗った。この子の性器が寝間着越しにおれのとぶつかる。大きな袖から出た指だけでもおれのは反応しているのにもう隠せないほど膨張して、この子もそれを分かっているようだった。
「せんせ…、最近してない……です、けど…オレ、頑張るです、から…他の人のこと、考えてて、いいから…」
おれのものはみっともなく勃起して彼は暫くそこに自分のものを押し当てていたがやがておれのものを触る。幼い手付きがおれを追い詰める。
「他の人のことを考えていていいとは、どういうことだ」
「……オレ、つまんないから…おっぱいないし、かわいくない…」
この子は誘っているのか。自分の両胸に手を当ててそんなことを言う。輝は一体どういうつもりだ。何故不安にさせる。言葉の端々、態度、表情から見てもこの子に飽きたなんてことはない。むしろ相当可愛がっている。
「礁は可愛い。どうにかしてしまいたいくらい可愛い」
「オレ…せんせのこと好き。せんせになら、どうにかされても、いい…」
「だめ」
おれの上に置かれた手を繋ぐ。彼は少し不安げだった。
「しないと不安か」
この子はこくこく頷いた。まだ若い。肉体 で繋がることに重きを置いてしまうのも分かる。気持ちは肉欲に比例すると思ってしまうものなのかも知れない。
「分かった。でも、おれがする」
「え…?」
「誰のことを考えていてもいい」
軽い身体を抱き締めて頭を打たないように注意を払いながら体勢を変えた。下になった彼はおれを見つめる。額や頬の滑らかな肌に触れる。日に焼けても相変わらず柔らかい。
「せんせがいい。せんせのことだけ考える。せんせ…が好き」
焦ったようにそう続ける。ベッドに乗ってから情緒不安定な感じがある。輝と上手く行ってないのかも知れない。そう感じさせた。まずは安心させたくて額や耳元に口付けていたがこの子は嫌がっておれの唇を塞ぐ。この子から輝は愛されている。けれど輝の情は残念ながら届いていないようだ。
「礁」
「カラダだけでも、いいから、オレ……他にわがまま言わないから…オレせんせがいい、」
「何かあったのか。先生には言えないことかな」
泣き出しそうになっている彼の前髪を額や目元から払い除ける。おれが梳かして乾かした髪はマラカスみたいに軽やかな音が鳴る。怯えたように首を振って否定して、分かりやすい。他に好きな人ができた。これは無さそうだ。輝が誤解を与えるようなことでもした。これはありそう。それともこの子が輝に誤解を与えたか。この話はやめたい。この子を余計不安定にしてしまう。おれは布の上からこの子の性器に触れた。身動ぐ姿に熱くなる。
「せんせ…」
「勃ってきたな。直接触る」
下着の中に収まっている勃起を扱いた。彼はおれの腕や顔に頬を擦り寄せて人懐こい猫みたいだった。
「ぁっあっ…せん、っぁッ」
おれに頬擦りする余裕もなくなったようでおれの腕を掴んで腰を揺らす。
「気持ちいいか」
「気持ちい、あっあっ、裏のとこ、だめ、ッ」
先端部に繋がる括れの裏側にある浅い窪みを関節の側面で刺激すると彼の身体が波打った。
「だ、めっ、だめっ、待って!っ待ってぇ、!」
必死な姿を見ていると少しいじめたくなってしまう。
「出ちゃ…待って、あっあっ、ダメなの、せんせ…っ!」
いやらしく湿った音がする。それにこだわっておれの手付きはもっと大胆になった。彼の顔を覗き込むとこの子はおれにまたキスする。下唇を甘く噛まれて手を止める。この子が思うよりずっとこの子は可愛い。心配になるほどだ。
「せんせのも…オレので、気持ち良くしたい……」
彼はおれの下から抜け出た。寝間着を下ろしておれに乗ろうとする。
「慣らそう。痛くする」
「だめ…っ、オレが、気持ち良くするの…っ」
「おれが慣らしたいんだ。出来るだけ礁に触っていたい。だめか」
この子は顔を真っ赤にして潤んだ目が怖がっている。頬を撫でる手が止められない。柔らかく肌に吸い付く。境界を失うように溶ける。
「礁に触るだけで気持ちいいよ、おれは。情けないが、もうそんなに若くないんだ」
なんて、30代以上の現役の人々に悪いか。ただ体質の問題だ。
「礁は嫌?疲れちゃったか」
彼は目元を擦った。目蓋は重そうで眠いのが分かる。またベッドに寝かせ髪を撫でながらこの子の手淫を再開する。
「そうだよな、いっぱい動いてきたものな」
「あ…っあ、」
「そのまま寝たらいい。片付けておくから。何も気にするな、大丈夫だから」
「せんせ、でも…っあ、あっ…!」
おれの手を掴むものだからこの子の自慰を見ているようだった。腰が揺れている。そろそろ限界なのだろう。
「我慢するな。また今度頑張ろうな。おやすみ、礁」
「あっ!あっあっぁぁ、」
おれの手にこの子の若い精液が飛んだ。ティッシュで拭き取る。彼の寝息が聞こえるまで傍に居た。生々しくも甘美な匂いがあの子と布団の芳香に混じっている。炙られていく。ほんの数分も経たない時間が快楽による拷問に等しかった。可憐な指から摘まれていた袖を抜いても彼は安らかに愛らしく眠り続ける。もう出すしかないまでに膨れた醜悪な欲を真新しい彼の痴態を使って慰めた。
-星-
俺はもし事故に遭いそうになった時、おそらく咄嗟に自分を守る人間 だから基本的には燈もしょうたも助手席には乗せない。後部座席が埋まった時以外は。説明するほどのことではないと思っていた。前の恋人は助手席に乗りたがった。助手席に乗るのが当たり前なのか。相手の力量を信用し過ぎてはいないかと。
「すみません…今日は。お時間をいただいてしまって」
助手席に新寺が乗る。俺は久々にタバコの吸った。
「あ、緋野先生はタバコ、吸われるんですね」
それを言われるまでタバコを吸っていたことにも気付かなかった。灰皿にタバコを押し付ける。
「ああ、悪かった」
「いいえ、いいえ!どうぞお吸いになってください。その、意外だったものですから……燈さんも、吸われるんですか…」
燈の話が出るだろうとは思っていた。俺とは話が弾まないのは分かっている。燈にしか話せないことを仕方なく俺に話すような。それで構わないといえば構わないが。
「吸っているところは見たことない」
だが互いの居ない場所で吸っているのかも知れない。家族だからといってすべて知れるわけでもない。双子でも。
「それで、何か話があるんだろう」
しょうたを自宅に送ってから指定されたグランドホテルの駐車場で合流する。さらに話しづらいからと新寺の車内に誘われたが落ち着かず俺の車に促した。
「…オレ…ずっと前から、燈さんのことが、好きで…」
「それは俺も知っている」
苦々しいまでに。居なくなればいいとすら思っていたくらいだ。どこに行くにも、何をするにも燈には新寺がいた。
「っ、知ってたんですか…っ!」
「ああ」
「…ぁ、ああ…あっ、あの、それで、とある生徒を見ていると…燈さんの若い頃を思い出してしまって……」
慌てふためき新寺は言った。俺はグランドホテルのオレンジ色の光を眺める。この観光地も近くはない片田舎でそこまでホテルを利用する用事があるのだろうか。
「笛木燈、笛木輝って聞き覚え、あるだろう」
田舎では同じ苗字が密集していることがある。笛木姓はこの辺りではそう珍しいものでもない。ただ分かるだろう、新寺ならば。
「そうですね」
むしろ緋野姓より馴染み深いかも知れないな。
「笛木縁 は母親の違う俺の妹だ。あの生徒に燈のことで詮索しようとか、関心を持つのはやめてくれ」
性欲がどうこうと聞かされているだけに余計恐ろしくなる。実感はないが異母妹であるという認識だけが新寺をさらに厄介なものに感じさせる。
「え……っあ、そ、そうなんですか、え…笛木さんて、あの…」
まるで初めて知ったような反応だった。知らなかったのか。墓穴を掘ったことに気付いて俺は頭を抱えてしまった。俺の思い込みだったらしい。要らない情報を与えてしまった。
「知らなかったのか…忘れてくれ。おそらく本人は知らない」
「あの、緋野先生。じゃ、じゃあ、ひとつだけ、お願いがあります…」
何が、じゃあなのか分からない。その文脈でいうと何か取引めいてはしないか。気は進まない。
「緋野先生にしか、頼めません…笛木さんには手を出しませんから、どうか…どうか…」
「呑まなかったら手を出すのか」
「…オレにとっては死活問題なんです。とても…とても…」
「聞くだけ聞く」
新寺は歯切れ悪く籠った喋り方で顔をゆっくり伏せていく。想像出来る範囲でいえば燈に会わせろ、か。
「緋野先生……」
睨んでしまう。嫌な予感ばかりがした。
「オレは……美潮くんのことが、好きで好きで堪らないんです。あの頃の燈さんにとてもよく似ていて……」
胃が反射を起こしたように、そして胃液を味わってしまったように俺は顔を顰めた。威嚇に似た声まで漏れる。話がまったく纏まらない。美潮の名はどこから来た。燈と笛木の話をしていたはずだ。沈黙が車内に流れて息苦しくなる。タバコをまた吸おうとしていた。新寺の言葉を反芻する。ひとつだけ頭に入ってきた部分にだけ答えた。
「似て、ない…」
「オレには似ているんです…とても。緋野先生、このままだとオレは…きっと美潮くんに手を出してしまいます。笛木さんにしたようなことを…」
「脅しているのか」
まだ躊躇いのある目は俺を見た。激しい侮蔑の念をもう隠せない。
「それくらい……オレ、燈さんのことが好きなんです。必死にもなる…」
思い違いをしていないか、俺は。性欲がどうとか、手を出すとか、好きとか、この執着心は。燈のことは、
「擬似的な兄として好きなんだろう?」
返事は聞きたくなかった。顔も見たくない。このまま逃げ出したい。握ったままのインナーハンドルが汗でべとつく。俺の車でなかったらすぐさま飛び出していたと思う。
「燈には会わせない。会わせられるわけない」
「そうおっしゃると思っていました。緋野先生、オレの相手をしてください。もう抑え切れないんです…また…美潮くんを見て燈さんのことを思い出して…笛木さんに緋野先生のことを言ってもらうのが、もう快感で、忘れられないんです」
俺はカーラジオを流していた。新寺の声すら聞きたくない。音量を上げる手を掴まれる。
「緋野先生…付き合ってください、オレと」
掴まれた手を引かれる。新寺の顔が近付いて、もうしょうたにしかあげるつもりのなかった唇が柔らかく湿った。
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