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第20話 傍若無人な兄

 昨日はお試しっていうか、面接につもりで行ったんだけど、そのまま手伝いをさせられた。特別給ももらえたし、ラッキーだったけど、今日から本格的にアルバイトだ。丸一日、あのハイペースなマイペースの手伝いをさせられるんだから、気合、入れないと。 「……よしっ」 「はよ」 「うわぁぁぁ!」  びっくりするじゃん。  洗面所で気合を入れようと頬をぺチンと叩こうとして、カズが低い声でいきなり挨拶するから、気合を入れるどころか、自分の頬を自ら両方ともにビンタしてしまった。 「今日、これからバイトだっけ」 「うん。そう」 「ふーん……」  不貞腐れてる。  懐かしいな。こういう顔、子どもの頃はよくしてたっけ。一つしか違わない歳の差。でもその一つが学校に入れば、ことごとく何をするにもズレていく。ずっと一緒にいるのに、学校に行くとくっきりとお互いの間に境界線が引かれ、世界が区切られていたような感じ。その事に、よくカズが同じ顔をしてた。遠足の日、学年レクリエーションの日、運動会の種目の違い、小さなことだったけれど、どうして一緒じゃないんだって。 「高級ホテルみたいなとこで、おっさんに押し倒されたらどーす、んごっ!」  懐かしくて、思わず鼻を摘んであげたら、整った鼻から「ブヒッ」なんて似合わない音がした。 「その心配はカズに姉ちゃんがいたらしなよ」  男相手に男が押し倒される心配ってそうたくさんはしなくていいと思うよって笑った。けれど、カズはまだ不服そうに眉間の皺をもっと険しくさせる。それなら仕方ない。 「もう大学生でバイトできるんだから稼がないと、だろ。自分の金くらい」  そこまで聞くとカズがもっと眉間の皺を深くしてしまう。自分はまだアルバイトが許されない高校生だから。いっつもいっつも感じてる一つ違いのジレンマをここでまた感じるのはいやだと不満を思いきり表情に出した。 「っていうか、俺たちの旅行代金くらい」 「……」  俺は五月生まれ。  カズも五月生まれ。  俺は二十五日生まれで、カズは十五日生まれ。だから誕生日のプレゼントはいつも五月の二人の誕生日の真ん中にもらえた。二十日、そこで一緒に、それぞれの誕生日プレゼントをもらってたんだ。面白いタイミングよねって、俺たちが子どもの頃、母はよく言ってたっけ。 「今年は二十日が土日じゃないから無理だけどさ」 「……」 「その週末、一緒に温泉とか行けたらいいなぁって」  一瞬だけ、俺たちが同じ歳になる数日にさ。 「その旅行分くらい稼がないと……カズ?」  洗面所で口元を押さえて俯いたから、なんか急に気分が悪くなったのかと思った。丸まった背中を咄嗟に撫でてやると、耳まで真っ赤にしたカズに腰を引き寄せられて、睨まれてしまった。  可愛い、って、つい思ったんだ。  嬉しくてたまらないって照れて真っ赤になった一つ年下の弟に。 「何それ、聞いてない」 「だって、言ってないから」 「っていうか、それじゃあナオしか負担じゃないじゃん」 「いいんだよ。俺が一緒に行きたいんだから」  高校生じゃん、お前は。 「俺の我儘に付き合ってよ」  また一つ、懐かしいことを思い出した。  ――ナオ兄ちゃん!  ――あ、カズ! それ取って。  ――うん!  ――ナオ兄ちゃん!  ――カズ、こっち来て。  ――うんっ!  生真面目なのは長男のほうだけれど、弟限定で我儘をするのも長男だと思う。普段、他人にはとっても良い子のくせにさ。 「カズと温泉行きたい」  弟にだけは傍若無人な振る舞いをするんだ。 「行ってよ。一緒に」  だって、弟は絶対に兄ちゃんのことをさ、追いかけてくれるから。 「ダメ?」  伺うように、けれど、もうきっと一緒に行ってくれるって確認もしているように、額をカズに擦りつけながら上目遣いで尋ねた。  弟のほうは大変だよ。  あれ取って、これして、あっちに一緒に行こう、今度はこれを一緒にしよう。兄は弟の都合なんておかまいなしに付き合せるんだから。  だからマイペースなのは弟のほうかもしれないけれど、自由奔放なのも弟のほうなのかもしれないけれど、兄にだけはその自由がさ、希薄になると思うんだ。だって、ほら――。 「ダメなわけないじゃん」  ――うんっ! ナオ兄ちゃん! 「ナオと温泉に行けるなんて」  兄の誘いは断れないんだから。 「えらくご機嫌だなぁ」  今日は天気が良くて、大きな窓から差し込む日差しが眩しいくらいだ。高級マンションの最上階は少しばかり太陽に近いせいなのかもしれない。  その燦燦と陽が差し込む部屋にはあまり似合わない無精髭。 「そうですか?」  次はこっちの資料をまとめて。それから。 「あぁ」  あぁ、いくつか来てるダイレクトメッセージを確認して欲しいって言われてたっけ。 「あ、すみません。このファイルなんですけど」  連休明けだからそう混んでないと思うんだ。あとでどこの温泉にしようか選ばなくちゃ。それから電車の乗車券とかも用意しないといけないし。  温泉はどこでもいいよ。カズがいれば、どこだってかまわない。日にちは確定だから検索してみよう。場所よりも部屋の条件だけが叶えばいい。  個室露天風呂はさすがに贅沢かな。でも部屋食がいい。できるだけ二人だけで過ごせるように。人の目にあまり触れないように。 「あ、あと、これも」 「どんな良い事があったんだろうな」  ――ナオが決めていいよ。  どこが良い? って、一応希望は訊いたんだ。洗面所でこそこそと、母さんが来ないうちにと内緒の話をしてた。  ――ナオが行きたいとこに行きたい。 「ないですよ。別に」 「……そうか? なんだか良いことがあったって顔だ」  ――ナオが行くとこについてく。 「日差しが強いからじゃないですか?」  だから笑ってるように見えるんだって誤魔化して、手元の英文がずらりと並ぶ資料にまた目を細めた。

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