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第36話 まるでデート
今日はバイトの日じゃなかった。でも、司経由で、急なバイト要請が入ったんだ。無理なら断ってくれてかまわないと、俺が断りやすいように司経由でまた尋ねてくれた。雇用主である明弘さんから言われたら、俺が断り難いだろうって考えてくれてのことだった。
「あ、母さん? ごめん、俺、直紀。あはは、カズに声が似てた? ……うん。あのさ、今日急なバイトが入ったから、うん……そう、夕飯いらないです。ありがと……はい、それじゃ」
大学が終わって、親に連絡をして夕飯を俺の分なしにしてもらうと、そのままバイト先である明弘さんのマンションへと向かった。
一日であっという間に資料を散らかす人だから、きっと今日は資料整理があるんだろうなって思った……んだけど。
「よぉ、いらっしゃい」
「……」
どうやら違うっぽい。
「……今日って、来客あったんですか?」
「あ?」
いや、違うか。来客がこれからあるから、それこそ資料を早く片付けないといけないのか。それなら急がないとって、挨拶だけはして部屋に上がった。
「いや、来客はないよ」
「え? じゃあ、普通に片付けを?」
「いや、そうじゃない」
でも資料は散乱してる。それの片付けを急遽して欲しいんじゃないの? ただ片付けるために、わざわざ? 来客がないのなら急がなくても別にいい気が。
「お前ね、俺が来客ある時以外は髭ボーボーのだらしのない男とか思ってるだろ?」
はい。思ってます。って胸のうちだけで答えたつもりだったけれど、声に出てしまっていたみたいに何か伝わってしまったんだろう。明弘さんが苦笑いを溢してしまう。
だって、来客がない限りは本当に髭ボーボーが通常仕様なんだからしょうがないよ。
「ほら、行くぞ」
「は?」
「あ、お前、夕飯平気か?」
「はい。ぇ? はい?」
今日は髭がなかった。髭がないとよくわかる洗練された顔立ちはどこかモデルみたいで、まるでさ、シンデレラのようだった。杖を軽くくるりと回して、ポン。たったのそれだけでボロドレスが舞踏会で誰にも負けないほどの煌びやかなドレスに変わるように。
「あの、どこへ」
「大人の遊び場」
「……は?」
ぽかんとする俺が楽しいみたいに明弘さんがニコリと笑って、キーケースがくっついた輪っかを指で、それこそ魔法でもかけるように、くるりと回した。
外を明弘さんと歩くってなんだか不思議な感じだ。
「ったく、お前、誕生日だったんだろ? 言えよ、そんくらい。大々的に祝えよ」
「言いませんよ。アルバイト先に自分の誕生日なんて」
「アルバイト先ねぇ……」
明弘さんは背が高く、髭がなければそれなりに好青年に見える。長い髪をかき上げるとこなんてどこかにカメラマンでもいて撮影しているのかと思えるほど。
だから、なんだか少し居心地が悪くて、言い方がぶっらぼうになってしまう。
「じゃあ、その職場のしかも雇い主が飯を奢ってやろう」
「え、あの! アルバイトは? 資料は? 翻訳とか」
「今日は休みだ」
「え、けど、だって司がバイトって」
「あははは。お前はホント、クソが付くほど真面目だな。司の言ったとおりバイトにするか? 俺の食事に付き合うバイト。まかない付きだ。もしくはデートともいう」
「何言ってるんですか」
笑ってる場合じゃない。それにそんな大きな声で笑うと、こんな人がごった返してる駅前でも目立って仕方がない。
「もう少し、適当しとけよ。そんな生真面目なのは疲れるだろ。まだ十代なんだからよ」
カズもそう。
すごく目立つんだ。
学校でも人気があったのをよく知ってる。
いつの間にか追い越された身長。身のこなし、顔立ち、鍛え上げられた身体はしなやかで立ってるだけでも絵になってしまうから、俺は、イヤだったんだ。
皆がカズを見つめてしまうのが。イヤでイヤで……。
「俺の十代の頃なんてなぁ」
「ねぇ、和紀ってばぁ」
カズはカッコよくて、色っぽくて、魅力的だから、すぐに皆が見惚れてしまう。すぐに皆に見つかってしまう。ほら。
「んもー、歩くの速いっ」
ほら、見つけてしまう。
簡単に。
なんでこんなところにいるんだよ。駅ビルのとこに、まだ制服着てるし。駅で買い物? 女子と?
誰か知らないけれど、その女子がカズに追いつくとその腕に絡まるツタのように腕を絡めた。
まるで、デートみたいに。
「……」
子どもの頃からそうだった。カッコいいと年相応には思えないカズに皆が注目してしまう。俺はそれがイヤでイヤで仕方なかった。独り占めしたくて、でも、できるわけがないのもわかってて。それでもやっぱりイラつくから、胸の内だけで誰にも言わない、教えてなんてやらないプライベートのカズを思い浮かべては一人で自慢してたんだ。
家ではこんなふう。こんなことをしていて、あんなことで叱られて、こんな感じの服を着ていて、こんなテレビが好きで。
けれど、そんなふうに見つめると必ずと言っていいほど、カズと視線が合うのがたまらなく嬉しかったっけ。本当に必ず目が合うから、あぁ、ってほくそ笑んでは内心、優越感にドキドキしてたっけ。
目が。
「おーい、どうした? 直紀」
目が今も合えばよかったのに。
「はい! すみませんっ」
けれどそれは叶わず。俺は先を歩く明弘さんに追いつくべく小走りで駆け寄った。
「っ」
また女子がいた。隣に。
どれがどの子なんて覚えてない。この前、うちの駅前にいたあの子と同じかなんて知らない。茶色の長い髪をした子、ただそれだけ。
――あ、和久井和紀クンだ!
――えー、めっちゃイケメン!
――だよねー。
剣道の大会でさ、よくそういう声が聞こえてくるんだ。学年が違うから俺はそんなふうにこそこそと噂されて騒がれているカズを会場の端っこから眺めてた。
後追い、って言ってたっけ。
俺を追いかけるために勉強も運動も頑張ってたって。
――あ、こっち見た!
――キャー、笑った!
俺が追いかけてたんだ。
ずっとずっと、目で追いかけてた。
「どうかしたのか?」
「あ、いえ……」
女子を見たんじゃない。俺を見たんだよ。そう内心で思いながら。
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