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第43話

-星-  大神の席は空いたまま、放課後にも中庭には来なかった。ショウタの状況を話せるものはいなかった。デスクに置く写真が増えてそのことについて訊かれてれて、すべて片付けてしまった。他の奴等の目に入る可能性を馬鹿な俺はまったく気に掛けていなかったんだ。ショウタは俺と燈と大神が知っていればいいんだもんな。馬鹿だった。いつも間が抜けている。父親のいなくなった次の日に似ている。俺はまたただ待っている。誰も来ない。気が狂いそうになる。誰とも遊びに行かなくなった日の公園と重なった。俺は燈について行かなかった。大神がいない。俺のひとり遊ぶ小さな背中もみえない。気が狂いそうになる。日が暮れていく様が昔から嫌いだ。父親と遊んだ日を思い出す。あの日々をどうにも否定しなければならないような気がして、(おの)ずと思い出すのは苦痛だ。苦痛というと大袈裟だがほんの小さなこの苦痛は原因にはならずとも要因にはなる。大神がもし自ら飛んだなら分からなくもない気がしてしまう。こういうのは重なるか並ぶかして、特に予定を組まなくてもふと本人ですら覚えなくただそれが習慣化しているみたいに、或いはほんの興味、もしかしたら大事(おおごと)だとは認識もせず。大神は自ら飛んだのかも知れない。言葉の端々、傍に居て何となく伝わる雰囲気から確信に近付いていく。完全な俺のエゴなら生きていて欲しい。ただ大神のこれから続く苦悩を考えるなら… 「緋野先生」  新寺が目の前に立っていた。逃げたい。同時にこの場から離れたくない。 「あの話ではありませんから落ち着いてください。昼休みから笛木さんが来てます。少し話す相手になってくださいませんか」  俺は返事もろくに出来ず保健室に向かう。何故俺に言うのか。俺が腹違いであろうと兄だからか。それとも大神が居なくなって本当に職務放棄(サボタージュ)していたからか。将又(はたまた)そういう指名でも入ったのか。  笛木はベッドに腰を下ろして足を交互に揺らしていた。顔色は白く、雰囲気は普段と変わらないが隈が浮かんでいる。 「緋野しぇんしぇも具合悪いんでつか~?」  俺を笛木がわざわざ指名した線は外れた。ホストクラブでもあるまい。当然だ。 「いいや。そういう笛木は体調が良くないらしいな」 「あ~、うん。ちょっと貧血気味で」 「暫くは保健室通いでも良いと思うが」  笛木は俯いて小馬鹿にするように笑った。 「教室いると、色々想像しちゃって。みんなのこと見回してさ、あーしの目見た時も、全然びっくりしたカンジもなかった。こういうこと言うと怒られるかも知んないケドさ、あーし、暁ちゃんは…自分から落ちたんだと思うな」  さぁ怒れと言わんばかりに笛木は俺を見たが、(おおむ)ね同意見の俺には特に言うことはなかった。 「って言っても悩みみたいなのは聞いたコトないから、本当のところは分かんないケド…ショータからも何も聞いてないし」 「そうか」 「ショータなら知ってるみたいだから…ショータに聞いてみるのがいいでつよ。緋野しぇんしぇにしか言いたくないってのはまだ変わらないみたいだし」  原因の究明が必要だと俺一個人としては思わなかった。こういった場合にやたらと挙げられる原因としていじめがあるが、いじめがあるとは聞いたこともない。定期アンケートにもC組いじめがあるとは聞いていない。本人から聞かなかった。俺自身肌で感じた。学校の対応としては1ヶ月間のベランダの出入り自粛と授業前に担当教師がベランダの施錠を確認し1分間の黙祷という形式ばかりで無駄なことをする決まりになった。大神は加虐的な性癖と加害妄想に後ろめたさを覚えていた。そのことを明るみにして良いのか。俺は黙っていたい。惚れたという人に対して口無しになるために大神はおそらく飛び降りた。 「…そうだな」  形式的といえどもある程度の策は練ったといえる。ただ何もしなかったわけではなくそれなりのアクションはしたのだと苦情には返せる。笛木は俺の考えを見透かしたように軽蔑した眼差しをくれた。俺を嫌う燈の友人たちからよく向けられたのと同じ目だ。 -漣- 「なぁなぁ、マジで付き合ってんならさー、性交(パコ)ってるとこ見してよ。ホモ交尾ってどんなもんか見てみたい」  礁太が泣き出しているのに外野の野蛮なやつが妙なことを言い出す。 「何を言ってる」 「は?王子様童貞なん?割とフツーのことだと思うんだケドな?」  まだ泣いている礁太をこの変なやつから守らなければならなかった。余計抱き締めると訳の分からないやつはアスファルトに唾を飛ばした。 「恥ずかしがるなよ。ちんこなんて見せ合うもんなんだし。いいよな、のっち?それとも王子様ってちんこ無いとか?」  こんなやつが礁太のチームメイトなのかと思うとゾッとした。無防備に身体まで触らせて。礁太に触れようとする汚い手を叩き落とす。 「俺の礁太に触るな」 「でものっちは触らしてくれっから」  あろうことか礁太のチームメイトは俺の対面に屈んで礁太の腹に腕を回した。 「こうやってんすんの?」  顔をぼろぼろにして泣く礁太が顔を上げ、俺は思わず濡れた唇にキスした。だがチームメイトに下半身を持ち上げられて少し驚いた顔をする。礁太の頭のおかしいチームメイトは可愛い小さな尻に股間を押し付けていた。見せ付けるように腰を振る。 「あ…、」 「やめろ!」 「あ、もしかして逆?王子様ちんこないって噂だし。え、実際のところ男なの?女なの?」  礁太を奪い返し相手を睨む。センシティブな内容を遠慮もなく不躾に訊ねてくるこいつはデリカシーのデの字もないらしい。 「なぁ、のっちは見たことあるんだよな?王子様ってちんこあんの?」  混乱しながら礁太は頷いた。まだ涙を溢しているから俺は指で掬った。気触(かぶ)れそうだ。後頭部に手を回し汗をかいただろう硬い髪を抱く。変な質問に答える必要なんかない。でも礁太は俺を突き飛ばした。その隙に軽率そうなチームメイトに腕を取られ、礁太は奪われた。 「(おっ)きいの?本物?」 「やめろ。礁太に変なことを訊くな」 「ちんこあるとか嘘だろ、そんな女みてーなカオして。なぁ、のっち」  あくまでも礁太には親しげで、口さえ利かなければその態度や笑みは大神にも似ていた。 「のっち、付き合ってんの?ホントに?付き合うってあれだぞ、お友達ってイミじゃなくてコイビトってことだぞ?」  少し焦ったような感じがある。俺は早く礁太を取り戻したかったが答えを聞いてみたくなった。待ってはみるが答えは出てこない。可愛い目が俺の機嫌を窺う。肯定してくれ。肯定しろ。付き合ってるんだ、俺たちは。キスしたくなる可愛いらしい唇が開きかけた。 「のっち!」  俺は焦った。礁太が他の男に抱擁されている。力強く、友人関係という域を越えた雰囲気を帯びている。 「やっぱヤダ。なんかいきなりのっちが王子様とコイビトなんかって思ったら急にイヤんなったわ」 「(たい)ちゃ…っぁ、」  礁太の小さな顎は上を向かされ頭のおかしいチームメイトが貪るように口付けた。片手があの薄い胸を(まさぐ)る。 「あ…ふ、ンん……っんゃ、ァっ」  一瞬で俺の身体は熱くなった。礁太を引き剥がそうとする。ただあのチームメイトは礁太の愛らしい舌を喰んでいる。無理矢理に引けば怪我するかも知れないと思うと俺は礁太の首元や肩に触れることしか出来なかった。俺もキスしたい。甘い口腔を味わいたい。舌で深く繋がりたい。 「み…し、んん…」  胸を触るチームメイトの手を落とし俺が少し膨らんだ場所を刺激する。腰が揺れている。 「ン…っんぁッ…ぁあ…」  礁太の前に伸びた手を払う。俺のだ。すべて俺のだ。唇の端から滴る唾液を拭う。 「ッぷっはー」  礁太のチームメイトは礁太の唇から離れた。礁太は(のぼ)せたような顔で無防備にその男を見つめるため俺のほうを向かせた。 「ぼくのっちのコト好きなんかな?キスめちゃくちゃ気持良かった。チーズケーキの味がする」 「ん、」  返事しようとする礁太の口の中を消毒する。力の無い舌を掻き回す。甘い。可愛い。アイシテル。 「のっちとならなんかヤれそうな気がしてきた。ねぇ王子様、のっちのコト貸してよ。そんでのっち、ケツ貸して。ホモってケツでヤるんでしょ」 「駄目だ」  何を言い出すのかと思えば、この男はデリカシー以前に何か欠けているのかも知れない。礁太がそんな乱暴な考えを持っているやつに興味を抱かれたのかと思うと恐怖で歯が鳴りそうだ。 「のっち~頼むよ~」 「駄目だ。いいわけないだろう。自分の恋人を他のやつにくれる馬鹿がどこにいる」  口にしてから俺はどこかの誰かを否定したことに気付いた。だがそうだろう。こんな可愛い恋人相手に別の人間を介在させようとする? 「のっちは?」 「断れ」 「いちいちうっせーな!のっちの保護者か!」 「恋人としてこの問題には口を出す権利がある」  このチームメイトの目に触れるのも嫌だった。礁太は無防備過ぎる。 「六法全書の何ページ目にそんなもの書いてあんだよ。権利権利ゆうからにはコのっちをセックスでキモチヨクする義務は果たしてんのかよ?なぁ、のっち?」  礁太は顔を赤くする。可愛いがこの男には見せられない。そしておそらく六法全書には載っていない。法律とはまた別のもののはずだ。各々で変容していくような。 「待って…オレ無理だよ…サトちゃんが大変な時に……そんなことデキない……」  また礁太は泣き出した。髪を梳きながら身体を揺らしてあやす。泣く子供は面倒だから嫌いなはずだった。汗とシャンプーの匂いがする。 「礁太…」 「でもそれってのっちが何してもどーしよーもないことじゃね?キモチヨクなって忘れちゃわね?っつーか忘れさせてやるよ」  声音が突然低くなり、真剣味を帯びはじめる。俺は警戒した。黒い目は溌剌として礁太のことばかり眺めている。粘っこい眼差しが礁太の愛らしい背中に纏わりついている。 「礁太は俺と付き合ってるんだ。諦めてくれ」  まだまだ足らないのか。礁太が俺だけを見てくれるまであとどれくらい俺の遺伝子を食わせればいいんだろう。腹の奥が疼いた。 「ふーん。とりあえずおっ勃ったから一発ヌいてくるわ。ンでまだのっちとヤりたかったガチで狙いにいく」  張り詰めたスラックスの前を恥ずかしげもなく押さえて下品なやつは走り去っていった。すると礁太は俺を撥ね除ける。本当にまだ足らない。残りのチーズケーキを綺麗なピンク色の口の中に詰め込む。子供っぽい手が俺を嫌がる。好奇心旺盛な猫みたいだ。可愛いらしすぎると人は苦しく息が詰まる仕組みになっているらしい。 「美潮、や……だって!んっぐ、」 「全部食べろ」 「ぃやだ、やァっ!」  抵抗する姿まで可愛いから礁太が素直に食べてくれなくても俺にとっては楽しくて仕方がなかった。俺たちは付き合っている。学校にも説明した。母親も説得した。あとは礁太が俺を好きになればいい。 「礁太、俺を好きになれ。俺は礁太をアイシテル。好きだ。好き」  チーズケーキを詰めた口の中で舌が俺の指を押し返す。潤んだ大きな目はまだ俺を好いてはくれない。俺の量が足らないのだ。明日からは2回分俺を入れる。 「んぐ、ぐ……ぁぐ、」 「ちゃんと食べないなら口移しにするか?」  それでもいい。礁太が食べてくれるなら。リスみたいに膨らんだ頬が揺れた。よく食べる姿が最も似合う。褒めてやりたくなって髪や耳を撫でた。引き結ばれた唇に残ったかけらを舐め取る。そのまま触れるだけのキスをして茶を飲ませた。 「可愛い。礁太。好きだ。大好き。アイシテル」  拗ねた顔をして礁太は俺から離れようとする。そんな態度すらも可愛いと思わずにいられなかった。 「美潮怖いから嫌」 「さっきのやつがいいのか。俺より?」  大きなきらきらした目が俺を見上げる。躊躇いながらも頷いた。はっきりした拒絶。細い腕を力一杯掴んでいたらしく礁太は痛がって悲鳴を上げた。 「だって泰ちゃんは美潮みたいに酷いコトしないもん。緋野せんせのコト忘れろとか言わないもん。美潮と違って思ったことすぐ言ってくれるもん…!」  あれだけ親しげにしておきながら礁太はあのチームメイトを分かっていないらしい。あれは大神みたいな優しい無害なやつじゃない。 「俺がよく喋れば安心する?好きになってくれるのか…?どうすればいい。礁太好みの男になる。どうすれば礁太に好いてもらえる?」  青褪めた顔をして礁太は緩やかに首を振って怯えている。怖がらせたいわけじゃない。俺は本当に礁太に好かれたいだけだった。そのためなら意地も曲げる。矜恃も要らない。 「こ、わい…」  腕を掴んだままの俺の手を礁太はおそるおそる外そうとする。放せばそのまま逃げ出してしまいそうでたとえそれが礁太に好かれる要求の一歩だとしても放せそうになかったのだから俺の考えも随分と矛盾していた。 「怖くない」 「美潮は、怖いよ。重いし、笑わないし、喋らないし、すぐ怒るし、何考えてるか分かんないし…」 「ずっと礁太のことだけ考えてる」 「やだ!」  礁太は暴れて俺の手を叩き始めた。本当に怖がっている様が可哀想で俺は手を放すことにした。怪物か何かから逃げるみたいに礁太は一目散に走り出す。何度か俺を振り返って。視界が滲む。拒まれるのはつらいのだと知る。

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