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第32話 ありふれた愛
「ありふれぇーてぇ、るぅ」
「……ぁ」
講義が終わって、ぞろぞろと席を立つ中聞こえてきたメロディについ声が出てしまった。歌ってたのは、入学してすぐに新入生会を個人的にやろうって話になって、俺の隣にいた女子だった。
いきなり話しかけられて目を丸くしてる。
驚かせた。
だってさ。
「その歌って」
「? 歌って、今の?」
「うん。それって」
「すっごい良い歌だよねぇ」
「うん、ね、それさ」
カズが教えてくれないからちっともわからなかった。タイトルもわからなくて、聞きたいなぁって思ったけど、そのあとバイト始めたら忙しくて、そのままだった。
「うーん、たしか、この辺に……」
引き出しの中に使わないからってしまったはず、なんだけど。
「うーん……うわ、何これ」
普段どれだけ整理整頓を不精してるのかって丸わかりだ。明弘さんのあのごっちゃごちゃのデスクのことで文句なんて言えそうもない。普段は開けることのほとんどない引き出しを開けたら、小さな缶が入っていた。お菓子が入っていたその缶を開けると小さな駒やヒーローの小さなフィギュアに、マグネット、どこかでもらったんだろう玩具というよりも何かの付録のような雑多なものが入っていた。
「……駒、懐かしい」
これはよくカズと遊んでたから覚えてる。真ん中が窪んだお皿のような大人の掌サイズの土俵があったはずだけれど、もうそれはなくなって、駒だけが残っていた。よくこの駒でカズと対決してたんだ。どこかに出かけた時に暇だとこれで遊んでた。
「って、それじゃなくてさ!」
探してたのは駒でも雑多なほとんどガラクタ同然の玩具じゃなくて、イヤホン。
「あった!」
もちろん、ワイヤレスのなんかじゃない。コードのある、普通の、昔からあるようなイヤホン。
「やった! って……コード切れてるし」
あんまり使わないから持ち歩くこともなくて引き出しにしまいっぱなしだった。そしたら古くて劣化したんだろう。スマホにセットしてみたけれど何の音もしなかった。画面は切り替わっているからちゃんと歌は流れてる。
ボカロの歌なんだって。
色んな人が歌ってるって教えてくれた。だからか、探してみたけれど売ってなかった。それに講室で彼女が歌っていたのも少しだけメロディーラインが違っていたのはたぶんそういう理由なんだろう。
「母さん! 俺、ちょっと出てくる」
なんでだろう。
普段、音楽なんてあまり聞かないのに。今、どうしても聞きたい。カズが聞いてた音楽を自分も普段聞きたい。
もしかしたら、欲張りがまた増したのかもしれない。
「いってきま、」
「!」
前までなら、できるだけ接しないようにしてた。諦めないといけないとわかっていたから、それでも諦めることがいっこうにできずにいたから、せめて近づいたりはしないようにしてたんだ。けれど、今は、欲張りがやっぱり増したんだ。
「ナオ? どこ行くの?」
「ぁ……カズ」
今は、カズの触れたものでもなんでも、欲しくなっててさ。
「? 何? 買い物?」
独り占めしたくてたまらなくなってる。
「イヤホン買うのにあんなに焦ってたの?」
「い、いいだろ、別に」
「可愛いって思っただけだよ」
クスクス笑いながら、のぼりのエスカレーターの手すりを指先でトントンと叩いてる。ご機嫌が良いらしい。駅前の家電量販店は平日だからそう混んでなくて、やたらと明るい店内の照明がもったいない気がしてしまうほどだ。
「年上に向かって」
「今はタメじゃん」
俺の誕生日が六月の二十五日、カズの誕生日が六月の十五日、今はそのちょうど真ん中。だからカズは一つ歳をとって、俺と同じ歳。
たったの十日だけだけれど。
「俺、この十日がすっげぇ嬉しかった。いっつも」
「……」
たったの十日だけ、俺たちは並ぶことができるんだ。
「ね、あの曲、そんなに気に入った?」
「あ、うん」
「っつうか! あの曲、誰から教わったわけ? 司じゃないだろ。あいつああいうの聞かなさそう」
カズの中で司のイメージがどんなものなのか、まぁ、想像はつくんだけれど、完全に年上扱いはされていないのだけはわかる。
「同じ学科の女子……ちょうど今日、口ずさんでたから訊いたんだ」
「は? 何それ、ナンパじゃん」
「はぁ?」
こっちこそ、何それ、だ。ナンパって。
「ったく」
「っていうか、それならカズこそ、そういうのどこで知るんだよ」
「ネットで」
「ボーカロイドのも?」
「普通に動画で」
「……」
「エロ動画もそちらで」
「ばっ!」
慌てたら、また笑われた。
「んもー、どっちが年上なんだか」
「今はタメだって」
「……」
だから、機嫌が良いのか。
俺とカズが同じ歳だから。
「そんで、イヤホンはこれで」
「? なんで、俺はコードのなんだよ」
「だって、わかんないでしょ? 無線とかさ」
「だって、カズがやってくれるだろ?」
俺の無遠慮な言葉にちょっとだけ目を丸くした。でもすぐに笑って、それもいいかもって呟いた。
「けど、ナオはやっぱコードのやつ。外で使ってる途中で無線切れたとかでイヤホンが混線とかした時、困った顔のナオにどっかの女でも男でもちょっかい出したり、しないように」
「えー……」
「そんで、これ、あげるよ」
「え?」
手の中に押し込まれたのは赤が綺麗なカズのイヤホン。
「片方あげる」
「は? なんで」
「無線だからさ」
「……?」
「だから、俺の部屋で音楽かけたら、そっちで聴けるし、聴きたい時は言ってよ。ナオの部屋でも聴けるように帰ったら繋げてあげる」
ころりと掌の中で転がる赤。
「女なんかすっげぇ目ざといから、ワイヤレスの片方とかだけしてたら、気がつくかもな。半分は? って」
「……」
「あと、良くね?」
最近、欲張りが増したんだ。
「ナオのところに俺のがある、っていうの、最高じゃん」
カズのなら触れた物でも、なんでも、欲しくなる。
「俺、天才じゃね?」
今だけ、同じ歳になったカズが嬉しそうに笑って、その笑顔が煌々と辺りを照らす照明の中眩しかった。
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