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第3話 抉じ開ける指

 プチ歓迎会をレストランでって言ってたけど、ここ、ほぼバーじゃん。 「えー! すごい、剣道とかやってたの?」 「そ、すっごい強かったんだぜ? 直紀は」 「あの剣道の着物、めちゃくちゃ似合いそー。ナオクン、カッコいいもん」 「あー、だよなー、やっぱ女子は直紀狙いだよなぁ」  周りは仕事してそうな人ばっか。その中、騒がしい大学生の一団って感じが、最悪。 「そんで、直紀の弟の和紀も剣道やっててさ」 「うんうんっ」 「そいつがまた、すっげぇ、女の子に、」 「司!」 「ほえ?」 「……お前、トマトソース、服についてる」 「え? ぁ、うわぁぁぁぁ!」  思わず遮ってしまった。カズの名前が出た途端、カズのことを、この女子たちに知られたくなくて、咄嗟に、遮ってた。  この女子がカズを知っても知らなくても、別に、あいつの女癖が治るわけじゃないのに。おさまるもんでもないのに、それでも俺は――。 「ね、ナオクンは今は剣道やってないの?」  甘い匂い。女子のこの匂いは嫌いだ。 「やってないよ。っていうかさ、ここ、バーじゃない? 俺ら、未成年だけど」 「んもー、だから今日プチ新入生会なんじゃん。昨日のはさぁ、大学の学科主催ので、アルコール一年生は厳禁なんだもん。つまんない」  つまんないのはこの時間だ。 「っていうか、ナオクンはお酒飲まないの?」 「だから未成年だって」 「真面目―。けど、そういう人って誠実で浮気とかしないんだろうなぁって、思うっ。ね、ちょっとだけ飲んでみなよ。そんでさ、酔って楽しくなろーよー」  媚びる声を出して男を釣ろうとする女といる時間なんて、暇つぶしにもならない。  甘い匂いも、甘ったるく粘つく声も、何もかも、嫌い。全部、あいつの、カズの部屋から聞こえる邪魔な声と同じだから、あの扉の隙間からでも漂って胸をむかつかせる匂いと同じだから。 「興味ない」  そう吐くように告げて、今も昨日、カズの部屋から聞こえた声に、嗅いだ匂いに、そっくりなこれを払いのけたくて、目の前にあった、グラスの中身を一気に流し込んだ。 「あー、もう、最悪……きもちわりぃ」  何あれ。クソまず。変な匂い。変な味。あんなもん飲んで何が楽しいんだか。手前にあったグラスだから、自分のだと思って、けっこう一気に飲んじゃったし。でも、不味くて、吐き出して服は汚れるし。 「あーっ」  服が濡れたからとあの新入生会をリタイヤするのに役立っただけ。後は全部最悪だった。  やっぱ、来なきゃよかった。  いつもだったら絶対に来なかったのに。  ただ、あの時、司があんなことを言うから。俺が関心があるのはカズのことばかり、女子には無関心だなんて言うから、そこに女子がちょうどよく誘いに来たもんだから、誤魔化すために頷いてしまった。 「もぉっ!」  グラグラする視界のせいで、足元がふらついた。転ぶかも、そう思うけれど、踏ん張れそうにないくらいに千鳥足で、何かを掴むにも暗い夜道じゃ、反応できなくて。  けれど、転ばなかった。  それと片手だけが異様に痛い。 「……あんた、何してんの?」  転ばなかったのは、その腕を鷲掴みにして支えてもらったからだった。 「ナオ……酔ってんの?」  そして、また、心臓が止まる。 「カ、カズっ」 「何? は? 酒? 酔ってんの? あんた、俺の一つ上じゃなかったっけ? 十九だろ? アルコールの摂取は二十歳からじゃなかったっけ?」 「う、うるさいなっ」  なんで、カズがここに? ここは、えっと、うちの近所の。 「全然帰ってこないから、電話したんだけど?」 「は? 何、なんでっ」 「なんでって、あんた、鍵忘れてったんだよ。俺が寝たら家入れねぇじゃん」  言われて、自分の鞄の中を漁ると鍵がなかった。リュックの前ポケットのとこ、いつもそこに入れてるのに。 「……ぁ」 「思い出した?」  もしかして、昨日、帰ると玄関のところに女物のローファーがあったから、それに気をとられて、鞄に鍵を戻すのを忘れた? 気がつかれないようにそっとあがったから。 「別に……思い出してない」 「……あっそ」 「っていうか、母さんがいるじゃん」 「いねぇよ。今日は、うちの高校の役員会さんたちで飲み会っつってたじゃん」 「あ」  そうだった、かもしれない。あんまり覚えてないけど、そんなことを言われたような。 「じゃ、じゃあ、父さんが」 「当直だっつうの」  警察署勤め、二十四時間体制だから、そりゃ夜いないこともしょっちゅうだ。 「じゃあ……」 「……女のとこでも泊まるから大丈夫だった?」 「はぁ? なっ、何言ってっ」 「静かに。夜だって」  涼しげな顔をしてた。普通にそれが選択肢にあるような、つまらなそうな顔をして、女のところに泊まるのか、なんて。  つまり、鍵を持ってなかったのがカズだったら、どこかの女子のところに泊まるってことなんだろ。  そのことに胸が焼け焦げる。不毛なヤキモチだってわかってるけど、でも、それでもやっぱ焦げるんだ。 「ほら、鍵、開けてやる」 「……」  家の中は静かだった。しーんと静まり返って、リビングもキッチンも真っ暗。いつもは母さんがいる。けど、今は、俺とカズの二人っきり。本当に、二人っきり。 「酒、飲んだんなら、水飲んどけよ」  なんでそんなこと知ってんだ。酒を飲んだ時のことなんて、俺はそんなん知らないのに、なんで一つ年下のお前が知ってんだ。 「いい。もう、風呂入って寝る」  昔は俺の後ろをついて歩いてばっかだったのに。 「ねぇ、俺が爆睡してたら、どうしてたわけ? 女んとこ、泊まった?」 「はぁ? 何、それ、しつこいな。そんなのいるわけ、っ!」 「そ? けど、女の匂いする」 「!」  もういいからって、話を切り上げて、自室に行こうとしたら、カズに手で行く手を阻まれた。手を壁につけて、とおせんぼ。 「おいっ、カズ!」 「……ほら」  顔を寄せて、鼻を小さくスンと鳴らすカズの吐息が、うなじに触れて、鼓膜の近くで声がして、変な反応をしそうになってしまう。早く離れないと。  甘い匂いなんて、そんなのお前のほうがしょっちゅうさせてるだろ。 「知らない。隣の女の匂いが移ったんだろ。嫌いな匂い。っていうかカズ近い」  甘ったるく媚びる、イヤな匂い。 「髪、今日切ったんだ」 「は?」  あっちこっちに飛ぶ会話に酒なんて飲んでしまった頭じゃ追いつけなくて、気をとられた。 「っ」  うなじに触れたのはカズの指。首を鷲掴みにされて、すっきりした襟足をゆっくりなぞるカズの指がすごく、氷のように冷たくて。 「ンっ」  思わず、声が、出た。 「ごめん。冷たかった?」  冷たさに驚いた声、じゃない。 「それとも――」  零れた声にはいやらしい熱が滲んでた。  やばい、やばいやばい、こんな声、普通、弟相手に出さないって。 「感じた?」 「っそんなわけっ、なっ、何っ」 「何って、だって」  欲望が混ざってたのは明らかだった。しくじった。アルコールのせいだ。酔っているから。 「昨日、オナニーする時、俺のこと呼んでたじゃん」  だから、秘密を詰め込んだ扉の隙間からトロリとした熱が染み出てしまった。  俺は、染み出たそれを、カズの冷たい指先に鷲掴みにされてしまった。

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