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第19話 アルバイト

「バイト先、俺のおじさんとこなんだ。翻訳の仕事しててさ。小さい会社で、マンションの一室でやってるから、怪しさすっげぇの。そんでバイトとかあんま来なくてさぁ。あんまっていうか皆無? 求人にマンション名が書いてあるからなのかもな。そんで、困っててさ。あ! でも安心して! めっちゃ良い人! そんで、すっごい優秀な人! 仕事の依頼バンバン来るくらい。あ、あと、モテモテなんだよー。すげぇの、いつかテクを教えてもらいたくてさぁ」  そんなにバンバン仕事が来るんなら、それこそちゃんと事務所でも構えればいいのにと思ってしまう。  たしかにマンションの一室じゃ、ちょっとアルバイトは来にくいかもしれない。俺だって、英語が使えて、時給も良くて、時間の都合も配慮してもらえるなんてバイトがあれば飛びつきたいけど、勤務先はマンションの一室ですって言われた瞬間尻込みする。 「それにしてもバイト、オッケー出たんだな。親父さん、警察官だからめっちゃ厳しいじゃん。絶対に高校ん時はダメっつってたけど、大学はさすがに大丈夫なんだ」 「あー……」 「やっぱ大ブーイング?」 「いや……」  父じゃなく、カズが、ね。  ――は? ナオ、バイトすんの? どこで? どんな? 司の紹介って、なんかそれだけでやばそうなんだけど!  カズと司はもちろん顔見知りだ。司は、あの調子だからカズが何を言おうがどんなに怪訝な顔をしようがおかまいなしで笑って、よくちょっかいをかけていた。 「直紀?」 「いや、まぁ、平気、かな? たぶん」  ――は? なんでって、そんなの決ってんじゃん。司、すげぇ、女好きだから。 「ほえ?」  きっぱりとそう言い切られてたぞ? 司。  お前からの紹介っていうことに、弟が渋い顔してた、とは言わずにいよう。  でも、モテモテってことはやっぱり女遊びすごいのかも。しかも、場所がマンションの一室。  カズに詳細まで言ったら、めちゃくちゃ反対するのかな。するだろうな。  けど、司の親類だし、素性ならたしかだし。そういう意味で言えば危ないわけでもないから。いや、逆か。 「とにかく心配すんな! 俺のダチってちゃんと説明してあるし!」 「あぁ、ありがと」  女好きなんだから、俺は関係ないだろうに。俺が好きなのは――。  っていうか、それを言うなら、カズだってめちゃくちゃ女遊びしてたじゃん。しかも高校三年どころか、もっと前から。 「ざっくばらんな人だからさ。ガッチガチな生真面目とかじゃないし」  いや、司の親類で、生真面目じゃないってさ、むしろ不安要素になるんじゃ……。 「あ、ここ」 「え?」  本当にマンションの一室なんだ。  高層マンションだけど、でも住居用の普通のマンション。本当に司の紹介じゃなかったら、絶対に断ってるだろう怪しさ満載だ。  けれど呑気な司は、ほら急げとスキップ混じりにエントランスの重いガラスドアを開けると、備え付けられていたインターホンで部屋番号を押した。二桁の階数と部屋の番号。そして、数回のコールの後、低い声が短く返事をした。  英語の翻訳業をしてて、海外滞在歴も長く、仕事は上々。引く手あまたの優秀な人。 「こんちはー」  なんとなくイメージしてた人は、まぁ、司の親類っていうことを踏まえて、女好きで、そして女性受けしそうな柔らかい人っていうか。人当たりの良さそうなニコニコ笑顔の大人の男性をイメージしてたんだ。 「明弘(あきひろ)さーん」 「おぉ、司」  小さな会社って言ってなかったっけ?  事務所として構えていたのは最上階の、まるで大理石のように見える玄関に真っ白な廊下。ホテルのように広いリビング。  すっごい優秀な人、なんじゃないっけ?  待ち構えていた人はボサボサ頭に無精髭の、おじさん。 「連れてきたよー! アルバイト」  何もかもが予想外な人で、俺は雇い主になるかもしれないその人の前でぽかんと口を開けて挨拶するのも忘れてしまった。  司の叔父って言ってたっけ?  司って、のんびりしてる性格で、呑気で朗らかで、俺が少し何か強めに言ったとしても笑って流してくれるところがあるっていうか。それとけっこうマイペースだし、他人に変に固執しないっていうか。人のプライベートにずけずけとは入って来ないから、俺みたいなのでも長く付き合っていられるんだけど。 「あー、その資料全部ファイリングしておいて」 「は、はい!」 「それが終わったら、今度はこっちの資料の片付けな。分類ごとに棚に戻しておいて。そんで、その次に」  マイペースな人だとは思う。思うけど、マイペースなハイペースだ。 「その次に、こっちな。こっちの資料は」 「は、はいっ!」  つまりは、ちっとも司とは親類っぽくない人なんだけど! 「まだまだあるぞー」  なんだけどっ! 「いやぁ、助かったぁ」 「い……いえ、そ、それはよかったです」  っていうか、資料とかさ、もう少し片付けておけばいいのに。片付け苦手なのかな、この人。整然とした綺麗な部屋だったんじゃなくて、雑然とした部分は全部棚に隠しておいた綺麗な部屋だった。  開けてびっくり玉手箱だった。 「司と同じ大学なんだっけ?」 「はい」 「あいつよりもずっと優秀だなぁ」 「……いえ」 「とりあえず、まぁ、時給は司から伝えてもらった金額なんだけど、今日はかなり助かったから、ほら、今日の分」 「ぁ、ありがとうござ……あ、あのっ」  手渡された茶封筒。その真ん中に給与って書かれて、金額が記されていた。でも、どう考えたって夕方からの数時間で、言われていた時給じゃ稼げない額になっている。 「これはもらえません! あの、これじゃ多すぎます」 「あはは、真面目だなぁ」 「けどっ」 「いいんだ。助かったから。もらっておいて。あ、けど、明日からは時給どおりな」 「あ、はい、それはもちろん」 「……」  ありがたく茶封筒を鞄の中にしまうと、その様子をじっと見つめていた明弘さんと目が合った。  目が合って、ふわりと微笑まれた。無精髭に少し雑な口調、ざっくばらんな感じは少し怖そうっていうかさ。けれど、微笑んだ目元は優しくて、少し似てた。 「へぇ……」 「? あの、何か」 「いや、なんでもない。司の友だちって言ってたから、あいつに似たちゃらんぽらんな奴か、変な奴が来るんだと思ってから。予想外だったよ」 「……そう、ですか」  予想外は俺もだったけれど。 「そんじゃあ、また明日」 「あ、はい! 宜しくお願いします」  そして頭を下げて部屋を後にした。  大学とうちの間くらいの場所だし、時給いいし。  けっこうもらってしまった。今日だけ特別給ってことだったけど。引き手あまた、なんだっけ。仕事たくさんあるのかな。資料の量ハンパじゃなかったし。  とりあえず、この連休でしっかり稼いで、そしたら、旅行とか、ホント誘ってみようかな。 「ナオ!」  カズと温泉とか一泊でさ。 「ナオ!」 「……カズ。何? お使い頼まれたとか?」 「は? だって今日バイトじゃん」 「うん。そう、だけど。っぷ、もしかして本当に心配してたとか?」  そんな駅前でさ、手をブンブン振って大きな声で呼ぶから、周りのサラリーマンとかがめちゃくちゃ見てた。イケメン高校生が必死の顔してるんだ、見ちゃうでしょ。 「するだろ。普通に。で、どんなだったんだよ」 「んー、どんなって、なんかすっごい大きな部屋だった。高級ホテルみたい」 「ホテッ」 「あ、でも、すごい人をこき使う感じでさ」 「こき使うって」 「けど」 「けど?」  カズの必死な顔なんて、珍しいものも見れた。 「笑った目元がなんか、カズに似てる雰囲気だったよ」 「…………おま、そういうの」 「?」 「そういうの、そういう顔で言うとか、ずりぃ」  お金を貯めて、カズと旅行に行きないなぁって思いながら見上げた夜空にはまん丸の月があって、とても綺麗だった。

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