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第5話

************** 居間で、テレビを見ながら、夕食のそうめんをすする。ヒサはもう食べ終わり、老眼鏡をかけて新聞を食い入るように見つめていた。テレビから流れてくるのは高級車やブランドファッションのCM。そのどれもがこの島の人間には関わりの無いものだ。 突然、CMが中断され、ニュースキャスターの姿が映し出される。緊張した面持ちで、彼は原稿を読み始めた。 「臨時ニュースをお送りします。」 ナオはそうめんを口から垂らしたまま、それに聞き入った。 「北洋諸島連合は先ほど、『贈り物』を利用した大量破壊兵器の保有を公表しました。『贈り物』は五十年前、私たちパンゲア共同体により火星から回収され、厳重な管理下に置かれてきましたが、その一部が流出していたとみられ、各国に動揺が広がっています。」 北洋諸島連合の高官が拳を振りかざしながら演説する様子が、字幕付きで映し出される。 「数千年の間、大陸の人間たちによって富は独占されてきた。私たちは島々に追いやられ、貧しく希望の無い人生を送るしかなかった。しかし、今日をもって、それは過去のものとなる。世界中に散らばる同胞たちよ、共に世界地図を書き換えよう。」 その後で、パンゲア共同体、つまり大陸各国の首脳会議の様子が映し出された。激しい議論が飛び交う中、北洋諸島連合の動きに大きな脅威を感じ、他地域の諸島連合へ飛び火する前に先手を打たなければならない、という意見が大勢を占めているようであった。 「ばぁちゃん、これって…映画とか…じゃないよね。」 ナオがそう恐る恐る尋ねると、ヒサは新聞から顔を上げ、低くしわがれた声で言った。 「じゃないみたいだね。残念やけど。」 「なんでこんな…。そりゃ確かに大陸の人が羨ましくなることもあるけど、武器で脅すなんて。」 「この辺りの島と大陸の関係は、恵まれたものなんよ。電気も分けてもらえるし、物資の援助もあるから、貧しいけど平和な生活が遅れる。でも世界では、大陸の人間は、島に住む人間を虫けら程度にしか思っていないことの方が多いんさ。」 「まさか、本当に戦争したり、しないよね。ここは、大丈夫だよね。」 「…わからんね。大陸の国の中には天上信仰が強いところもあるからな。下等な民族が『贈り物』を奪ったから、信仰のために取り返そう、ってこともあるかもしれん。」 ナオは意味もなく、テーブルに置かれた食器を見つめる。テレビでは専門家たちが次々と出演し、情勢について色々な意見を述べている。 「そうだ、煮物。コウ君の家に、持っていくんだった。」 そうやってしばらく時間がたってから、ナオは用事を思い出し、立ち上がって台所に向かった。流し台の上に置かれたタッパには、ナスやかぼちゃなどの夏野菜の煮物が入っていた。冷たいまま食べて美味しいように、鰹と椎茸のだしをきかせた夏向きの味付け。ちゃんと冷めていることを確認してから、蓋を閉め、念のため布巾で周りを包む。 家の門を出ると、今晩は一層蒸し暑く、生暖かい空気がまとわりついた。コウの家の前に立ち、呼び鈴を鳴らそうとしたその時、 ガシャン! コウの家の中から何か重いものが倒れるような音がした。ナオは驚き、呼び鈴の上で指を止める。それから聞こえてきたのは、乱暴な足音と、何かを言い争う声。 コウと…多分、コウの父親だ。尋常でない雰囲気を感じ、足がすくんでしまう。目の前にある玄関から、再び大きな音が響いた。ナオは勇気を振り絞り、玄関の引き戸に手をかける。鍵はかかっておらず、扉は静かに動いた。 隙間から中を覗き込むと、真っ暗な廊下の隅に、コウが座り込んでいた。いや、付き飛ばされて、そこに倒れこんだ、といった方が正確なのだろう。コウの正面にある襖は空いていて、テレビの音がわずかに聞こえてくる。 「コウ…父さん考えたんだ…」 襖の奥から男性の、泣いているとも笑っているとも取れる声が聞こえた。 「みんなが死んだあとの世界で、お前がどうやって生きていくのか…よく考えたんだよ」 声の主は少しずつ廊下の方へ近づいてくる。コウは制服の袖で顔に着いた血を拭った。 「そしたらさ…辛くてさ…。無理だろ、一人っきりで、全部背負うなんて。」 「無理じゃねぇよ…」 コウが消え入りそうな声で呟く。 「俺は、母さんの子どもだから…ちゃんと役目を果たすよ。」 コウの父親が姿をあらわし、廊下に足を踏み入れる。木の板がみしりと嫌な音を立てた。 「その母さんは、逃げたんだ。」 父親の声が、急に冷たくなった。 「可哀想にな、自分で役目から逃げ出せないなんて。」 右手に握られたものが、部屋の灯りを反射して鈍く光る。それがナイフだと分かったとき、ナオは全身が寒気に覆われるのを感じた。 「父さんと一緒に、母さんのところへ行こう」 ナイフの矛先がコウに近づく。コウは一瞬身をこわばらせたが、すぐに諦めたように全身の力を抜いた。 その時、どんっと大きな音がして、床にナイフが落ちる音が響いた。コウが顔を上げると、父親は廊下に倒れ、ナオがその上に覆いかぶさっていた。 「ナオ…お前、」 「コウ君、警察っ、警察呼んで!早く!」 父親は警察に連れていかれ、二人は事情を説明した。全てが終わると、コウの家は静寂に包まれた。テレビの音だけが小さく響くリビング。ソファの上で二人は膝を抱えて座り込んでいた。 「ありがとな、ナオ」 「…傷、大丈夫?」 コウの頬に貼られた大きなカーゼを見ながら、心配そうにナオが言う。 「あぁ」 そう答えるコウの表情は、数分前よりも大分落ち着いて見えた。 「今日、海でお前がしてた話さ、あれ、本当に起こることなんだ。」 「え…」 「大陸で暮らしてた時、夢で誰かが、これから起こることを俺に教えたんだ。そして、生き残る一人は俺だって。もちろん、最初はただの夢だと思ってた。でも、それを母さんに話したら…」 コウは膝に顔を埋めて、しばらく沈黙が続いた。 「父さんはおかしくなって、大陸に住めなくなった俺たちはこの島に引っ越してきた。ただの夢じゃなかったんだ。俺以外の人間はみんな死ぬ。それがわかったら、急に一人ぼっちに感じた。」 「コウ君が、海神様に選ばれた…人間の罪を償う役目。」 「あぁ、どうかしてるよな。」 「それが本当だとして、人間の罪って、何なの。」 「わからない。でも、あいつらは、今すぐにでも人間を滅ぼそうとしている。それに、お前もニュース見ただろ。あれは…」 その時、島にサイレンが響き渡った。台風警報とは違う、聞きなれないサイレンだった。少し遅れて、空気を切り裂くような轟音が頭上を通過し、共鳴で家全体がガタガタと揺れた。二人は顔を見合わせて立ち上がり、急いで2階に駆け上がる。海に面した窓を開けると、遠くにある別の島から炎が上がっていた。 「あの島、たしか、船を作っている工場があるって。」 「じゃあ、さっきの音は大陸からの攻撃か。」 「本当に、戦争になるの…」 リビングに戻ると、また臨時ニュースが始まっていた。 「北洋諸島連合は先ほど、『贈り物』を使用した新型兵器による対岸の国々への攻撃を開始し、甚大な被害が出ている模様です。これを受けてパンゲア共同体は、対抗措置を全会一致で採択。これは、北洋諸島連合に対する軍事報復のほか、保険的措置として他地域の諸島連合の軍事施設の破壊を含むものであり…」 「新たなニュースが入ってきました、赤道アガン島付近より弾道ミサイルと思われる物体の発射を補足、現在軌道の分析が行われています。赤道の島々では数年前から急進派政権による危険な動きが確認され、パンゲア共同体の視察が予定されていましたが…」 世界中から次々に入ってくる戦争の知らせ。巨大なキノコ雲や、一瞬にして壊滅した都市の映像が映し出される。 「先ほど行われた統一エネルギー省の会見によりますと、新型兵器が使用された周辺の地域では、有害な物質が大気に拡散され、人体に重大な影響を及ぼすとのことです。この影響がどのくらいの期間持続するのか、地球環境をどのように変化させるのか等の詳しいことはわかっておらず…」 ナオは力なくソファに倒れこむ。 「どうして…わかんないよ。」 「俺たちは、『贈り物』をエネルギー資源だと思ってたけど、本当はそれだけじゃなかったんだ。あいつらはそれを知っていて、人間を警戒していた。」 ナオはソファの上で膝を抱え顔を埋めた。その身体は少し震えているようにも見えた。 「ナオ、二人で生き残ろう。」 そう、コウが言った。 「海神と話をして、ナオをもう一人の生き残りにしてもらう。」 「…そんなこと、できるの。」 「俺はあいつらにとって何か特別な存在なんだ。海水に触れられることもきっと関係があるんだと思う。必ず説得する。」 コウがこれほど強い決意を言葉に出すのを、ナオは見たことが無かった。同時に、こんな状況になって初めてそういう面を知れたのが、なんだか可笑しくて、ナオは笑いだしてしまう。 「何笑ってんだよ」 「…うん、ごめん。なんとなく。」 「なんとなくって、…」 ナオの瞳が潤んでいるのに気が付いて、コウはそれ以上言うのをやめた。 「行きんさい」 ヒサに事情を話すと、最初に言われた言葉がそれだった。 「やっぱり…本当のことなの。」 「いつかはこうなると、言い伝えられておった。100年後か、1000年後かは、わからんかったけどな。」 老眼鏡を机に置き、ヒサは遠くを見つめるような目でそう言った。 「ばあちゃんも、一緒に助かる方法を考えようよ。」 ヒサは無言で首を横に振る。 「全て運命なんよ。隣にコウ君が引っ越してきたんも、そのコウ君がナオを選んだのも。」 コウは表情を変えず、二人の会話をただ黙って聞いていた。 ヒサは目を細めて、コウの瞳の奥をじっと見つめた。 「さぁ、行きんさい。もう時間がないって、君にはわかるんやろ、コウ君。」 「ナオ…行こう。」 「…」 ナオは最後まで納得はしなかった。だが、コウとヒサの態度から、どうしようもないことなのだとも悟っていた。 二人が出ていき、家にはヒサだけが残される。ヒサは居間の隅に座り、ナオの両親が写る写真に手を合わせた。 「あの子たちのこと、ちゃんと導いてやってな。」 夜の島を、海岸に向かって歩く。時折、上空を軍用機が飛んでいき、隣の島から上がる炎が、夜空を赤く染めていた。島の人々の反応は様々だった。爆撃を恐れ家族を連れて山に逃げ込む人、遠い島に逃げられないか船を探す人、新兵器による大気汚染を恐れて家に閉じこもる人…。だが、誰もが、急に表情を変えた世界への動揺を隠すことができなかった。 そんな町を横目に見ながら、ナオはこれまでのことを思い出していた。 両親と過ごした幸せな時間。 そんな幸せを奪った船の事故。 自分も死ぬはずだったのに、自分だけが生き残った。 帰ってきた島に、居場所は無かった。 感情を麻痺させて、毎日をやり過ごした。 海を見ているときだけ、生きている心地がした。 海のことを考えると、心が安らいだ。 そんな時、コウがこの島に来た。 無口で、無愛想で、ちょっと怖かった。 でも、なぜだか惹かれて、話しかけた。 いつしか、二人でいることが日常になっていた。 「ここから、桟橋の先まで行こう。そこからなら、あいつらと話ができる。」 沖へ向かって突き出した細長いコンクリート製の桟橋。客船や貨物船がたまに停泊する場所だった。住宅街からは大分離れているから、喧騒は届かず、この場所だけはいつもの島の風景と変わりなかった。 「…ナオ…?」 桟橋の入り口で立ち止まったナオを見て、コウは怪訝な顔をする。 「コウ君、僕はここに残るよ。」 「…」 「なんでかな、生き残りたいと思えないんだ。もし、この世界が海に溶けるなら、僕もそうなりたい。海と一緒になりたい。…僕、おかしいよね。」 その時、大きな爆発音がして、近くの岬に造られた建物から火の手が上がった。ナオが肩をびくっと震わせる。瞳にたまった涙を炎が照らし、オレンジ色にきらめいて見えた。 「…おかしくなんかねぇよ。俺も、同じだった。」 「え…?」 「生き残るつもりなんてなかった。人間の罪を償う?そんな役目、負わされるのはごめんだ。そこまでして生きる理由なんかなくて、その時が来たら死ぬつもりだった。だけどな…」 コウはナオの身体をぎゅっと抱きしめる。ナオが震えているのが分かると、一層強く抱きしめた。 「お前のせいで、予定が狂ったんだよ。」 ナオは一瞬だけ身体をこわばらせたが、すぐにコウに体重を預けた。岬から上がった炎は森に広がり、いつしか港全体がまるで夕方のように赤く照らされていた。 しばらくそうしたあと、コウは抱擁を解いてナオを見つめる。ナオは目をそらして覇気のない声で言った。 「でも、やっと、父さんと母さんの近くに、いけるかもしれないんだ…」 コウは無言でナオの手を掴み、桟橋を歩き始めた。ナオは抵抗するでもなく、しかし自分から歩こうとはせず、たどたどしい足取りで引きずられていった。 桟橋の先端で、二人は立ち止まる。まるでそれを待っていたかのように、黒い巨体が海面に姿をあらわす。一頭ではない、おそらく数十頭はいるであろうシャチ達が、桟橋を取り囲んでいた。 コウが声を振り絞って叫ぶ。 「約束通りここに来た!だが条件がある、こいつを連れていく!どんな未来が待ってるのか、こいつに見せてやってくれっ!」 その時、桟橋が急に海に沈みこんだ。いや、違う、桟橋の周りの海面が急にせり上がったのだ。海水の壁が轟音とともに二人を飲み込む直前、コウはナオの手を強く握った。

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