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第5話
フェヌアの黒い髪が揺れ、厚い唇が弧を描く。
「・・・クミンを助けてくれるの・・・?」
フェヌアは微笑みながらバジルに近づく。目の前までくると、両手を差し出した。バジルは震える手でナップサックを渡す。
フェヌアは大事そうに抱えると、手を差し込みしばらく彷徨わせて、赤ん坊の頬に触れる。目や鼻や口にも手を這わせていた。
「かわいい顔をしているね」
微笑むフェヌアに、バジルは虚を突かれた顔をしていた。おそらく、小生とカモミールも。
「よく眠っているよ。お兄ちゃんが頑張ったからだね」
バジルは声を詰まらせたかと思うと、ボロボロ涙を零し始めた。
「このまま寝かせてあげよう?」
バジルは糸が切れたように膝をついた。慟哭を全身で押さえつけるように、嗚咽をもらしながら床に蹲る。
「子守歌を歌ってあげる。おいで」
フェヌアに頭を抱かれ、バジルは涙を流しながら頷いた。
フェヌアは小生達に背を向けて椅子に腰掛け、甘い歌声を響かせた。あやすように赤子を揺らし、膝に乗せたバジルの頭を撫でている。
「爺さん、あの子何者なん?」
カモミールが質問した。小生は流しの音楽家で娼夫であることしか分からなかったし、そう答える他なかった。
ただ、フェヌアには人の心を凪ぐような、不思議な力があるように思えた。
程なくして、フェヌアの歌声がやんだ。こちらを振り返る。バジルは涙を頬に伝わせながら眠っていた。
「もう大丈夫です。でも、今夜は一緒に居させてあげて。明日になったらお別れするからって」
「爺さん、ウチが一緒に手続きしたるわ。診断書も必要やろうし、ウチのがこういうの詳しいしな」
カモミールはどこか哀しそうに微笑んだ。
フェヌアはお願いします、とバジルを膝に乗せたままだが礼儀正しく頭を下げていた。小生はカモミールに指文字で礼を言い見送る。
しかし、カモミールがすぐに戻ってきた。
先程追い出した男に羽交い締めにされて。
更に、元締めらしき獣人まで現れた。角を生やした闘牛の頭の大男だ。
「うちのはどこですかねえ」
丁寧な口調の中に怒気や苛つきが含まれていた。
そして、バジルを連れ戻しに来たのだと直感した。
バジルは目を覚まし跳ね起きた。フェヌアは大丈夫だと彼を抱き締める。
大型の獣人でも通れるように設計してある扉にも関わらず、闘牛の獣人は頭を低くして潜ってきた。バジルを見つけるとどす黒い目玉をギョロリと向ける。それだけでバジルは震え上がった。
「親がモンスターに襲われて孤児になったのを拾ってやったってのに・・・恩知らずもいいところですよねえ」
鼻息が白く煙った。
バジルはこの男にとって都合の良い駒といったところか。
だが引き渡してなるものか。小生はじりじりと後退り、|武器《タイアハ》を手に取ろうとした。しかし、部下の男に締め上げられたカモミールの短い悲鳴を聞いて留まるしかなかった。
「ほう、エルフですか」
身動ぎしたカモミールの金髪から、尖った耳の先端が飛び出していた。
「あのガキより、こちらのエルフの方が使えそうだ。色々と」
裂けた口が下卑た笑みを浮かべた。カモミールは目付きを鋭くして抗議の視線を突き刺す。
「や、やめて・・・オレが、やるから。言うこと聞くから」
バジルはふらりと立ち上がった。そして歩み寄る。足枷が付いているかのように足取りは重い。
早くしろと言う部下の男に、バジルの歩みが止まる。額に汗を滲ませ、腹を摩っていた。
「待って、その子アバラ折れとるんちゃう?!
ウチに診せて」
カモミールの台詞は男の張り手で遮られた。
美しい顔がみるみるうちに腫れていくが、カモミールは男を睨み付ける。
「アンタらホンマにクズやな!」
「煩え女だな」
頬を打つ音が響いた。小生は自身の情けなさに怒りが込み上げた。武器を封じられ闘うこともままならず、言葉を話せず助けを呼ぶ事すらできない。
バジルは過呼吸になりそうなほど怯え切っており、カモミールは男に引きずられ二階に連れ込まれそうになった。
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