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第43話 夏みかんとレモンピールと、熱血

 夏みかんとレモンピールの……っと。 「あ、あった」  カズがやたらとそれを気に入ってた。だからコンビニでそれを買って行こうとしたところで、白く細い腕とぶつかった。 「あ、すみません」 「……いえ」  真っ黒な大きな瞳がじっとこっちを見つめてた。  瞳が黒で、肌が真っ白、髪も真っ黒だから、なぜか濃紺のスカートにブラウスっていう制服を夏休みなのに着ていたから、モノクロみたい。もしくは唇だけが赤く色塗りをされた人形みたいに思えた。  外は真夏どころじゃない、灼熱を越えて、ほぼグリルの中で焦がされてるみたいな暑さなのに、真っ白な肌はまるで雪の結晶でできてそうな。 「? あの、取らないんですか?」 「あ、はい。あ、取ります」  お辞儀をして夏みかんとレモンピールのを一本手に取るとそのままレジへ。彼女もそれを取りたかったのか、同じのを一つ取っていたのがちらりと視界の端っこに映っていた。  綺麗な子だったな、そう思いながら。 「…………あ」  コンビニを出て、はたと気がついた。  買ったの、一本にしちゃったじゃん。  なんか、慌てて一本だけ買っちゃった。  でも、もう引き返すのは億劫だし、とりあえず、また帰りに寄ればいいかなって。俺はそんなに喉が渇いてるわけじゃないから。  そしてそのまま歩いていくと、まだわずかにだけれど剣道の竹刀同士のぶつかる音が聞こえてきた。  それに掛け声が道場の外にまで響いている。規則性なく聞こえてくるから、もうたぶん基礎練が終わって、技の稽古の最中なんだろう。時間的にもそんな感じ。  そっと中を小さな窓から覗くともうすでに地稽古に入っていた。  それならもうそろそろ終わる……かな。 「あ、あの……」  道場手前にある駐車場のところで待つことにしようと、垣根のレンガに腰を下ろしたところだった。 「あの、中、入らないんですか?」 「……」  声をかけてきたのはさっきの彼女。 「ナオ!」  その彼女がまた何かを言おうとしたところで、扉が壊れてしまいそうな大きな音と、大きな声が邪魔をした。  ほら、彼女もびっくりしてるじゃん。 「何、してんの?」 「んー? いや、ちょうどそろそろ稽古が終わる頃かなぁって思ったから。中に入ろうかなって思ったんだけど、もう地稽古やってるのが見えたからさ」  いつもの練習メニュー、ストレッチから、足捌き練習をかねたステップトレーニング、素振り、だんだんと竹刀を使う練習に移行していって、最後、終盤に追い込み稽古か地稽古があって、ラスト、疲弊した身体で体幹トレーニング。 「体幹、ほら、戻らないと、カズ」 「あ、あの、もしよかったら、中、入ってください」  やっぱり可憐で華奢な女子の声、それがじりじりと夕陽の照りつける中、スッと流れていく冷たい夜風のように耳に届いた。  春頃に一度遊びには来たけど、そうそう、夏ってきつんだよね。足がさ、滑るんだ。汗で。踏み込みがやりにくくて仕方なくて、俺は冬のほうがまだマシかな。  けど、夏でも冬でも、カズは群を抜いて安定して上手い。  重心がしっかりしてるんだろう。  家で自習トレなんてやってないのに、体力も力もあるんだからさ。ズルイくらいに恵まれてる。体幹もしっかりしてるし。  それに、やっぱ、カッコいい。 「あ、あの、お茶、どうぞ」  さっきの白い子も見学なのか、マネージャーなのか。胸のところでぎゅっと畳んでる腕が竹刀並みに細い。 「……ありがとう」  自分でもバカだなって思う。  さっきは綺麗な子だなぁって思っただけだったのに。そうイヤな気持ちも持ってなかったのに。 「私も、剣道やってるんです。今日はちょっとお腹が痛くて、それで」 「ごちそうさま」 「あ、はい」  カズの近くにいる子だとわかっただけで、好きじゃない子になる。心が狭いなぁって自覚はしてるんだけど、でもさ、やっぱり苛立って、つい女子、なんて言い方をしてしまうんだ。 「あのっ」 「直紀君が来てるって、ホントっ!」  びっくりした。心臓が飛び出るかと思った。 「あ、島(しま)さん」 「うわぁぁぁ、懐かしい」 「お久しぶりです」 「懐かしいなぁ。いつぶりだっけ? ぁ、この前、来たんだって? ちょっと稽古してったって? ずるいよー! 俺が来てない日に来るなんてー!」  島さん、この剣道場の先生の助手をしている人で三十代独身男性。なんだろう、なんだか、何かが独特で。  道場をやっている先生は今、五十代なんだけど、姿勢が綺麗でもっとずっと若く見える。実践的な稽古はこの人からもよく俺は習ってた。だけど、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ。  あははって、笑って流しながら、内心、知らんがなって思ったりもして。苦手、なんだよね。 「いやぁ、今さ、先生がぎっくり腰しちゃってねぇ。俺一人で稽古みないとだから大変で、大変で、それでなくても和紀は期待のホープだから、大会予選敗退なんてことになったら……うげ……これもんでしょー」  いや、クビにはならないでしょ。そして、首がちょん切れるジェスチャーにあっかんべーの顔までしてみせる、そういう濃いとこがさ、ダメっていうか苦手っていうか。 「もうてんてこま……」  そうなんだ。先生、どうりで見ないと思った。ぎっくり腰なんてあの先生でもするんだ。険しい顔をして厳しく自分をも律する人でも、ぎっくり腰。 「いた……」  でも、カズなら別に先生がいなくても勝てるだろうけど。カズを負かせることができる人なんて、うちの地区にはそういないでしょ。 「いたよ!」  それでもやっぱり練習量増やすのかな。最後の大会だし。そしたら帰りは必然的に遅くなるよね。 「ここにいた!」  けど、毎日、稽古終わりに迎えになんて普通来ないか。男子高校生の弟の迎えに大学生の兄は。 「先生の助手!」  でも――。 「直紀!」 「え?」  そうそうこの人、声が大きいもの少し苦手だ。びっくりする。 「助手!」  あと、この人、外国育ちなのかな? 片言になるのと、身振り手振りの大きいのも。 「は?」 「先生のぎっくり腰が治るまで!」 「え?」 「直紀が助手! …………しない?」  目、突かれるのかと思った。すごい速さで人差し指をこっちに向けるから。  島さん。人を指差すっていうのはよくないと思うんです。 「短期アルバイト!」 「いいですよ」 「だよねぇ、そんな急に言われたってだよねぇ」 「いえ、だからいいですよ」 「「「…………えっ!」」」  あの白い女子がびっくりしていた。それからカズも、まぁわかるよ。 「剣道の指導助手でしょ? いいですよ?」  でも、言い出した島さんが一番驚いていて、やっぱり色々合わないなぁとつくづく思った。

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