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第26話 家族旅行

 駅を降りてもそんなに潮の香りはしなかった。波の音も聞こえなかった。チェックインが夕方だったから、それまではガラス工芸の美術館とかを散策することにしたんだけれど、連休が終わったからか、週末だけれど、道もそんなに混んでなくて、手を繋ぐには少し目立ってしまうほどだった。それから時間を見て宿へ。  宿に近くずつにつれて、海も近くなっていくんだろう。海岸通りと標識が出ていた大きな道路を渡った途端、波の音も、潮の香りもしてきていた。 「うわ、すげ……海、まん前じゃん」 「ホントだ。オーシャンビューサイドってなってたけど、すごい」  目の前には海。でも、ヨットがたくさん並んでいる。海水浴場からは少し離れていてビーチっていう感じじゃなかったから、露天風呂付き客室としては、同じ駅付近の中でも少し安かったんだ。  フロントで手続きを俺がして、そのあとは部屋へ案内された。簡単に説明をうけて、あとはそのままごゆっくり。 「夕食ってビュッフェだっけ?」 「あ、うん。部屋食がよかった?」 「いや、なんでもいいよ」 「カズ、いっぱい食べると思って」 「何その、わんぱく小僧扱い。ナオと一つしか違わないじゃん」  一つしか違わないのに違うだろ。背も、力も、全然。 「六時、だっけ?」 「お腹空いた?」 「あー、まぁね」  あと、一時間、だ。夕食まで。 「風呂、入る? もうお湯張ってあるって、さっき言われたけど」 「あー、あとでにする」  あと一時間ある。夕食まで。 「そうだ。さっきのガラスのとこ、ナオ、ああいうの好き? 熱心に見てた」 「好きだよ。綺麗じゃん」  ガラス工芸、見てるの楽しかった。そのあと、お土産屋とカフェが並ぶ道をただ歩くだけでも。 「あれ、買えばよかったのに。手作りの万華鏡。めっちゃ見てた」 「だって、面白いじゃん。ああいうの」  美術館の最後、さぁ、買ってくださいといわんばかりに通路はギフトショップに繋がっていた。外国からの旅行客向けにと日本色の強いものから、本格的な工芸品まで。その中、子どもたちが楽しめそうなお土産コーナーの一角に足止めされてしまった。  万華鏡。しかも手作りで、自分の好きなものを入れてもいいって。くるくる回すと無限に鮮やかでどこか幾何学的な模様が続く。どれ一つだって同じ模様にならない。それをしばらく覗き込んでた。  ――ねぇねぇ、ナオ兄ちゃん! 僕も見たい! 見せて見せて! ……うわぁぁ、綺麗。青がいっぱい。すごい。星が。  そうかな。俺がクルクルまわしてた時はハートがいっぱい見えたんだけど。でも、今、カズが覗き込んで喜んでいるその景色は一緒に覗き込めない俺にはもう二度と見ることはできないんだって、ぼんやりと思ったんだ。  ぼんやりと、別々なんだって思った。  ずっと一緒。ずっと一歳差。ずっとずっと。一緒だけれど、「同じ」ではない。同じじゃないから、別々になる。いつかは。  そう思うと寂しく感じた。 「明日、お土産買わないと、司にさ、旅行のこと話したから」 「え?」 「誰と行くのか言わなかったから余計に突っつかれた」 「下手……」 「仕方ないじゃん。カズとこの旅行のこと話してた時に突然言われたんだから。顔に出ちゃったんだよ。っていうか、お前、あの時、返信早すぎ。ちゃんと学校に」 「俺も言われた」  海を眺めながら話してた。窓のところ、定期的に押し寄せる波と、その波と一緒に小さく揺れるヨット。夕方で空の色に夜が混じり始めるのを眺めながら。 「何スマホ見ながら嬉しそうにしてんの? って」  その窓ガラスにカズが手を置いて、俺はまるでベッドに押し倒される時と同じ距離に指先が痺れてく。 「嬉しそうにしてたんだ」 「そりゃ、だって」 「俺も、嬉しかった」 「……」  期待が膨らんでいく。 「二人で旅行、できる、から」 「……」 「カズ」  セックス、したくて、膨らんでいく。欲が。  熱が高くなっていく。 「カズ……」 「そろそろ、食事、行く? もしかしたら混むかも」 「え、けど、あと三十分くらい」 「ほら、下のフロントにお土産あったじゃん。あそこ見てみたら」  すっと、カズが離れてしまった。 「お土産見て、飯食ったら、ちょうどじゃん?」  お土産なら明日でいい。司と、あと両親に買ってくだけなんだから。夕食だってまだ時間あるし。部屋入ったのに。 「行こう、腹減った」 「……うん」  旅行なのに。  ベッドの部屋にした。夕食はビュッフェでもなんでも、とにかくレストランでの食事のところにした。 「アルコールもあったね、ナオ」  理由があるんだ。ベッドの部屋にしたのも、レストランの食事にしたのも。 「ナオ、何か飲み物買ってこようか? 冷蔵庫ン中の高いじゃん」  せっかくチェックインの時間を一番早いのにしたのに。ベッドルームにしたのに。レストラン食にしたのに。 「お茶? それとも」  それなのに。 「……しないの? カズ」 「……」  部屋に二人っきりなのに。 「しないの? セックス」  まるで家族旅行みたい。  でも、俺は違うよ。 「カズ」  家族旅行だなんてこれっぽっちも思ってない。朝からずっと、俺にとっては。 「はぁ……」 「カズ? 何?」  部屋の中だから、手を引っ張って尋ねたら、その場にしゃがみこんでしまった。 「我慢してんのに」 「は?」 「我慢してたのに、直球すんのやめてよ。ズルい」 「は? なにを、うわぁ!」  しゃがんでたカズにいきなり手を引っ張られ、そのままベッドに押し倒された。うちのとは全然違うゆったりと波打つスプリングに戸惑ってしまう。それから、俺を組み敷いたカズの真っ赤な顔にも。 「カズ?」 「したいに決ってんじゃん」 「……」 「けど、触れたら、もう絶対に止められない自信があったから、我慢してたんだろ」  本当に真っ赤だ。  そして喉奥から何か零れてしまいそうなのか、口元を手の甲でしっかりと拭った。 「夕食なんてどうでもいいくらいに、したくてたまらなかった」  そして、閉じ込めるように両手で左右の行く手を塞がれて、さっきガラス窓のところで膨らんだ欲が、のぼせ上がった熱が、またじわりと滲んで、俺の喉奥も熱くてたまらなくなった。

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