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第54話 横断歩道
剣道の大会が終わり、両親に優勝を祝福され、朝稽古も、週二回、大会前は週三回になった稽古も、全てなくなった。これから受験生の夏本番――。
の、はずなんだけど。
「うわぁ……」
大賑わいの海にいたり、して。
どこまでいっても海岸沿いには人がたくさんいる。丸みのある三角山をしたカラフルなテントがいくつもいくつも並んでいて。水着もとても色とりどりで。眩しいくらい。
予約した宿へのチェックインにはまだ早すぎるし、時間ももったいないから海水浴場がやっている市営のロッカーに荷物を預け、スマホだけ防水のケースに入れ泳ぐことにした。
「海、すごい人……」
海面に陽が当たってキラキラしてた。眩しさに目を細めながら、その浜辺の人の多さに思わず呟いてしまう。
この中に受験生って何人くらいいるんだろう。
いや、いるだろうけどさ。受験生だって、一日二日羽伸ばしたいだろうし。だから受験生でも海来たっていいんだけど……さ。
「学生さん?」
「!」
突然声をかけられて、その問いが、なんか胸中を知られてるような気がして。
「学生さん? 海入るんだよね? もう時期すぎちゃったからクラゲに気をつけたほうがいいよ」
びっくりした。何かと思った。
「あー……」
「一人? なわけないか。あ、ねぇ、もしクラゲ怖かったら、泳がないで海遊びができる、水上バイクとかも特価でサービスするよ?」
声をかけてきたのは小麦色の肌をした若い男性だ。キャップをかぶっているけれど、そのキャップからはみ出たわずかな髪は金髪、上半身は裸。下は黒のハーフパンツ。たぶん、ここの海の家の従業員だろう。
「ね、学生さんでしょ?」
「あ、えっと」
「ナオ! 一人で行くなっつったじゃん」
「……カズ」
慌てた様子で駆け寄ってきたカズは俺の目の前にいる小麦色の男性をチラリと見て、小麦色の男性は俺とカズを交互に見てにっこりと爽やかな営業スマイルを向けた。
「二人? 学生さんだ。それならうちの海の家、どう? 学生なら二割引だよ? もうお盆過ぎてピークすぎちゃったからさ、大特価、三割」
「平気、俺らここに着替えに寄っただけなんで、行こう、ナオ」
「え? ぁっ」
海水浴、ここじゃないのか? てっきりここだと思ってた俺は、スタスタと歩いていくカズを慌てて追いかけた。声をかけてくれた小麦色の人は逃がした魚である俺たちに、もしよかったら来てねと手を振っていた。
「カズ!」
ビーチサンダルがペタペタと呑気な音をさせていた。歩道のタイルに積もった砂がそのサンダルのすき間に入り込んで、じゃりじゃりする。
「ったく、ナオはホント、何捕まってんの。だから待っててって言ったのに」
「なんだよ。あの人、ただ二割引きって、学割効かせてくれようとしてただけだろ」
「あのねぇ……あ」
カズが視線を反対車線へ向けた。海岸沿いは海の家の客引きが転々と並んでいるからと俺が車道側固定で歩かされていた。溜め息をついたカズが、俺の肩越しに何かを見つけ、何も言わずに手を引っ張る。
「ちょっ」
「渡るっ」
「は? ここをっ?」
ここ、この車線がいくつもある大きな通りを? なんて、訊く間もなくその大きな通りをカズは俺を引っ張ったまま駆け足で横断してしまった。渡りきった直後、ビュンっと車がものすごい速さで横切った。
父がいたら、確実に叱られるだろう。
「ねぇ、ナオは何味? 俺はチョコ」
たかがアイスクリームのために、だなんて。
「ナオは?」
いつもよりもずっと無鉄砲で、いつもよりずっと……たぶん、すごくはしゃいでる。
「じゃあ、ナオは、バジルナッツアイスクリーム」
「ふ、普通のっ!」
「えー、つまんねぇじゃん。きっと美味いよ。バジルにナッツだもん」
ずっとずっとはしゃいでる。
「じゃあ、カズが食べろよ」
「…………チョコとバニラ一つずつ」
受験生の夏、じゃなくてさ。
「はい。これ、ナオのね」
「あ、りがと」
「うまっ」
これは願い事を詰め込んだ夏だから。
「チョコ美味い」
これは願うこともしなかった、夢みたいな夏なんだ。燦燦とした太陽の下で、カズと一緒にすごすなんて。
「あっつー……日差し強い」
海岸沿いの大きな道。さっき渡れたのは奇跡なんじゃないか? ずっと車の行き来が激しくて、この道幅を横切るのは至難の業に思えた。
ビュンビュンと車が行き交っていて、渡るタイミングがちっともない。
すぐには渡れそうもないから、アイスを片手に歩き出す。のんびりと車の様子をうかがいながら。どこまで行っても安全に渡る横断歩道が見当たらない。
もう人が多い海水浴場になっているところからずれてしまった。
カズはどこまで歩くつもりなんだろう。海はずっと続いているけれど。でも、ビーチからは大分外れてる。
向こう側に渡りたいんだけど、渡れないままタイミングを見計らって歩いてる。
「……」
嘘をついたんだ。
両親に。
俺は旅行に行ってくると言って、カズは友だちと勉強合宿をすると言って、また嘘を……。それでも来たかった。
「ナオのも美味い?」
「あ、うん。バニラ、甘くて、いい香りがする」
「マジで? ちょっとちょうだい?」
「あ、うん……ど、」
溶けて、垂れた、甘くて白い雫。
その雫を、カズは俺の手首を掴んで引き寄せると、ぺろりと舐めた。指についたアイスクリームを。でももうこのアイスを買ったお店も、海岸で遊ぶ人たちもずっとずっと後ろだから、誰も見ていない。
「…………ホントだ」
「……」
「甘くて、いい香り」
舐められたところが痺れる。
「美味い」
また嘘をついてしまったって思う。でも、来たかった。
「ナオの指」
どうしても、カズと来たかった。こんなふうに海へ、一緒に。
「あ、今だ。渡れる」
「!」
大きな道で、車はものすごいスピードで右からも左からもやってくる。
「ナオ!」
それを二人で手を繋いで渡った。渡る時、繋いだ手が熱くてドキドキした。
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