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第41話
-星-
立て続けに事件が起こる。関連性が見出せそうで見出せない。大神はヘリコプターに乗せられて市内の病院に運ばれた。C組は早退になった。1階に教室のある1年や気分の悪くなった他クラスの者たちも数人早退したらしい。理解しているつもりでもまだ残っている淡い期待は消せず中庭で待ってみるがやはり大神は来なかった。部活も顧問の要請がなければ全面的に休止になってサッカー部や野球部の掛け声も吹奏楽部の練習も聞こえない。彼は死にたがっていたように思う。言葉にした訳ではないが時折そんな雰囲気があって、だのに俺のことを案じていた。どうにか出来たかも知れない。ただどうにかして欲しい話でもなかったのかも知れない。金、人間関係、病、自ら死を選ぶ理由は多々あるが、もしかしたらどうにか解決出来ることで、それでも思想や性癖、個人の中に根を張った問題となるともうどうにもならないことだろう。大神はおそらくその類だ。ショウタを引き取る時に、大神は親に会わせることを嫌がった。俺は手間を掛けさせたことを詫び、礼を言いたかった。あの時に対面するはずだった大神の親は今どんな思いを抱いているのだろう。ただの教師と生徒、素人同士の病人とカウンセラーみたいな関係でもやりきれない思いがするというのに。皮肉にも俺は大神を通して生きているという実感をする。顔を覆ってしまう。肌の感触があった。息が籠る。楽観的にもなれなかった。かといって悲観的でもなく、公平に見たつもりでも大神は助からない。一命は取り留めるかも知れない。ただ今までのような生活は望めないだろう。人には骨があり神経があり脳がある。俺の斜め左で屈んでいた背中がない。幼い頃の俺の姿。友達はいなかった。燈がいればそれで十分で、他人と仲良く出来なかった。気付けば恨みばかり買っていたような気がする。恨まれるようなことを言ったりした覚えはなかったが、異性に好 い態度 をしているとか、気障とか、不正をしているとか。それなら人好きのする飄々とした大神とはまったく重ならない。
「緋野先生。こちらにいらっしゃったんですね」
中庭に新寺が来る。大神との場所を嫌な気分で穢したくなかった。俺は新寺が近付いてくる前に自分から歩いて行った。
「無理だ。暫くは、無理そうだ…」
「少し話しましょう」
「何も話すことらなんざない。放っておいてくれ」
触れようとした腕を拒む。気安く触らないで欲しい。職場 では。
「お前だって疲れているだろう」
「礁太が待っていても?」
何故新寺がわざわざ彼の名を出すのだろう。俺は睨み付けていた。
「俺のことは待っていないはずだ」
「大神くんのことと関係があるみたいなんですよ」
「何か聞いたのか」
新寺は肯定した。あの生徒と大神は仲が良い。今日の騒動でも一緒だった。気落ちするのは当然といえる。あの性格なら尚のこと。
「それなら俺の聞く話じゃない」
あの生徒は授業と進路相談以外で俺に近寄るべきでない。この件に関して俺は部外者だ。C組の担任副担任でもなければその時の授業の教科担任でもなく第一に現場へ駆け付けた教師でもない。俺である必要がなかった。あの生徒は俺の傍に寄らないほうがいい。肉体 で払えなどと言わなければよかった。まだ俺に縛り付けられるのか。こんな状況にあっても。
「オレには話してくれないんです。ある程度のところまでしか」
「まだ落ち着いてないだけだろう。ただの数学担当の俺には関係ない」
違和感なく接しているつもりだ。あからさまに意識しもせずに必要なら話もした。教師と生徒の関係を捻じ曲げて別の関係を作り出して消しても基板は変わらないのだから。
「礁太とどういう関係なんですか」
「教師と生徒、それ以外にあるか」
「緋野先生」
「1人にしてくれ。誰とも話したくない」
夕日が歪んで見えた。それが何となく大神とはもう前のようには会えないのだと報せた。幼い俺に似た姿は中庭のどこにもない。少なくとも俺の中では覚悟 が落ち着いてしまった。
-雨-
自殺か事故か。オレは何度か自分の中で考えてみたけど答えは変わらない。教室をみて、それからオレの目を見て、へらへら笑って暁 ちゃんは落ちていった。後からショータがベランダに飛び込んできて何があったのかと思った。もう訳が分からなかった。ショータまで落ちかねなくて引き摺り下ろしながら見た暁ちゃんはもう血の海だった。悲鳴がまだ耳から消えない。野次馬も。何が起きたかさっぱり分からなかったけどショータのことだけは放しちゃダメだと思った。騒ぎが騒ぎを呼んで、なのにこのクラスは静かで、オレの他にも暁ちゃんが転落する瞬間を見ていた子たちがいた。全然違うクラスの担任が来て、ベランダに突っ立っているオレの手を引いた。ショータのことも引っ張ったけどショータは手摺りの前で蹲ってた。オレに言い寄ってくる桃ナントカが野次馬に来てたからショータも連れて来てって頼んだ。なんでかオレの顎は重くて固まってた。そのうち臨時の全校集会が開かれて、でもオレは別室に移動させられた。手は震えてたと思う。もう後のことは覚えてない。桃 ナントカはホントにショータを連れて来て、ショータが「オレのせいだ」って言い出して教師 の関心がオレから逸れた。体育館の全校集会に合流するように言われて桃ナントカは馴れ馴れしくオレの背を押して一緒に体育館に行こうとするけどあんな状態のショータを放っておけるわけなかった。オレは留まることを選んで集会には行かなかった。あったこと見たことすべて話した。眠くもないし目ははっきり覚めてるのに何かがぼんやりする。だってさっきまで確かに暁ちゃんと話してて、まるで鉄棒みたいに暁ちゃんは後ろに倒れていった。間違って落ちたのかな。だってなんで自分から落ちるの。一回確かに手摺りの上に座って、クラスを見て、オレを見て、いつものへらへらした顔して次の瞬間にはもういなかった。ショータはろくに話も出来なくて、ただ自分が悪いのだと繰り返して、自分のせいだと言って泣いていた。何があったのか話してくれなかった。オレにも。
保健室でショータとぼんやりしてた。副担任が対面で蹲って可哀想。花坂しぇんしぇ。まだ若いのに。24とか言ってたっけな。ショータはやっと泣き止んで、オレはずっとその背中を撫でてた。それで掠れ切った声で緋野に話したいことがあるって言った。新寺しぇんしぇもずっとこの部屋に居たみたいで呼んでくるって言ったのに結局1人で戻ってきて、緋野は用があるとか言ってた。嘘だ。オレはショータの肩を何度か叩いて緋野のところに急ぐ。どうせショータに顔合わせられないんでしょ。探し回って喫煙所にいた。タバコを離して煙を吐く姿がパパンにそっくりだった。喫煙 る姿だけ。吸って吐く間隔も。影絵になった昔のパパンみたい。
「緋野しぇんしぇ」
緋野はまだ残りがあるのにタバコを錆びた缶に捨てた。生徒の前じゃ愛煙 るわけにはいかないか。
「何の用だ」
「新寺しぇんしぇには会ったんですよね」
「…ああ」
目を逸らす仕草 は全然パパンに似てなかった。
「ショータが呼んでます」
緋野はまだタバコ摘んでた指を擦り合わせる。
「俺をか」
「そうです。暁ちゃんがああなったのは自分のせいだってずっと言ってるんです。でも多分緋野しぇんしぇにしか何があったか話さない気ですよ」
動く気配はなかった。ただ突っ立ってる。オレから顔を背けて。ショータのこと、奪られちゃったんだもんね。寝取られ一家の血から逃げられないんだと思う。
「……分かった。笛木も間に入れ」
「あーしもっすか」
2人きりで話すものだと思ってたからオレまで一緒になるとは思わなかった。緋野は頷いて喫煙所の砂利がジャリジャリ鳴った。緋野と保健室に行って、新寺しぇんしぇはちょっと驚いたカオをした。緋野は新寺しぇんしぇの顔も見ずに奥まったところにあるソファーに向かっていった。花坂しぇんしぇの隣に座って、そうするともう花坂しぇんしぇも壁と緋野に塞がれて一緒に居ないといけなくなった。オレもちょっと怖がってるショータの隣に座った。新寺しぇんしぇは水場に行って、多分あのお湯味のココア出してくれるみたい。
「話があると聞いて来た。大神との間にトラブルがあったようだな」
花坂しぇんしぇは緋野が苦手なんだなってすぐに分かった。冷たく突き離すような感じで言われてショータが可哀想になる。ショータもショータで周りのこと気にしてやっぱり2人きりで話したかったんじゃん。
「緋野せ…」
「大神の転落事故を自分が原因だと主張しているらしいな。何があった?」
「緋野せんせ…あの、」
ショータが可哀想だ。緋野はショータと目も合わせないで首から下ばっか見てた。
「ご、ゴメン、なさ…」
「謝れとは言っていない。大神と何があったのか聞きに来た」
ショータは乱暴に顔を拭いた。また泣いちゃいそうだ。
「嫌いって言っちゃった…です。心配して来てくれたのに、」
「何故そんなことを言った」
震えて聞き取りづらくなってるショータの声とは反対に緋野はドラマで見る取調の刑事みたいだった。
「……っそれは、」
緋野は黙ってショータの言葉を待つ。ショータが目を逸らした時だけ穴空けるほど見るの卑怯だ。ショータはもう喋れなそうで、花坂しぇんしぇもショータに気を遣う素振りを見せた。花坂しぇんしぇには睨んでるように見えるだろうな。花坂しぇんしぇ、緋野 実はショータを誑かすヤバいやつなんです。
「少し落ち着きましょう。礁太だって混乱しちゃうよな」
新寺しぇんしぇはショータとオレにお湯味ココアを出してくれた。花坂しぇんしぇもショータに優しめな声を掛けてくれて、緋野だけ浮いてる。ショータは緋野と新寺しぇんしぇをじろじろ見てた。
「ちょっとだけショータと2人だけで話していいっすか」
新寺しぇんしぇも花坂しぇんしぇも優しく良いって言ってくれた。若いっていいな、若いほうがいい。緋野じじいはダメだ。ショータを引っ張って保健室の外に出す。ショータもオレの袖を摘んでた。廊下の窓の傍で向かい合うとショータは大声上げてまた泣き始める。ショータのせいじゃないよ。オレは背伸びをしてショータの硬い髪を抱き締めた。危ないって言えたかも知れない。止められたかも知れない。その行動自体は。だってあれはきっと事故じゃない。ショータのせいじゃない。じゃあ誰のせい?オレのせいかも知れない。一可能性 止められたかもって、それで一番それが出来る立場だった。誰のせいでもないかも知れないのにくだらな。
「緋野が関係あるんだよな?」
目を真っ赤にしてるのにまだ乱暴に擦るものだから止めてママンから持たされてるハンカチで目元を押さえた。ショータはこくんと頷いた。
「みんなの前では言いづらいことなのか?」
ショータはまたこくこく頷いた。
「暁ちゃんと喧嘩しちゃったの?」
嫌いって、だって日常 ならショータはそんなこと言うはずない。暁ちゃんに対してなら冗談でも言わない。でも、だから暁ちゃんのあの転落する前の表情が理解出来ちゃう。へらへら笑ってはいたけど、その前の空虚な感じ。
「オレが……一方的に、言ったの、オレが…」
「それが緋野に関係のあること?」
鼻をずるずる鳴らしてショータは頷いた。これ以上踏み込めなかった。あとは緋野と2人で話したいことなんだと思う。背中を摩りながら保健室に戻る。3人の教師 は一言も口を利かないで座っていた。ショータをソファーに座らせて介護するみたいにオレもその隣に座った。実際ショータは本当に介護が必要なくらい身体は脱殻みたいだった。ショータは膝を抱えて蹲る。何か喋ろうとはするけど全部呻き声に変わっちゃう。それを見て花坂しぇんしぇはツラそうなカオしてた。
「今日はやめとこ、ショータ。まだ混乱してるんだよ。無理に話そうとしないほうがいいんじゃないかな」
ショータは両手で顔を覆ったまま首を振った。でも新寺しぇんしぇも花坂しぇんしぇもそれが良いって言った。ショータは副担任の花坂しぇんしぇが自宅まで送ってくれるらしかった。オレは自分で帰れそうだったけど下駄箱のところで緋野が後から追って来た。
「送ろうか」
ちょっとびっくりした。来ちゃまずいでしょ、オレん家 に。だってパパンを奪った家族なんだからね。それで自分等を捨てたパパンの新しい家庭 。
「ダイジョーブですよ」
「目の前で見たと聞いた」
なんでか、誰よりも間近で見たのに現実味がない。意外なほど簡単にスルー出来ちゃってた。思い返してみても特別な感情みたいなのが湧かない。暁ちゃんのこと仲の良い友達だと思ってたのに薄情なんだな、オレって。
「きちんと感情が処理されないのは拙い」
「それは、緋野しぇんしぇの方 なんじゃないんでつか」
薄情だったんだな、オレって。
「そうだな」
緋野を振り返る。見たくなかった。肩を落として顔を拭く姿と溶けたような声。見たくなかった、聞きたくなかった。逃げたくなった。
「送ってくれなくてダイジョーブです」
靴に足を突っ込んで校門まで走った。暁ちゃんから広がる血の海を思い出して立ち止まる。クラスの様子を眺めてたのも、オレと目が合ったのも、全部オレの妄想な気がしてきた。やっぱり涙は出なかった。
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