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第50話 また、遊ぼう

 いつも、踏み込みの一歩目が小さいと指摘されたっけ。 「いやぁ、和紀は本当に、迫力がすごいねっ」 「……えぇ」  島さんがこりゃ見惚れると笑って言うけれど、俺は笑う暇もなく本当に見惚れてしまう。  すごく、かっこいい。  カズはその俺が苦手としている一歩目が大きいんだ。ほら、見て。 「おー。決った」  すごく大きく大胆に踏み込める。一歩目でぐんと間合いを自分のものにできるから、試合の主導権を握れるんだ。  そして、防具を外した途端に現れるのが……あれだったらさ。目が離せない。 「あっつ……」 「お疲れ」  皆がカズの地稽古に見惚れてた。 「ねぇ、そのうちさ、ナオが相手してよ」 「お! そしたら、俺がするよー!」  元気に割り込んできたのは島さんだ。島さんも長身で踏み込みの一歩目がかなり大きいから、きっと面白いと思うんだけど。 「え、やだ」 「ええええええ?」  即答で断られてしまった。そして、カズはさっさと防具を慣れた手つきで全て外してしまう。頭に巻いたタオルも取ってしまうと、シャワーを浴びた直後の犬のように頭を左右に激しく振った。 「ナオ、俺、更衣室んとこで勉強してる」 「え?」  聞き返した俺に、カズが悪戯っぽく笑ってみせた。更衣室で、待ってるって言われたような気がして。 「受験生だからさ」  受験生というのなら、ちゃんと家に帰ってしっかり勉強するべきだ。 「えええええっ! ちょっと、大会前なのに?」 「うん。そう。それじゃ、島さん、お疲れ様です」  その言葉はある意味最強だなぁって思った。受験生が勉強するからと言ったらもう誰も邪魔になることはできないだろ?  カズは島さんにニコリと笑ってそのまま道場を後にした。俺は汗で濡れたカズの髪が色っぽくて、見惚れていた。  剣道の稽古は大体二時間半くらいで終わる。四時からのクラスは大体小学生とかの子どもが多くて、六時半からのクラスは上級者を含めた大人が多い。  稽古が全て終わるのは九時。そこから片付けて道場を閉める。もちろん生徒だった頃は稽古が終わる九時以降に道場に居残っていたことはない。そして、来れば先生が必ずいるし、生徒だって、その四時からの子どもたちがいるからけっこう騒がしいんだ。  だから、人が全くいない道場っていうのは珍しくて、少し不思議な感じがした。 「へぇ、英語の翻訳ねぇ」 「えぇ、国際系の大学だからちょうどいいバイトなんです」 「なんだか大人だなぁ」  アハハと笑った島さんの声が二人っきりの道場によく響いた。 「いいよねぇ、大学生ねぇ」 「島さんだって、大学生だった頃があるでしょ?」 「まぁね」 「あ、島さん、あとは俺やっておきますよ。掃除道具の片付けと戸締り、でしょ?」 「あぁ、そうだけど」  平気。ここに何年も通ってたんだ。それこそ、島さんが大学生で上級クラスの生徒だった頃だって知ってる。だから戸締りの仕方もばっちりだよ。 「スペアキーは次の稽古の時に持ってきますから」 「そう? それじゃあ、帰っちゃおうかなっ」 「どうぞどうぞ」  気をつけて。 「たまには早く帰ってください」 「そうなんだよー。いつも先生に先に帰ってもらっちゃうからさぁ。いやぁ、ありがとね」  追い出したいって見破られてしまわないように、気をつけて。 「いえ。お疲れ様です」 「ありがとねー」  できるだけ自然に、少し面倒臭いけれどみたいな顔をしたほうがいいのかもしれない。疲れてますからって、ストレッチをしたりしてアピールしてみるのもいいかも。とにかく勘付かれてしまわないように。 「それじゃあ、お先にぃ」  二人っきりになりたいってことを。 「……お疲れ様です」  上手に隠すんだ。  ――ここ、道場だぞ?  知ってるよ。  ――こんなとこ、誰が急に戻ってくるかもわからないのに。  大丈夫だよ。誰も戻ってこないし、鍵を内側からかけておけばいい。ここに入れる鍵は島さんと、先生のスペアを緊急用にと預かっている俺だけなのだから。  ――でも、もしも、万が一見つかったりしたら。  平気だってば。それに、我慢できない。  ――でも、やっぱり……。 「あ、あれっ? 島先生は? え? えぇ?」 「!」  心臓が口から飛び出るかと思った。 「きゃぁ! え、ぁ、直紀先生っ!」  誰もいなくなったと思ったら、突然備品庫からあの黒髪の大きな瞳の子が飛び出してきたから。 「わ! ぁ、あの、すみません! 皆さんは? ぁ、えっと、あの備品庫がすごい埃だったので掃除を……」 「……」  ほら、やっぱり、こんなとこではダメだろ。今、まさにこの子がここにいるなんてこと、知らなかっただろ? 俺たちが何もしてなかったから別にかまわないけれど。もしも、この子が無造作に扉を開けた時に。 「あ、あの……すみません。レッスン外の時間だったし、いいかなって」 「……いや、もう閉めるから」 「あ、はいっわかってます! 失礼します!」  彼女は何度も頭を下げて、その度に艶やかな黒髪を弾ませた。小さな、女らしい肩をもっとか弱く、華奢に見えるように竦めたりしてさ。  もしかしたら、更衣室で勉強してるって言ったカズのことを待っていたのかもしれない。 「うん。それじゃあ、気をつけて」  頬が淡いピンク色。唇はリップクリームのおかげで鮮やかな赤色。 「はい! 失礼します」 「うん。お疲れ様」  やっぱり、ここではやめたほうがいい。怖いだろ? 見つかったら言い訳できると思ってる? だからさ――。  やだよ。 「帰り道気をつけて」 「はい! ありがとうございます!」  やだ。  この子を帰り道送ってあげるつもりはない。俺は、したいことがあるから。 「…………」  だから、やだ。 「…………カズ」  気をつけるから。見つからないように上手に隠れるから。だから。 「……カズ」  昨日の続きをしたいんだ。

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