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第51話 背中越しの願望
きっと、これが春だったら、我慢した。
これが、初めてのデートをした春の終わり頃だったら、我慢できてた。
「……」
でも、もう、しない。
「……カズ?」
そのためになら、何度でも周りに嘘をつくし、誤魔化す。そしてどんどん離れていく。普通とか、常識とか、良いこととかから、離れて遠くなっていく。
もう、戻らなくてもいいやって思うくらいに遠くへ。
もう、いいやって思えるくらいに、遠く。あの春には、まだあったんだ。弟を独り占めしたい。しゃぶりついて、咥え込んで、全部欲しいなんて、ゾッとするくらい自分は狂ってるって思ったんだ。でも、今は、そんな理性をその遠いところに置いてきた。
もう、我慢しない。
「……カズってば」
寝ちゃってる。
更衣室には旅館の脱衣所によくあるような仕切られた木材の棚が並んでる。来た生徒はここで着替えて、荷物は道場の一角に並べて置いておく。道着を着てくる子もいるから、ロッカーとかよりもそのほうが便利なんだ。真ん中には長椅子があって、一応水道もついている。シャワーはないから、夏稽古後は身体中ベタベタしていやだったっけ。その小さな水道でタオルを濡らして身体を拭いた。
俺は、カズがそうやって着替えて身支度を整えるところを、周囲に勘づかれないように気をつけながら、いつも盗み見てた。
「勉強してないじゃん」
問題集をアイマスク、長椅子をベッドの代わりにして寝ちゃってるし。
「……受験生なんだろ?」
話しかけても起きないカズの足元にちょこんと座った。道着着たままだなんてさ。
「起きないの? ……カズ」
これじゃ、襲われるのに。
「……カズ」
俺に。
襲われるぞ?
そっと、長椅子に乗り上げて、そっとカズの足の間に、道着だから足の位置を探り探りしながら、踏んづけてしまわないように気をつけて膝小僧を割り込ませた。手はカズの脇の辺り。もう片方の手は、そっとそっと、そーっと。
「……」
そっと、その寝顔を隠す問題集へと手を伸ばす。
「……」
息を殺して近づいて。
キス、したいから問題集が邪魔なんだ。
「……カズ」
ずっと、盗み見てた。カズが道着を脱いで上半身の汗をタオルで拭うところを見ては、身体を熱くさせてた。ドキドキしていた胸はいつしかとろりとした熱を纏う欲に変わっていって、クラクラした。たくましい背中に。
ずっと、そうやって盗み見てるだけだと思ってた。
盗み見ながら、苦しくて、いつかはち切れてしまうかもしれないと思った。
今、その時に盗み見てた弟がここにいる。あの春の夜、盗み見るだけじゃ足りなくて、やめたんだ。もう、やめてしまうことにした。
だから我慢できるわけがない。理性なんてないんだから。
しゃぶりつきたくて、たまらない。
「……カズ、っ……ん、ンンンンっ」
この邪魔な問題集を奪ってしまおうと伸ばした手は捕まえられた。引っ張られ、バランスを崩した俺はカズに受け止められて、抱えられ、分厚い問題集がバサバサと大きな音を立てながら床に落っこちた。狸寝入りをしていた弟からの目眩がするほどのキスに自分からも舌を伸ばして絡みつく。
「ん、っンンっ、ン、ん」
「遅くね? 襲いに来るの? 本気で寝ちゃったじゃん」
「だって、全員に帰ってもらわないといけないだろ、ぁっ」
上に重なるように抱き留められてるせいで、カズの硬いのが、下腹部に当たって思わず声が溢れてしまう。
「待ちきれなかった」
「ン」
耳に吐息混じりで囁かれたら、また濡れたような声が溢れる。
「早く、襲ってよ。ナオ」
「っ」
声だけじゃなく、身体も、そのおねだりに濡れてしまう。
――あっつ! 汗すげぇんだけど。はぁ、稽古しんどかった。素振り三百って死ぬかと思ったぁ。
道着を上だけ脱ぐ瞬間を見逃さないように耳を澄ましてたっけ。汗を拭くために腕を動かす度、背中の筋肉がうねるように動くのをいつもチラチラと眺めてた。
「ナオ」
綺麗な背中だと思った。
――ねぇ、ナオ、いつも思うけど、着替え終わるの早くね?
この綺麗な背中に爪を立ててしまうくらい激しくされたら、どんなに気持ちイイんだろうって、盗み見てた。
「カズ」
「っ」
袴の隙間から手を差し入れると、もうガチガチに固くなったそれをゴソゴソとまさぐって、握って、分厚い袴の上からキスをした。もう片方の手は伸ばして、カズの上半身を道着越しに撫でて。
「すげ……もう、これでイきそ」
そう言いながら目を細めたカズの手が頬を撫でて、俺の欲情した顔を見たいと髪を指ですいてくれる。ただそれだけでイってしまいそうになる。
「俺ね……ナオ……ずっと、頭の中で妄想しまくってた、ここで、この更衣室でナオのことを」
「カズ」
あの綺麗な裸に爪を立てしまうくらい激しく犯されたらって想像してた。ずっと、ずっと、たくさん。
「めちゃくちゃにしたいって」
「……カズ、これ、腰紐、解かせて」
着替えをしているのを眺めながら、犯して欲しいって。
「カズの、口でしたい」
ずっと、思ってたから。
――ナオ、いつも思うけど、着替え終わるの早くね?
――そう? 普通でしょ。
――もっとのんびり着替えればいいのに。別に急いだって、俺がのんびりしてたらナオは待ってないといけないだけだろ。
――急いだわけじゃないよ。
――ふーん……はぁ、疲れた。汗でベトベト。
――早く着たら?
――なんで? あっついんだって、汗が全然引かない。
――風邪引くぞ。
――夏だから大丈夫。
「カズ……」
「っ、ナオ」
紐を解く硬い布同士の擦れた音にさえ興奮するくらい、ずっとずっと盗み見ては膨らんだ願望は張り切れてしまいそうなくらいにまた膨らんで、俺はその先端にキスをしただけで達してしまうかと思ったんだ。
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