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第46話

-星- 『緋野てんてーは心霊って信じてますか』  俺は何と答えていたかよく覚えていない。信じていない。確かそう答えたはずだった。 『ボクなりに考えてみたんです。3通り。ひとつは素粒子です。生前の人間を記憶した細胞みたいで…ファンタジーですケド、今の科学では解明されていない物質で…』  生前の人間の記憶を覚えたその素粒子が人の形に集合しそうして霊なって、その素粒子という物質に過敏な人間には見えるとか不思議なことを言っていた。アセトアルデヒドに敏感だと目眩を起こしたりするようなものだろうか。 『ふたつめは電磁波みたいな波動です。幼少期は発達していた器官が成長するにつれ衰えるのが通常なんですケド、左利きとかAB型くらいの割合でもしかしたら退化しない人たちがいて、でも完全ではない状態で傍受した結果、心霊というものとして目に映るという見解です』  話し始めるとよく喋っていた。普段はへらへら笑って剽軽な態度を崩さず二言三言しか話さなかったが。 『みっつめは病人です。小動物はピラミッドの下側に居ますが数が減れば一気にこのピラミッドは崩壊し自然の法則や摂理は瓦解しますから…小動物には地震をすぐさま察知したりする危機回避能力があると思うんです、ボク。それで、心身を病んだ人間もこの状態に陥るのかなと。人間は自分の肉体でさえ制御できるのは一部なのかも知れません。つまり自分の病に気付くか否かよりも、もう大きな自然の手というやつで脳味噌が勝手にオンオフを切り替えて、病人は…ある種の異界と重なった場所で生きるんです。それは今ボクが立っているこの世界のコピーのようで、ちょっと違う、そんな異界に。その歪みで、霊がみえるんじゃないかと』 『ということは大神は心霊を信じていないようだな』  そんな会話をした。身体はベッドに張り付いたままで起き上がれない。ベッド脇のすぐ傍に大神が立っている気がした。喉が渇く。汗で背中が蒸れる。俺は苦しくで叫んでいた。隣の部屋から物音がして俺は白目を剥くような、激しい眠気に襲われた時のような上へ引っ張られていく感じと浮遊感に陥った。まるで数十分に及んだような出来事がほんの一瞬だった時に似た整合性の取れない感覚に混乱する。部屋の電気が点き、燈がスポーツドリンクを差し出す。ショウタが傍で大きな欠伸をした。 「すまない。起こした」 「大丈夫だ」  燈はタオルと着替えを出してくれた。俺の寝間着は汗で濡れている。 「俺は燈から見て、病人か」 「いいや。ただ、その傾向はあるかも知れない。無理はしないことだ」  背中を拭かれ、ショウタも寝床からベッドにやってくる。素肌にショウタの柔らかな毛並みは気持ちが良い。喉を鳴らされるとより愛しくなる。頬を擦り寄せると洗濯物から薫る洗剤の匂いがした。 「朝にシャワーを浴びるか?それなら早く起こす」 「ああ。そうしてくれ。早起きになのに悪いな」 「気にするな」  汗を吸った寝間着を燈は持っていってくれた。ショウタを寝床に戻してもう一度横になる。大神が立っていた場所には何の変わりもない。今日ただ何となく俺は視聴覚室のベランダから身を乗り出した。意味はない。4階から中庭にある大樹を上から眺めて、教室棟と広い校庭の奥に広がる工業地帯と新興住宅街をみていた。それからただ何となく、また中庭のレンガ畳を見ていた。そこから大神が見える気がした。俺の斜め左で蹲る背中を。寝床に戻したショウタは俺の枕元に来て丸まった。顔に背骨が当たる。喉を鳴らしながら腹が膨らんだり萎んだりしたり。気が休まる。ショウタ。礁太。しょうたに会いたい。電気を消した。眦が濡れる。会いたい。会いたい。会いたい。  ショウタが鳴く。小さな頭を撫でる。自分の両腕を抱いて布団に潜る。寒い。悲しい。30近い男が訳も分からず鼻を啜った。情けない。悲しい。涙が溢れた。胸を叩かれるような感じがして咳が出る。 -雨-  緋野はゴッホゴホのバッハバハに咳して風邪ひいてるみたいだった。我等のアイスマンは顔がめちゃくちゃ小さいことがマスクのデカさで判明した。ハート柄トランクスでも白ブリーフでも履きこなしそうなのにマスクが超絶似合わない。いやいやこの場合、あくまでマスクが浮いてるのはマスクに掛けられてないってことでむしろ寝取られ異母兄(おにい)たまというブランド性を上げちゃってるかも知れない。咳ばっかして今日の授業はほとんどプリントだった。社会人は休めないってマジなんだ、つら。多分熱が45℃くらいないと休んじゃダメって決まってるんだろうね。インフルエンザって45℃くらい?インフルエンザ罹ったことないんだよな。  鼻声とマスクの曇った声が良いらしくて授業終わりに女の子たちがキャーキャー騒いでた。あの隙ありまくりの弱々しい感じがいいのか、女の子は。ショータはぽや~ってしてた。声掛けたらビックリするくらいぽやぽやしてもう緋野いないのに緋野のいた場所見てた。でもショータは眉を下げて落ち込んだカオになる。そのまま夢心地に浸らせてたほうが良かったかな。 「せんせ、ダイジョブかな」  それはもうオレの顔を見ながらの呟きだった。女の子相手なら同意しとけば大体良いんだけど、まず性別の段階で大概の女の子はオレは対象外だし今相手ショータでショータのことあーしでゲッチュも違うし。未練たらたらなのかな。なんか言ってやろうと思ったら美潮のヤキモチ大魔神がこっちに来る。相変わらず暁ちゃんの席はからっから。毎日ショータが教室のアルコールティッシュで拭いてるから外の光でピカピカ光ってた。 「礁太」  美潮は気に入らなそうにオレを見下ろす。大好きじゃん。でもショータはそうでもなさそう。休み時間いっつも教室の外行って捕まえたり手掴んでる。暁ちゃんのことで不安定になってるショータのこと美潮なりに気遣ってんのかな。 「ここにいる。笛木ちゃんと喋る」 「そうか」  ショータは美潮のこと見もせずに掴まれかけた腕を振り払う。美潮がふわって笑ってオレは気色悪過ぎて目を逸らす。何あれ。笑ったっていうか微笑んだ。 「言い訳に使ってゴメンね」  ホントに申し訳なさそうにショータは謝る。ショータが謝ることなんて何もないのにな。 「いいよ、いいよ」 「美潮、怖いんだ。お弁当(べんと)だけじゃなくて、何かお菓子とかも作ってくれるけど、オレ要らないって言ってるのに…あ、ゴメン!何でもないんだっ!ゴメン!」  ショータはショータらしくない暗いカオしてた。そのまま話して少しでも楽になればいいのに取り繕って笑った。さっきの気色悪い美潮の微笑みとは違って、笑うの慣れてるはずなのにヘタクソだ。 「ショータは良い子」  手を伸ばしていつもみたいに頭撫で撫でしただけなのに唇尖らせて、いきなり泣きそうになるから焦った。 「どしたの」 「…前に好きな人にやってもらったの、思い出しちゃって……」  は?緋野?前に好きってその前?女?別の?いやいや、「良い子ちゃんなの?悪い子ちゃんなの?」はオレのパパンの口癖だから多分緋野。ショータはモテないね。一応恋愛対象外でも過去の恋愛を匂わせちゃダメだって。 「ちょっと!」 「わぁ、ゴメぇン」  ショータは大袈裟に両手で頭を押さえて怯えてみせた。ショータと付き合えたら幸せだと思う。なのに緋野も美潮も全然幸せそうじゃない。ショータって厄病神気質(サゲチン)?前に暁ちゃんとロードショーの映画の話して、悲劇のヒロインと関わった男たちはみんな非業の死を遂げて主人公も結局ぱぁぁっ!って幸せにはならなかったけど、暁ちゃんは、「ヒロインと一緒にいて堕ちるトコまで堕ちることもある意味シアワセかも知れない」って言ってたのがすごく印象的だった。 「のっち~、と次いでに縁~。会いに来たぞ~!」  我が物顔で()なんとかは教室に入ってきてショータとオレの間に来る。桃森モイとかそんな名前だった気がする。 「両手に花ー」  桃なんとかはショータの頬っぺに自分の頬っぺをむにってぶつけた。ぷっつんクるでしょ。オレの柔らかなショータの頬っぺは薄汚いチンカス野郎が触っていいものじゃないんだわ。 「ショータに気安く触んな」 「あー?妬くなよ。ほら」  オレも頭掴まれてチンカス野郎の顔に頬っぺぶつけさせられる。汚過ぎる。ちんぽ触った手絶対洗ってないでしょ。 「付き合ってるの?」  ショータは無邪気に訊いてくる。 「フられちまってんだよ~。縁はあの王子様みたいなんがいいんだろ?」 「は?」 「えっ、笛木ちゃん美潮のコト好きなの?」  まっさか。有り得な過ぎる。だって美潮はショータと付き合ってんじゃないの。経緯は知らないけど。ただショータは無理矢理付き合わされてるって感じだから、なんか嬉しそうだった。 「好きじゃないけど」 「なぁんだ……そっか、よかった。笛木ちゃんとは仲良くしてたいから、オレが美潮と仲良いのイヤかな…って…」  こんな天使みたいな子他にいるかな。オレは知らないね。 「そんなわけないじゃん。ショータは気ぃ遣わなくていいの」  チンカス野郎はオレとショータの濃厚(らぽらぽ)な時間をジトーとチンカス臭い目で見てた。オレも睨む。ショータにはあんなグロテスクな存在(もの)見せられない。 「いや、楽園だなーって。来いよ、のっち。抱っこしてやる」  近くの空いた席座ってチンカス野郎はショータに両手を広げた。オレだってショータを膝に乗っけてみたかった。なのにショータのほうが大きいし、男が女体(おんな)の膝に乗るのってなんかヤバいし。ショータはオレの目を気にしたみたいでチラチラしながらチンカスのところに行こうとするからオレはふざけて「いってらっしゃい」の手を振った。 「のっち~。元気してるかー?」  片側の膝に乗せてチンカス野郎はショータのぷにぷにのもっちもちの肌をチンカスで汚すしキスしたり耳元で何か話したりしてオレは傍に居られなかったから腕組んで踏ん反り返ってる美潮のところに逃げた。隣の席がちょっと悲しい。 「あいつマジでヤバくない?」  美潮もチョコレートブラウニーとか無理矢理食べさせようとして揉めてヤバかったけど。ショータがワガママ言ったとか何とかって話に勝手になってるけど、さすがにオレから勝手に美潮が恋煩いで頭おかしくなってるなんて言えないし。 「礁太はよく笑って、よく話して、正直に物を言う人がいいそうだ」 「何弱気になってんの。みっしーと反対の人物像挙げてるだけぢゃね?信じてるの?」  美潮は返事しなかった。信じてるね、これ。ショータは美潮には素直じゃないんだ。ちょっと羨ましいと思った。だってショータって優しくて騒がしいけど一対一だと結構穏やかだからそんな強気になってキィキィ言わないし。美潮の愚痴っぽいこと言ったのでなんだかちょっと意外だった。それだけ、別の一枠が設けられてる。美潮だけに。なんで?付き合ってるから?ショータは女の子たちに優しい。どんな可愛い子でもどんなドブスにでも。おれは女体(おんな)だからショータは気を遣うし優しい。それでもちょっとだけ性別を越えた友人に近付けたつもりだった。ほんと、キライだな、美潮って。 「礁太が望むならそうなれなくても近付きたい。あの男に()られるくらいなら俺は変わりたい」  オレの目を見て言うものだから、本気(ガチ)っぽくてキツい。その目力の強さとか、ちょっと切なそうな眉とか、お上品に動く口とか。間違ってもチンカス野郎なんて言葉使わなそう。 「それなら胃袋握ろうとするのやめたら」  美潮はいきなり頭痛起こしたみたいに頭を抱えた。悩みごと? 「…俺は、好かれたい。礁太に…愛してほしい」  これ真正面から言われるとマジめにキッツい。今チンカス野郎がショータの膝裏に手を突っ込んで大股開けさせてるのよりキッツい。 「俺だけを見てほしい。俺にだけ触ってほしい。俺を頼ってほしい」  キッチィィィ。どう思う?暁ちゃん。机面(つくえ)は白く照り返すだけ。 「俺の気持ちは伝わってない。俺が笑わないからか?喋らないからか?」 「ショータ、単純だからね。察しろってのは難易度バリ高?特にみっしー、ショータに怒ってばっかだったし?まだまだスタート地点にも立ってないんじゃね」  ざまぁ味噌漬け沢庵ぽりぽりってカンジ?苦悩はモテ度を上げるよ、美潮。良かったじゃん。ハゲちゃ元も子もないけどね。転んで膝でも擦り剥いたみたいなカオしてるのが楽しかった。なぁんだ美潮も結構素直じゃん?ショータとは全然違う方向性で。 「ありのままで君を愛したいんだ~なんて歌は嘘だかんね、みっしー。ホントはある程度装って誤魔化して付き合わなきゃなんないの。じゃなきゃただの依存だよ。人気あるケドあれは背中押してるんじゃなくて傷舐め合ってるだけなワケ。べろべろに舐め合った傷はいつか膿んで腐って抉り落ちちゃうんだよ。その時ショータのコト恨むのやめてよね」 「笛木の言葉は……痛い」  美潮はまだ頭痛いみたいに顔を覆ったまま呻くみたいだった。笑いが止まらないよ美潮。大人びて見えたのに仮面剥がせばこんな童貞臭ぷんぷんのクソガキだったなんてさ。あの透かした態度は虚勢かよ、初物野郎(チェリー)ちゃん。オレは美潮の傷付いた姿をじろじろ見て、大股開かされたまま小っちゃいおちりにチンカス野郎のゲロちんぽ押し付けられてるショータのところに戻った。

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