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第61話

-漣-  別れたと礁太が触れ回るだけ、俺と礁太の関係が周知されていく。サッカー部の部室に礁太を迎えにいく間だけでも様々に言われたものだった。目的のサッカー部は桃森とかいったチームメイトが門番みたいに待ち構えていた。 「のっちはここには居ないんだなぁ~」 「どこに行った」 「お呼び出し。恋のライバル現る、かもな」  内心ひどく焦っている。あれから一度も話せなかった。俺の家に連れ帰ったくせ、結局放り出すような真似をした夜から、一度も。 「誰が呼び出した」 「おたくは呼び出されるたび逐一誰に呼び出されたのか、のっちに報告してんの?」 「俺は礁太にしか興味がない。誰に呼び出されようとも靡かない」 「ンでものっちのコトは信用してないってワケだ」  口が裂けてもこの男には肯定したくなかった。ただ信用という言葉を使うとなると話は違う。俺は礁太が俺を好いていないことを知っている。だがそれだけで、信用してないとか信じていないとかそういう話とはまた別だった。 「迎えに行く。礁太は俺と付き合っていて、それを知らないなら俺から話を付ける。礁太がすっぱり他人からの好意を退けられるとは思えない」 「ま、部室のすぐ裏だから行ってみれば?可愛い恋人(カレシ)がむさ苦しい欲求不満の(オトコ)の花園に引っ張り込まれちゃ、そりゃ心配にもなるわな」  桃森とかいう礁太のチームメイトが言ったとおり、礁太は部室の裏にいた。見覚えがあるようで無いような気もする色の白い、流行りのアイドルみたいな見た目の男子生徒に言い寄られている。雰囲気からして1年だ。桃森とかいうB組生に唆されただけで、結局のところは親しみやすい先輩に相談でもしていたのだろう。礁太は嫌味の無い人好きのする爛漫なやつだ。健気で、タフで、それでもあどけない見た目のためか年下からは先輩として好かれても、そういう風には好かれないだろう。俺は高を括っていた。それは俺の傲慢でもあり、暗示でもあった。心配事、不安要素を増やしたくないと。とはいえ、俺が無理矢理客観的に捉えただけのことで、主観でいえば年下年上関係なく礁太は魅力に満ちた人間だった。俺とは違う。 「礁太」  嫉妬でおかしくなりそうだった。礁太は人懐こいから誰もが礁太を好きになる。俺は礁太が一番好きで、俺は礁太しか好きではなくて、礁太だけが好きで、それでも礁太にとって俺は10番目、10番目ならまだまだ良いほうで、100人目だって有り得る。俺はあの魅力に惹かれた。それは俺だけじゃない。俺だけが礁太の良さに気付けばいい。誰にでも笑うな。俺だけにしろ。誰にでも懐くな。俺だけにしろ。俺だけに。 「美潮さんとは別れたんですよね?」  礁太に迫っている1年らしき奴はアニメでよく聞くような喋り慣れた安定感のある声だった。焦る様子もない。 「う、うん…」 「別れてない」 「で、でもいつか別れるから、別れてる!」  こんな屁理屈を捏ねられても可愛いと思ってしまうから重症だった。生きているだけで擦り傷だなんてことはない。礁太に触れた時から疼痛は絶えず、細菌が入り込み、膿んで、腐り落ちる。 「あれ、能登島先輩。そこのところはっきりしておかないとろくな大人になりませんよ」  1年の濃い人影が礁太と重なった。職員駐車場と部室棟を隔てる小規模な植え込みから1年だけ現れる。クラスメイトたちが兵器の擬人化されたゲームにのめり込んでいたが、この1年はプリンアラモードだのショートケーキだのパステルカップケーキだのを擬人化したような甘たるさがあった。 「実際のところはどうなんですか」  既知の仲のように彼は訊ねた。臆さないのは所謂、俺たちから下の代の「冷笑派世代」というやつかも知れない。 「別れてない。別れる予定もない。別れない」 「ですが能登島先輩は別れたいみたいですよ。片想いと何が違うんです?付き合ってさえいれば、合意がなくても何でもできると考えているんですか」  透明感のある雰囲気は快活で元気な礁太の隣によく似合っている。陰気で黴臭い俺とは違う。彼なら、連れ帰って夜中に放り出したような俺よりも賢く気の利いたやり方をしただろう。あんな風には、まずならなかった。 「別れたら……」  口にしてみて、何か考えが纏まった。ふと穏やかな気分に陥った。良いことのはずで、あまりよろしくない兆候に思う。 「礁太と話したい。そのことについて話し合う。2人で話したい。人目はあるところだ。酷いことはしない。でも2人だけで話したい。朝礼台裏で待ってる」  1年は何か短く返事をしていた。俺の焦りは消えた。嫉妬はまだ尾を引いている。それでも情緒を抉り取られたような、不穏だと思いながらも凪いでいる。足は自分で指定した朝礼台裏に向かっていた。限られた行事でしか使われない朝礼台の真後ろの法面(のりめん)だった。所々に木々が植わっている。一部2年の駐輪場と1年の教室が並んでいる。サッカー部や陸上部ならよく使っている。そこを休憩場所にしているから。  顧問が出れば原則の部活の時間が延びる。今日のサッカー部は顧問が来なかったようだ。野球部は熱心でナイター設備が整い、まだ練習を続けていた。公道を隔てたところにあるハンドボール部の威勢のいい声も聞こえた。テニス部は今片付けが始まる頃だった。部活に今更所属する気はなかったが、その雰囲気を部外者として感じるのは好きだった。大神が用もなく残っていたのはこのためなのだろうか。まだ赤みの差す西側が染まっていくのを眺めているうちに礁太が来た。正直なところ、礁太は来ないと思っていた。15分か20分くらい待ってから帰ろうと思っていた。 「この前送ってもらったお礼。全然足らないかもだけど、それはごめん」  すぐ近くのスーパーで買ったらしいペットボトルの飲み物を礁太は俺に渡す。 「気を遣わせたな」 「絶対それだけじゃ足りないでしょ。それは先に謝っとく」 「ありがとう」  礁太の声音は尖っていた。嫌われたものだ。むしろよくここまで嫌われることができたものだ。 「で、話って何」 「別れる。俺は、礁太に釣り合わない。よく分かった。理解するのが遅すぎて、散々振り回して傷付けた」 「…うん。分かった。別れよ。明日から、また仲良くしてよ、フツーにさ。前みたいに」  話はすぐ終わった。礁太は歓喜に満ちて飛び跳ねるみたいに戻っていた。俺はすぐには立てなかった。明日、明後日を見据えて健気に溌剌と力強く生きている様は、どうみても俺には釣り合わない。明日の糧のために腹を抱えながら帰っていた姿は一瞬たりとも頭から離れずに、あれが俺の見ていなかった礁太の強さで美しさで、俺は今まで傍に居座っておきながら何も気付かず即物的なものばかり求め、馬鹿で間抜けな恥知らずだった。  暫くそこに留まっていたが野球部の号令を聞いて帰る気になった。膝に力が入らなかった。身体は変な重さがある。それでも頭の中は脳味噌を無くしたように軽い。横隔膜が()り上がる。眼球も押し上げられる感じがした。教室棟と体育館2階を繋ぐ渡り廊下の下を潜り、生徒玄関を横切った。誰かとぶつかる。砂糖みたいな甘い匂いがした。 「あ、めんご。ってかみっしー?」  タイミング悪く面倒な相手と出会(でくわ)したものだった。笛木は人の顔を覗き込むように話す厄介なくせがある。今だけは誰にも見られたくなかった。 「美潮、どしたの」  涙はもう止まらなくなっていた。 「別に、何でもない」 「ショータと何かあったんだろ」  笛木に腕を引っ張られが俺は感情を抑えるのに必死だった。職員玄関前の階段にある開けた空間で笛木は止まった。 「別れた」  話はそれだけだ。単純明快で、よく耳にする切った貼ったの関係だ。学生生活でこれを何度も繰り返す人々もいるというから驚く。懲りないのか。好きな人と別れる感覚はすぐに忘れ去れるものなのか。 「なんで」 「礁太の逞しさに俺がついていけなかった」  笛木は黙った。これ以上に言いようがない。あの夜の出来事は俺にとって大きなものだった。不甲斐なさも、情けなさも。 「明日からはまたクラスメイトに戻る。この件では色々世話になった。全部忘れてくれ」 「ついていけなかった、で、簡単に諦めるのかよ。片想いでも何でもして、みっともなく縋り付くのもやめちまうのか」 「まだ好きなのは変わらない。それでいい。それだけで。求めるのはやめにする。礁太の負担にはならない」  帰り道のことはもう覚えていなかった。礁太のことが冷めたらもう二度と誰も好きにならない。もう二度と誰とも付き合わないし、もう二度と礁太を好きにならない。 -泉-  武中だけ戻ってきて、のっちは王子様と帰ったんだなつまんなって思ったらのっちは王子様に「殺伐とした感じで」呼び出されたらしいから、これはえちえちなお仕置きだなって思った。まだのっちの荷物は部室にあるから待ってみようかなって思ったケドなかなか戻ってこなかった。だってえちえちなお仕置きされたのっち見たいじゃん。ぼくのほうがもっとドえろいお仕置きできるケド。でも多分そんなこと思ってられるのはのっちの姿が見えない時だけなんだよな。顔見たら急に言葉も出なくなる。 「桃森先輩は別れて欲しいですか。能登島先輩と美潮さん」 「わ!びっくりした。心ン中読まれたんかと思った」  相変わらずガラス細工の美少年、みたいなツラして見透(スカ)してる。いちいちニコ…ってするからあざてぇったらない。野郎相手にするなよ気色悪ーな。 「そもそもぼくは誰と誰が付き合ってるとか付き合ってないとか関係無いから、イイネ、イイネ、どうでもいーね。ぼくもヤりたい、相手もヤりたいならそれで決まりでしょーが?」  ――と、ぼくは言いながらあの破綻しそうなカップルを探しにゆくのであった。ンで、第一体育館の周りをぐるっと一周したらのっちはプールのところにいた。ぼんやりして、フツーに座ってる。えちえちなお仕置きなんてものはなかった。ぼくの願望。 「のっち、どしたのさ」 「う~ん、なんかぼーっとしちゃって」 「王子様とは帰らないのかよ?」 「それなんだけどさ、別れた」  のっちはめちゃくちゃ軽い感じで言った。別れたって、王子様と?あの王子様が?よく手放したな。 「良かったじゃん。別れたがってたし」 「う、うん」  のっちはずっと座りっぱなしでやっぱりぼーっとしてる。マンボウみたい。 「帰ろーぜ」 「うん」  子供になっちゃったみたいにのっちの動きはよちよちしてた。ペンギンみたい。のっちって顔は子猫、性格は仔犬、雰囲気はペンギンなんだよな。そりゃ可愛く見えるわ。成熟した年上の女あたりが好きそうな王子様がメロメロになってたのが例外なくらいで。でも王子様、あれで結構ロリコンっぽさもあるからな。 「寂しくなっちゃった?」  別れたんだよな。でもあの王子様が別れることに同意したっていうのが、なんだか、もうカップルじゃないし別れてるのになんか、もっと2人の間を強く濃くしちゃってるカンジが、ぼくン中にあった。ただ付き合ってるカップルよりも。これが侘び寂びか?知らんケド。 「オレ付き合うとか別れるとか初めてだったからさ、なんか変な感じ。相手が美潮だからとかじゃなくて。付き合うとか別れるってこういうものなのかー!みたいな」  落ち込んじゃいなかったケドあっけらカンカンカンってカンジだった。 「じゃあぼくと付き合う?」 「なんで?」 「え、王子様と別れたから?」 「泰ちゃんカノジョいるんじゃないの」  訊いたっていうか躱された。ちなみにカノジョはいない。セフレはいる。でものっちと付き合うの悪くないかもな。のっちはノり気じゃないけど。後ろからハグして捕まえた。この薄っぺらい硬いカラダで王子様とド突き合いして付き合ってたんだと思うとなんかコーフンする。遍歴フェチか? 「泰ちゃん?」 「なんか、のっちと付き合いたい」 「別れるとさ、フラフラするんだね。なんかカラカラするから、暫くいいや、こういうの」  のっちはぼくの腕をご丁寧(てーねー)に外してまたよちよち歩いた。フラフラもカラカラもねぇケドな?するか?したことない。喧嘩別れしたとかか?いや、フラフラカラカラはないな。部室に戻るともう武中しか残ってなかった。部室掃除が趣味とか変。点数稼ぎにきてる女か?王子様よりも女っぽいもんな。そりゃあれだ、若いからだろ。どっちがジジイに近いかっていえば王子様なんだし。 「おかえりなさいませ」  メイド喫茶かここは。武中は掃くのをやめた。のっちはなんかテキトーに返事して置き直されてるイスに座る。 「どうなったんですか」 「普通に別れた。なんかオレがフられた感じだった」 「そりゃアレだな。フられたくなかったんだよ。たまに居るよな、形式だけでも絶対にフられた側にはなりたくないってやつ。どっちからコクったコクられたみたいな感じで」  武中はふふふって清楚な女みたいに笑って、のっちは話通じたみたいで同意してたケド。 「では話を戻せますね。僕と付き合ってください」  この1年、不気味。ホント薄気味悪い。ガチめに男のケツ好きなんじゃないか…?ンでのっちはなんでかぼくを見る。ぼくに言ったんじゃなくて多分のっちに言ったんじゃないの。 「オレ応援するよ?2人が付き合うの」  ちょっとフクザツそうに言いながらぼくと武中の間を可愛いまん丸の目がキョロキョロする。 「ぼくじゃなくてのっち先輩に言ったんだよな?薫哉(かぐや)んは?」 「はい。能登島先輩に交際を申し込みました」  願書みたいな言い方が気取っててなのにサマになっててなんかムカつくわ、この1年。

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