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第48話
-星-
ヤミ金に完済はない。完済はした。ただまた請求される。そんな話はよくある。だから契約を確認した。然る機関に頼る準備もしてある。弱みをみせたら踏み込まれる。俺が金になるとはいえ、あくまで他人に過ぎなかった。保証人になったわけでもない。飽くまで建て替えた。ただこのままではまたあの家は金を借りて、あの生徒の大きな負担になる。俺が建て替え続けなければあの生徒は日の当たらない場所で日の下を歩けないような生活を強いられるだろう。それでいいのか。目を瞑って。もうあの生徒の人生には関与しないことにして。俺の傍に居ないなら簡単に手離すのか、薄情なことだ。関わるべきでなかった。最初から。だがもう関わったなら最後まで、一生面倒看るのか。しかしあの生徒が俺を拒んだ。それならあの生徒にはもう関わらないほうがいい。あの生徒の人生に俺は要らない。介入して助けようと思っていたのがそもそもの傲慢だった。助けた気になって、俺なしではまるで生きられないと思っていた。あの生徒を助けたい、しかしそれは叶えられない。それが俺の罰か。誰に対しての何の罰だ。俺があの生徒に手を出したことの罰なら、何故俺だけに降らない。ベッドの脇に大神が立つ。俺を見下ろして、俺は金縛りに遭って何も話し掛けられはしなかった。汗に濡れて目が覚める。不安と迷いに押し潰されそうになる。あの生徒にはもう関わらない。だがおそらくきっとまた迷う。決めても決めてもまた迷う。
大神には会えなかった。当たり前だ。おそらくまだ意識を取り戻すこともなく集中治療室にいる。そうなれば面会は家族だけだ。俺は勝手に会えるものと思っていた。擦り切れていない頃の俺に何か言葉をもらおうと思っていた。それは答えではないのかも知れないが、きっと会っていたら答えにしていた。おそらく今日も大神は俺のベッドの脇に立つ。俺は手足を動かせず大神の言葉を待つが、大神は何も喋らず、俺は目を覚ます。それで現実の圧力に耐えられなくなる。燈がいる、ショウタがいる。他に何を望んでいるのかも分からないまま。ひととおりあの生徒が背負わされている借金の始末は付けた。あとは俺の関係のないことだ。ヤミ金から解放されようが、このまま骨までしゃぶり尽くされようが。これ以上は関与しないと告げた。完済した。区切りがついた。喜ぶべきだ。もう貯金は底を尽きかけている。それでも困窮からは程遠い。だのに嬉しいとは感じられなかった。金であの生徒との縁も切れる。死にたくなるな、大神。虚しさに。もうこのことは考えたくない。俺はフられた。当たり前だ。相手は生徒なのだから。未成年だ。フられるどころか浅ましい情欲を抱いていたことが大罪だ。死にたくなるな、大神。理性よりも感情が先走って、本当に認めたくないないものというのは気付きはすれど向き合えなくなる。深く考えないことでただ一線、守り抜いている。自分自身を。どうして自分を罰する自分と自分を擁護しようとする自分が存在するのだろう。死にたくなるな、大神。これか。自分でもどうしようもない感情。俺が見捨てたらもう生きていられないようなどうしようもない自分をもう擁護できない。咳が出る。薬をひとつふたつ開けていく。みっつ、よっつ、いつつ。ショウタが俺の手に身体を擦り寄せる。燈にこまめにブラッシングされているのだろう。毛並みがいい。片方しかない耳に触れて叩 かれるのが好きだった。むっつ、ななつ、やっつ。ショウタは俺に甘えて、テーブルに開けていく薬の匂いを嗅いだ。固形のエサと間違って食べたりはしないだろう。匂いもまったく違う。しかし俺は開きかけたショウタの口に背筋が凍って慌てて膝に下ろした。ショウタはそこで丸くなる。脚に喉を鳴らす振動が伝わった。何をしていたのか分からなくなって俺は適当な瓶に錠剤をしまった。
-雨-
天気が悪くて今日は少し遅くなるけど高校近くまでママンに車で送ってもらった。そしたら下駄箱でちょっと濡れてるショータに会ったからタオルでわしわし拭いた。ショータは下駄箱の前に突っ立ったまんまでなかなか上履きサンダルに履き替えようとしなかった。どしたのって訊いたらただ笑うだけで、そろそろチャイム鳴るから行こって言ったらまた不自然に笑ってやっと履き替える。くしゃくしゃになったプリントみたいなのを握ってたからなんか提出し忘れたの思い出したとか?C組はA組とかB組ほどじゃないけど玄関から遠くて、ショータは腰でも痛いのか変な歩き方だった。雨の日は廊下が滑りやすいから注意しろ!ってやつ?
「ショータ?」
「な、なに…」
「足ダイジョーブ?」
ショータはうんうん何度も頷いた。オレの気のせいかな。ショータは何か言いたそうだけどなかなか言わなかった。でもまた変なタイミングでオレを向いた。何かぎこちない感じがする。
「さっき言い忘れたけどさ、拭いてくれてありがとね」
「いいの、いいの、そんくらい。それよかカゼひいちゃダメだかんね」
「笛木ちゃん…」
ちょっと落ち込んだ弱々しいカンジで呼ばれちゃうともうオレは何がなんでもショータの味方したくなる。
「あのさ、」
「のーっち!と、縁。おはよ。今日来んの遅くね?のっちはいつもどおりだケド」
キレるよマジで。ショータが大事な話、してくれそうだったのにチンカス野郎がショータの後ろから現れてまた「リョーテニハナ」される。
「それ何?課題?ダメじゃんちゃんとやんなきゃ」
チンカス野郎はチンカス臭い手でショータのかわゆい手に握らせれた紙を取ろうとする。
「ダ、ダメ!」
ショータは背も高いし横柄でオレ様なチンカス野郎に弱いと思ってたけど意外と強く出るところは強く出るみたいで手の中の紙を取られないように庇った。そうなるとオレもその紙の正体が気になる。隠してた0点のテストが今更になって見つかったとか?まぁクラス最低点大体15点とかだから0点はないと思うけど。
「え、何ナニ?ラブレター?ラブレターが破れたー?」
何が面白いのかチンカス野郎はゲラゲラ笑った。ショータは反対に下向いちゃう。
「行こ、ショータ。こんなチンカス野郎なんか相手にしなくていいよ」
教室に入ったら今度は美潮が待ち構えてて、ショータにタオルを構えた。
「笛木ちゃんに拭いてもらったからダイジョブ…あんがと…」
「そうか。よかった。風邪をひくなよ」
美潮はタオルを下げて、そのタオルみたいに柔らかく笑った。吸水性悪そうだけどめちゃくちゃ肌触り良さそうなタオル。マシュマロを薄く引き伸ばしたみたいなタオル生地。ショータはなんか落ち込んでるみたいで美潮のほうも見ずにただカレシの腕をぽんって叩くだけだった。
「元気がない。具合が悪いんじゃないだろうな」
「ダイジョブ、元気だよ」
自分の席に行くショータを眺めてから美潮はオレを見下ろした。なんか知ってるのかと言わんばかりで、何か訊かれる前に知りませんアピールした。そしたらもうオレにはまったく興味ありませんってカンジで美潮は自分の席に戻った。その席を見たら必然的にただ電気を反射させてる暁ちゃんの席も目に入った。まだあれから何の知らせもない。オレと目が合ったまま落ちて行った光景は頭の中に張り付いて、もうそれは驚きとかショックとか通り越してちょっとした芸術みたいな、感動みたいなものに変わっちゃってた。空に靡く前髪とかさ。自然に身を任してたほんの一瞬がすごく綺麗だった。ヤバいかも、オレ。不謹慎だ。予鈴が鳴って我に帰る。
休み時間にショータはオレを廊下に呼び出した。雨粒が落ちていく窓の外は暗くてその傍から見る教室の光は少し眩しいくらいだった。ショータはなかなか喋らなかった。また妙なタイミングであのチンカス野郎が来るんじゃないかと思うとオレは少し焦った。
「あのさ、変なこと訊くかも知んないけど、肉便器って、何だか知ってる?」
ショータはずっと足元ばかり見下ろして、オレは何と聞き間違えたのか似た語感のものを探す。だってこの流れでそんな言葉が出てくるのはおかしい。AVじゃあるまいし。美少女肉便器とか。その女、女子高生or肉便器とか。素人肉便器計画とか。そういうこと?
「なんで…?」
「急に、気になって…」
「誰かに教えてもらったの?」
ショータは首を振った。もじもじしてポケットからあの丸めた紙をオレに見せた。オレは受け取って破らないように慎重に広げた。魚の鱗みたいにシワが寄ってくしゃくしゃになってるA4の紙だった。ノートの切れ端じゃないのが逆にちょっと怖かった。だってわざわざA4の紙用意したことになる。まぁ、そんなのすぐに手に入るか。
「下駄箱に、入ってたの」
黒のマジックペンで「サッカー部の肉便器」「恥知らず」「性奴隷」と書いてあった。とんでもない内容に反して字は上手い。女の仕業?だって男って字、下手じゃん。
「あんまり良い意味じゃないよね…きっと…」
ショータは作り笑いした。オレは言葉が出てこなかった。
「これも…」
性奴隷って単語を指してショータはまた無理に笑った。意味分かってなくても好意的なものじゃないってことは十二分に伝わってるみたいで、オレは今すぐにでもそれを破り捨てたかった。誰も信用出来なくなるよ、こんなの。
「ショータ、サッカー部でいじめられてるの?」
「全然!いじめられてないよ。みんな仲良しだと思う」
「心当たりのある人いない?」
「いない」
早く手を打たないと、こういうのエスカレートしないか?これだけでも十分ヒドいのに、このままショータに物理的な被害まで出るんじゃないかと思うともうこの段階でどうにかしておきたい。でもこんなん、職員室で広げられるのかって話で。かといって学校すっ飛ばして警察?
「でもオレ男だしダイジョーブ!変な相談してゴメンね。ちょっと楽になった。やっぱただの冗談だよね。真に受けちゃって、恥ずかしいや」
それをホンキで言ってるのか、助けてって言えないのか分からなくてオレはまた紙をくしゃくしゃに丸めたショータを見ていることしか出来なかった。もうあのそこそこ気は良さげだったチンカス野郎も、カレシ気取ってる美潮のことも、元カレの緋野も、ショータにベタベタなクラスメイトも、もう誰も信じられないよ、オレの知る限りショータと親しかった奴等も、親しくない奴等も。
「ショータ、1人きりになるなよ。今は誰も信じられないと思うケド…」
「う、ん。ありがと、笛木ちゃん。心配させてゴメンね?そういうつもりじゃなかったんだ、ホントに…」
「どういうつもりでもそんなコトあったら心配するに決まってんだろ」
ちょっとだけオレを見て無理矢理笑う大きな目は泣いてるのかと思ったくらい白く光ってた。オレの目の前にある窓の水滴がちょろちょろ流れ落ちていく。ショータの代わりに泣いてるみたい。
「みっしーには?話したの?」
ショータはぶるぶる首を振る。美潮だって字は綺麗だから、あの紙を書いてないとは限らない。ってなると字が下手そうなチンカス野郎は候補から外れるけど。
「あーしから話そうか?」
それで反応を確かめるとか。美潮じゃないと思うけど。美潮がそんなことするかな。ネジぶっ飛んだコトこの前したけど、こんな回りくどくはやらないと思う。多分。
「美潮には言わない…なんか、怖いもん」
なんか分からないけど、こんな時なのにちょっと嬉しくなった。それで今気付いたんたけど、ショータ、上履きサンダルを裸足で履いてた。朝は靴下履いてた。洗いまくった形跡はあるけど綺麗な青緑のアンクルソックス。歩き方変だったからよく見てた。その上に細い足首に縛った黄色のミサンガが重なるからよく覚えてる。踵の筋と踝の間が凹むのが、なんかキュンってしたし。雨で濡れちゃった?
「ショータ、裸足なの?寒くない?」
「うん」
ショータはオレの顔を見なかった。ただ髪が揺れてパサパサ音がした。それでまた後ろからばたばた足音がする。
「のーっち!」
隣のクラスのチンカス野郎が他の騒がし奴等と教室から出てきて1人だけ別行動をとり始めてショータに後ろから抱き着く。
「このサイズ感がたまらんのよ」
チンカス野郎の手がいやらしくショータのおっぱいや腹を撫で回す。チンカス野郎のうるさい仲間たちもオレごとショータを囲むからなんか喝上 か何かされてるみたいだった。
「今日部活は室内 だな」
耳にキスするみたいな近さでチンカス野郎はショータに話しかける。ショータはこくこく頷く。
「体育館の隅借りられたらいーんだケド、多分 階段だな」
周りのチャラいお仲間はショータに頬っぺすりすりしてるチンカス野郎を引いた目で見てオレに話しかけはじめたからとっとと教室入りたかったけどショータを置いていくわけにもいかなかった。サッカー部の肉便器って書かれ方が何か引っ掛かる。高校名でもなければC組って書かれ方でもないから。肉便器呼ばわりするにもなんで部活単位なの。なんか部内の人が怪しくない?
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