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第12話 恋の片鱗
志望大学を急遽ランク下げようと思ったのは、いつだったっけ。あれは、去年の夏を過ぎた――。
『ナオ、大学、どこにすんだっけ?』
『あー、あそこ』
『ふーん』
行こうと思ってた大学は父さんの出身大学だった。別に偏差値的には行けたけど。
カズが俺の希望大学を何気なく尋ねた数日後、母さんから、カズも同じ大学に行こうとしてるみたいと聞かされて慌てて変えたんだ。
帰る家は一緒だから、せめてそこ以外だけでも離れておかないとこの実ることの決してない片想いを俺はいつまでだっても終わらせられないんじゃないかと思った。
朽ちるしかないのに、ずっと、いくら待っても朽ちることのない片想いをどうにかして風化させられないかなって考えた。
そう考えてたんだけどな。
俺は我儘だ。
もしも、あの腕の中を独り占めできるのなら。
恋の片鱗くらいにさせてもらえるのなら。
今、この次の瞬間、死んじゃってもいいかな、なんて思えるくらいに嬉しくて仕方がない。
絶対にありえない、しちゃいけない片想いをずっとし続ける我儘な奴。
死んじゃってもいいくらいに嬉しい恋が叶っただけじゃ満足できない罰当たり。それでも、貪欲に次の願いへと手を伸ばそうとする。
片想いと言っていいような、可愛いものではないし。俺らのこれは恋と呼んでいいほど、綺麗なものではないけれど。
「わー、すごい新アトラクション乗ったんだぁ」
「すっごいよ。四時間待ち余裕。これのためだけに行ったってくらい」
「マジで?」
大学の帰り、電車の中で隣に座った女の子二人の会話をぼんやり聞いていた。四時間待ちでもかまわず並ぶことがすごいなぁって。けど、あそこは他の遊園地とは別格だから、そのくらいはたしかにかかることもあるかもしれない。
「でも、待ってる間さぁ、列に男の子のカップルがいて。ちょおおお、可愛かったんだぁ」
「へぇ」
「手繋いでてさぁ。もう、なんか微笑ましいっていうか」
「けっこういるよねぇ。外国のカポーがさ、メリーゴーランドに乗りながら写真撮ったと思ったらそのままほっぺにチュウしてたことあった。めっさ可愛かった」
へぇ、あそこ、同性カップルけっこういるんだ。
「いいよねぇ、デート」
デートかぁ。
うん。いいなぁ。
なんてさ。図々しくも、でも、叶うならばやりたいことが俺にも実はあったりはして。
「したーい! デート」
「したいねぇ」
うん。実はさ、俺もしてみたいんだ。
「あー! 嘘! シャンプーがないわ! 嘘―! どうしよー!」
阿鼻叫喚、みたいな大きな声でわざと洗面所で、ご丁寧にストックが切れてしまったシャンプーのことを連呼してる。
「買って来ようか?」
「え? いいの?」
「だって、買ってきて欲しいんでしょ?」
「ありがとー、助かる」
「他にはある? ついでに買ってくるよ」
「え、いいの?」
いいのって、目をキラキラさせてるじゃん。
「いいよ。別に」
なんでもどうぞ。重い物、なんでもお受けしますよ。
「カズがいるし」
「……は?」
だから、なーんでもお受けいたします。
母さんにしてみたら、兄弟で仲良くお使い、なんだろう。子どもの頃みたいに。
「おっも! ったく。ナオ、そっちの貸せって」
「大丈夫」
「いいから」
「大丈夫だって」
「いい子ちゃん」
洗剤もついでにと頼まれた。しかも食器用のと洗濯用の両方。ビッグサイズのお買い得品。それとシャンプーとコンディショナー。それからそれから、ってここぞとばかりに買わされた。
「長男ですから」
「……うっせぇよ」
カズの、声のトーンが少し下がって、涼やかな春の風に、カズが目を細めた。
長男長女はいい子ちゃんなんだよ。下が奔放だからさ。そう言ったら、そっぽを向かれてしまった。
「つうかさ、こんなに買うか? 何年分? ここぞとばかりに、なんじゃね?」
けっこうな量。男二人で両手のエコバックめいっぱいに入ってる洗剤類の重さたるや、だ。
「いいじゃん。散歩」
「ったく」
「なぁ、カズ」
「んー?」
二人っきりになれるだろ?
まぁ、外で、ご近所で、なぁんにもできないけど。
「あ、のさ」
「?」
うちの中じゃ話せないこともあるじゃん。ほら、たとえば。
「あの……さ」
「……」
「今度、デート、しない?」
デートの誘いとか、うちの中じゃ言えないじゃん? だから、外でならさ。
「って、無理なら、いいんだけど」
「は? 無理なわけねぇじゃん」
「や、なんで怒ってんだよ」
「うっせぇよ」
今度の文句は怒ってたわけじゃないと、赤くなった耳でわかる。そっぽを向いてしまったのが怒ってるからじゃないと、少しだけ見える頬の赤色でわかる。
「ほら、貸せよ。そっちの」
「は? いいって! 別に持てるって」
「俺が持ちたいんだよ。そんで、褒められたいんだよ」
なんだよ、それ。可愛いな。
――え、いいよ。カズ、上級生の教室だから。
中学の時、たくさんあるノートを日直だった俺が運んでた時、無言でカズがほとんど持ってくれたっけ。一つ上の学年で一つ上のフロアなのに、おかまいなしに、周囲の視線を無視して。いいって言っても、聞かなかったっけ。俺はそれこそ十冊も持ってなくて。けっこう有名人だったくせにさ、そういうのも全部無視で、ずんずんずんずん。
なんでも俺の荷物は持ちたがるし、なんでも手伝いたがってた。
――お使いのお荷物持ってくれるの?
――うん! 持ったげる。
――ありがと。じゃあ、こっちのおやつの入ったビニールを頼もうかな。それ落としたら、おやつないから頑張って! 持ってって!
うん! そう大きく頷いて笑ってた。
――僕がナオ兄ちゃんの全部手伝ったげる!
そう言って笑う弟をすごく可愛いと思った。
今も可愛いと思うけれど、きっと、この歳になっても弟を可愛いと思う時点で、「普通の兄弟」ではなかったんだ。
「ありがと。カズ。助かる」
「っ」
愛しいと恋しいと、あと、欲しいが混ざった。全部の色を混ぜるとあまり綺麗な色にならないのと同じで、全部の気持ちを胸のうちで混ぜたらさ、綺麗なんかじゃないけれど。
片想いと言っていいような、可愛いものではないし。俺らのこれは恋と呼んでいいほど、綺麗なものではないけれど。
それでもこれはたしかに恋だ。ちっとも綺麗な色をしていない、ただの恋なんだ。
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