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第2話

夜は殊更に冷え込むので、雪かきする時と同じくらい重ね着をして店に向かった。 苔むした岩に滑りそうになるのでゆっくりと歩き、趣のある木の扉を開けた。 途端に中から暖気と人々の笑い声や様々な料理の匂いが溢れてくる。 従業員はみな獣人で、カウンターには背の高い店主らしき男が客と話している。黒い髪から丸いふさふさした耳がのぞいていた。 「ご注文は?」 黒い猫の耳を生やした金髪の若者がやってきた。微かに煙草の匂いをさせている。 小生はメモ帳を取り出し、言葉が話せないことを伝えるとともに、ポトフをはじめ名物料理を一通り頼んだ。若者は特に驚くそぶりもなく、黒いしなやかな尻尾を揺らしながら厨房に消えていった。 暫くして湯気をたてるポトフや焦げ目が食欲をそそるキッシュや赤身の照りが美しいカルパッチョが運ばれてきた。確かにポトフは大きめに切られた具材がほくほくと甘く、滋味深い味で美味だった。何を使っているのだろう。 店主に聞いてみようとした時、ガラスが割れる音がした。そちらを見れば、割れた酒の瓶が床に転がり、冒険者らしき装備や武器を携えた男達が立ち上がり何やら喚いている。 冒険者同士の諍いか。小生の宿屋でもよくある事だ。しかしここは一先ず店の者に任せるとしよう。 視線をテーブルの上に戻すと、弦楽器のストロークが耳に飛び込んできた。今度はそちらに目をやる。小さなアコースティックギターのような楽器を持つ、褐色の肌の少年が佇んでいた。彫りの深い顔に濃い睫毛が伏せられている。厚い唇が弧を描くと、そこから蕩けるように甘い歌声が流れ始めた。 エキゾチックな美少年という容姿も相まって、客達も、従業員達でさえも目が釘付けになる。 歌と演奏が終わると、酔客達は先ほどの怒りはどこえやらで、拍手に混じっていた。 小生は少年のもとに歩いて行った。 メモ帳を差し出す。 「・・・誰か僕に何かご用ですか?」 少年は目を伏せたまま首を左右に動かす。 小生は目を見開いた。彼は、目が見えていないのだ。少年の肩を叩いて、褐色の手のひらに文字を書く。少年はクスリと笑った。 「はい、さっきのは子守唄ですよ」 あの荒くれ者どもを子守唄で鎮めるとは!小生からも思わず笑みが漏れた。 小生の故郷の歌だと書けば、同郷の者かと喜んでいた。少年はフェヌアと名乗った。小生もそれに倣う。 「マオリさんとおっしゃるのですね。会えて嬉しいです」 フェヌアは接吻するかのように小生の顔に自分のそれを近づけた。思わず避けてしまった。鼻先を合わせ深呼吸するのは小生の故郷の挨拶である。しかし、故郷では小生は化け物扱いされていた。 獣人だと分かったら、折角同郷の者に逢えたのに拒まれてしまうのではないか。 この街では馬鹿な考えだと分かっている。だが、小生はフェヌアに自分は人間だと嘘をついてしまったのである。 手の構造はイグアナそのものだが、幸い指は人間と同じように細く、器用に動き、手触りも似ていた。掌に文字を書きながらしばし会話する。フェヌアは旅人で、歌と演奏で日銭を稼いでいると言う。 まだ今夜の寝床が決まっていないと言うので、小生の宿屋に誘ってみたが 「すみません、これから仕事なので」 と丁重に断られた。 今は深夜に差し掛かる時間だ。こんな時間から?と首を傾げていると、別の客がフェヌアに声を掛けた。フェヌアは小生に会釈をし、細長い杖を左右に突きながらそちらに向かう。 フェヌアを呼んだ逞しい身体付きの冒険者らしき男は、彼にひと言二言話しかけ、フェヌアがうなずくと肩を抱いた。 そのまま彼等は店を出て行く。男の目には好色が浮かび、歯が覗く口元は獲物を捕食しようとする肉食獣を彷彿とさせる。 小生はなんとなくフェヌアの仕事とやらを察した。 すれ違い様に、フェヌアが小生を見た気がした。 濃い睫毛の下から現れたのは、白く輝く大きな瞳だった。光を捉えることのないその瞳は、月の色を宿していた。

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